簪と噂
「さん!」
多忙な食堂のおばちゃんに頼まれ、食堂内の掃除を終えた彼女が長屋への道を歩いていたときだった。
背後から声をかけられて振り返ると、黒木庄左ヱ門を先頭に一年は組の子どもたちがずらりと並んでいた。先ほど授業終了の鐘が鳴っていたから、恐らく実技の授業を終えて教室へ戻るところなのだろう。
一年は組勢揃いの光景に思わず目を見開いた彼女だったが、気を取り直すように軽く咳払いをして足を止める。
「どうしました?」
先日、土井と街へ出かけた際に生じた心境の変化もあり、彼女は少しずつ子どもたちと向き合い、自ら歩み寄るようになっていた。子どもが苦手、そして内心「面倒だ」と感じる思いはそう簡単には消えないが、それでも彼らを避けてこそこそと学園内を逃げ回るような真似はもうしなくなっていたのだ。
「実は、さんにお聞きしたいことがありまして」
「私に?」
「はい」
皆を代表して話す庄左ヱ門はいつも通り真剣な表情だが、一方でその後ろに控える他の子どもたちは、何やら意味ありげにニンマリと笑みを浮かべている。
なんだか嫌な予感がする――。
そう思いながらも、彼女は庄左ヱ門の言葉を待った。
「さんは、土井先生と恋仲でいらっしゃるのでしょうか?」
一瞬、時が止まったかのような沈黙が流れる。
恋仲。こいなか。コイナカ。頭の中でその言葉を反芻し、はっとして庄左ヱ門の後ろに並ぶ子どもたちへ目を向ける。彼らの笑みの意味を悟った瞬間、彼女は「は!?」と声を裏返らせた。
すぐさま堰を切ったように子どもたちが騒ぎ始める。
「だって、土井先生と二人きりで街へ出掛けたんでしょ?」
「その簪、土井先生からもらったんですよね?」
「男の人が女の人に簪を贈るって意味深だよね~」
「土井先生、いいじゃないですか! ちょっとだらしないけど、強くて優しくて独り身だし」
「忍術学園の先生って肩書きもちゃんとしてるし!」
まるで椋鳥の雛たちが、親鳥に餌を求めてピーチクパーチクと鳴いているようだ。
軽い目眩に襲われた彼女は、こめかみを押さえて深く息を吐いた。
土井と二人で街へ出たのはきり丸のアルバイトの手伝いのためで、簪に関しては日頃の礼・詫びとしてもらったものである。どちらも深い意味などないのだが、土井の教え子である彼らからすれば格好の噂話だろう。
しかし、簪の件は誰にも話していない。一体どこでその情報を得たのだろうか。わざわざ土井が子どもたちに話すとも思えない。
「いろいろと言いたいことはありますが……まず、簪の話はどこで?」
「事務の小松田さんから聞きました!」
ニコニコ笑顔でそう答えた喜三太に、彼女はがくりと肩を落とした。造花の納品から戻ってきた際、出迎えてくれた小松田に「その簪、どうしたんですかぁ?」と聞かれ、馬鹿正直に土井からもらった旨を話してしまった記憶が蘇ったのだ。
「ええと……土井先生と街へ行ったのは、きり丸くんのアルバイトのお手伝いで」
そう話しながらきり丸へ視線を向ければ、彼は両目を小銭にしてにやりと笑った。
「そうそう、俺が実質〝恋のキューピット〟ってやつだから、仲介料払ってもらわないと~」
「いやだから、土井先生とは一切そういう関係ではなくて」
「でもさん、もうお子さんがいてもおかしくない年ですよね? 今まで縁談などはなかったのでしょうか?」
それは私が忍びだから!
終始冷静な庄左ヱ門からの質問に、彼女は喉まで出かかった言葉を飲み込んで黙り込んだ。
確かに、庄左ヱ門の言うことにも一理ある。普通の女子であれば、家庭や子どもを持っていてもいい年頃。例え忍びであっても、所帯を構えている者は多いと聞く。
そんな『お年頃』の彼女が、いくら手伝いとはいえ男と二人きりで街へ出掛けたとなれば、こうして噂されるのも無理はない。相手が『一年は組』の子どもたちであれば尚更だ。
どうやってこの場を切り抜けようか。たくさんの期待に満ち溢れた眼差しから逃げるように視線を逸らし、彼女は考えた。
誰かを想う側に立ってみたいと。そのために、逃げずに子どもたちと向き合おうと。そう決めたのだ。
だから、とりあえず、ここは――。
「あっ! 逃げた!」
しゅぱっと勢いよく走り出した彼女に、しんベヱが声を上げる。
逃げて解決する問題でもないが、今は何を言っても理解してもらえる気がしない。待て、と叫びながら追いかけてくる子どもたちをぐんぐん引き離し、彼女は学園内の木立の中に身を潜めた。まるで悪者にでもなった気分だ。
一番に姿を見せたのは、は組の中でも群を抜いて足の速い乱太郎と三治郎である。立ち止まった彼らが辺りを見回す様子をひっそりと窺う。
「あれ? こっちに回って行ったと思ったんだけど……」
「さんって足速いよねえ。普通の女の人ってこんなに速いのかなあ」
不思議そうに話しながら去っていく二人の背中が見えなくなってすぐ、授業開始の鐘が鳴る。その音を聞いて、彼女は胸の奥に溜めていた息をようやく吐き出した。これで少しの間、追われることはない。
膝を抱え、しゃがみ込んだまま空を仰ぐ。晩秋の空は高く、雲は薄く引き延ばされている。ゆっくり流れていく雲を目で追いながら、どうしたものか、とぼんやり考えた。
今日みたいに誰かの手伝いで忙しいときは、髪が落ちてこないようまとめていた方が楽であることに気付いて、頻繁に簪を挿していたのも良くなかったかもしれない――。
とりあえず、土井からもきちんと子どもたちに話をしてもらおう。そう思いながら腰を上げたとき、周りの木々が風以外の気配にざわめいた。その変化に振り向こうとした瞬間、何かに目と口を塞がれる。彼女は思わず息を押し殺した。
「失礼、少しお時間をいただきたい」
耳元で聞こえた、聞き覚えのない男の声。ふと、以前に乱太郎が『忍術学園に山賊は来ないが、曲者はたまに侵入する』と笑いながら話していたことを思い出し、彼女は緊張しながら静かに頷いた。いくら油断していたとはいえ、ここまでの至近距離で後ろを取ってくるような相手だ。下手に抵抗するのは得策ではないだろう。
すぐに布で目元をしっかりと覆われてしまったため、聞こえる物音だけに集中する。気配や衣擦れの音から推測するに、どうやら相手は一人ではないようだ。
再び「失礼」と聞こえてすぐ、身体を抱き上げられた。ただの人攫いにしては、こちらのことを気遣うような、随分と丁寧な手つきだった。
ひょっとすると、これも試験の一環なのかもしれない――。
速くなった鼓動を落ち着かせようと深呼吸をする。そして彼女はもう一度、どうしたものか、と心の中で呟いた。
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「あの……これは一体どういうことでしょうか……」
目隠しを外され、光に慣れた瞳に映った人物の姿に、彼女は戸惑いながらそう尋ねた。
山中の開けた場所にある岩塊に腰を下ろしていた彼女を取り囲むのは、雑渡を除いたタソガレドキの忍びたち――山本、高坂、諸泉、押都の四名だ。
「(何なんだ、これは――)」
不安げに、彼女は彼らを見上げた。雑渡も逞しい体躯の持ち主であるが、彼らもそれなりにがたいの良いプロの忍び。四方から囲む彼らの視線が、彼女に重く圧し掛かる。
また、彼女が押都と対面するのはこれが初めてだった。雑面をつけた押都に思わず息を呑んで視線を彷徨わせると、この中では小柄な方である諸泉と目が合った。彼は少し気まずそうに、きゅっと口を一文字に結ぶ。
「諸泉殿……団子を奢ってあげたのに、こんなことするなんて……」
「かっ、金を払ったのは土井半助だろ!」
必死に言い返す諸泉を他所に、山本が彼女の前に膝をつく。そして目線を合わせると、口布を外して話し始めた。
「手荒な真似をしてすまない。誰にも邪魔されず、殿に聞きたいことがあったのだ」
「……ここは?」
「心配ない、忍術学園のすぐ裏手にある山の中だ」
なるほど、と彼女は辺りを見渡した。どこへ連れて行かれるのだろうと心配していた割に、随分早く下ろされたなと半ば拍子抜けしていたのだ。
「それで……私に聞きたいこととは何でしょうか」
タソガレドキ忍者に関しては雑渡の相手をするだけでいっぱいいっぱいで、他の忍者たちの相手などしたくない、というのが彼女の本音だった。だが、とりあえず話をしなければ学園に帰らせてもらえないだろう。
山本と高坂が視線を交わす。諸泉は彼女を睨み続け、押都はどこを見ているか分からない。試験の一環という予想は外れたが、不穏な空気に焦りが募っていく。
「実は……」
神妙な顔つきの山本に、彼女にも緊張が走る。そして。
「殿は、土井殿と……懇ろな仲なのか?」
ずるりと岩から滑り落ちそうになった。
山本の言う懇ろな仲というのは、つまりは男女の親密な仲という意味だろう。
どこから何をどのように伝え聞いたか分からないが、この大人たち、忍術学園の子どもたちと思考がまったく一緒ではないか!
しばらくの沈黙のあと、すっくと立ち上がった彼女に諸泉が分かりやすく警戒して身構える。
「な、なんだ、やる気か?」
「帰ります」
おい、と呼び止める諸泉を素通りして山を下りようと歩き出したものの、行く手を阻むように押都が立ちはだかる。ひたすら無言を貫く押都に、彼女はひく、と顔を引き攣らせた。
ここにいる全員、雑渡同様に話が通じる相手ではなさそうだ。それに加えて、雑渡以外の頼みを聞くようにも思えない。
「……土井先生とはそういう仲ではありません。生徒のアルバイトの手伝いで街までご一緒して、その先で簪を買っていただいて……それで一年生が騒いでいるだけです」
「ほら、私の言った通りじゃないですかぁ」
仕方なく説明すれば、諸泉がため息を吐いて不満を口にする。
押都の隣に並んだ高坂が、ずいっと彼女に顔を寄せた。
「では、特別な相手はいないのだな?」
「いません! ……あ、ええと、私は大川様一筋なので、そういう相手を作る気はありません」
そう答えて一歩後ろに下がると、背後に立っていた山本にぶつかった。相変わらず逃がすまいと取り囲んでくる彼らに、勘弁してくれと叫びたくなる。
そもそも土井とどんな関係であろうと、彼らには何の関係もない話だ。身の上を怪しまれるよりはまだマシかもしれないが、彼らが何のためにここまでするのか、まったく理解できない。
するとそのとき、近くの茂みが大きく揺れた。現れたのは、彼らの頭である雑渡である。
己の部下たちと、その部下たちに詰め寄られている彼女。その様子に、雑渡は目を眇めた。
「何してるの、こんなところで」
「雑渡殿……」
ぽつりと雑渡の名を呟いた彼女は、ほっと胸を撫で下ろした。が、すぐにハッとして、いやなぜ自分は安心しているのだとすぐさま気を引き締める。
雑渡が部下たちを窘めて彼女を忍術学園へ帰すか、もしくは部下たちと一緒になって面白がりながら土井との関係を追求してくるか。どちらかと言えば、後者に転ぶ可能性が高いのだ。
「組頭、学園長殿とのお話は終わったのですか?」
「うん。ついでに保健委員会にも顔を出してきたよ。ところで……」
雑渡は腕を組み、首を傾げた。
「どういう状況?」
「かの噂の真偽について、本人に確かめてみようかと思いまして」
すぐそばで、またもや聞き覚えのない声が聞こえた。彼女が声のした方を振り返れば、今までずっと黙っていた押都がどこか楽しげに「組頭もご存知でしょう」と言う。
この男、喋れたのか。そう思いながら、彼女が雑面から僅かに覗く押都の口元を見つめていたそのとき、雑渡が呆れたようにため息を吐いた。
「やれやれ……そんな瑣末なことで、わざわざ殿をここまで連れて来ることはないだろう」
そう言って、雑渡は彼女に向かって手を差し伸べた。
「殿」
「えっ」
「こちらへおいで」
一体どういう風の吹き回しだろう。まさか雑渡が本当に部下たちの行動を窘めてくれるとは思わず、彼女は戸惑っていた。
雑渡が警戒すべき相手であることに変わりはない。しかしこの状況ならばと、彼女は押都と山本の間から抜け出て雑渡へ駆け寄った。雑渡の手を掴むことはしなかったが、すぐに彼女は雑渡の背後に姿を隠す。
山本らへ視線を向ければ、一人離れて立っていた諸泉が怒ったような顔をして己の頭を指差している。こちらに何かを伝えようと身振り手振りする姿に訝しげな表情を浮かべた彼女だったが、以前に諸泉が『簪を雑渡に見せるな』というようなことを言っていたのを思い出した。彼女の髪には、土井からもらった簪がしっかりと挿されている。
「私は殿を学園まで送り届けるから、皆はしばらく待機」
素直に雑渡の命令に従った山本らは、軽く返事をし、そのまま地を蹴って飛んだかと思えばあっという間に姿を消してしまった。
諸泉殿も、こういうときはちゃんとしたプロの忍びなんだよな――。
土井に対して子どものようにぎゃんぎゃん喚く彼の二面性に呆けていたら、雑渡が「じゃ、行こうか」と学園の方角を指差した。ふい、と顔を逸らし、山を下りていく雑渡の背中を慌てて追う。
「すぐ近くですし、一人で戻れますよ」
「そういうわけにはいかない。学園長殿の大事な御方の身に何かあっては困るからね。それに、出門票にはちゃんとサインしてきたのかな?」
あ、と呟いて、彼女は自分が山本らに攫われたときのことを振り返る。
あの感じだと恐らくサインはしていないだろうな、と思うと同時に、目を吊り上げて怒る小松田の姿を想像して憂鬱な気分になった。
冷たさが混じった風に枯れ葉が舞う中、季節の終わりを感じながら山道を歩いていく。いつもならば積極的に語りかけてくる雑渡だが、今日は珍しく物静かだ。ぺらぺらととりとめのない話をされてもそれはそれで困るのだが、大人しいと逆に落ち着かなかった。
一応、礼を言うべきだろうか。前を歩く雑渡の広い背中を睨みながらそう考えていた彼女が、口を開いて「あの」と言ったとき、急に雑渡が足を止めた。鼻がぶつかりそうになったところで、彼女も慌てて立ち止まる。
雑渡は振り返ると、驚いている彼女を見下ろした。
「後ろを歩かれると落ち着かなくてね。できれば隣か、前を歩いてほしいんだが」
「あ、はい」
彼女も雑渡と同じく、後ろを歩かれるのはできれば避けたいと考え、雑渡の隣に並んだ。これでいいかと確認する意味も込めて雑渡を見上げれば、彼の視線は彼女自身ではなく彼女が髪に挿している簪に注がれている。
じ、と簪を見つめる感情の読めない眼差し。諸泉の言葉。それらを合わせて考えた結果、ひとつの結論に行き着いた彼女はもう一度「あの」と呟いた。
「雑渡殿は、簪がお嫌いなのですか?」
その質問に、ようやく雑渡の視線が簪から離れて彼女の瞳へと向く。雑渡は一度だけ瞬きをして、徐々に眉間に皺を寄せていった。
「……は?」
「諸泉殿から言われたのです。雑渡殿に簪を見せるな、と。なので、例えば……以前に簪で刺されたことがあるとか、好いた女子に簪を贈ったものの受け取ってもらえなかったとか。そういう苦い思い出があるのかな、と」
顎に手を添えて独自の推理を披露する彼女に、雑渡は少し間を置いてふっと笑みを浮かべる。
「残念ながら、簪で刺されたことも、好いた女子に簪を贈ったこともないよ」
「ではなぜ、諸泉殿は貴方に簪を見せるなと言ったのでしょうか」
「なに、いつもの早合点だろう」
「早合点?」
そのまま聞き返す彼女に、雑渡は何も答えず微笑を返すだけだった。
「(それにしても意外だったな)」
足元の悪い山道で躓くことのないよう、視線を落として歩きながら彼女は胸の中で呟いた。
彼女の知っている普段の雑渡であれば、絶対にこの簪について何か意地の悪いことを言ってくると思ったのに。また、これは先日も思ったことだが、簪を挿した自分のことを『似合う』だの『可愛い』だの、平然と言ってのけると思ったのに、それもない。いや別に、そういう言葉を求めていたわけではないが。
ふう、と彼女は小さく息を吐いた。やはりこの男のことは、よく分からない。
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思考に沈み込んでいる彼女を、雑渡はちらりと一瞥した。
土井が彼女に簪を贈ったという話は、見張りに置いていた部下から報告を受けて把握していた。また、忍術学園ではその一件が噂となり、土井と彼女の関係性に注目が集まっている――という話も伏木蔵から聞かされている。
とは言え、土井は自身の長屋の隣に住む女性への土産に簪を選ぶような男だ。本当に深い意味はないのだろう、が。
彼女の髪に留められた簪が、彼女の動きに合わせてかすかに煌めく。
「……そんなにじろじろ見られると、歩き辛いのですが」
雑渡の視線を咎めるように彼女はそう言うと、不服そうに口を尖らせた。
いつも雑渡から見る彼女は、怒っているか、迷惑そうな顔をしているかのどちらかだ。以前、何を思ったのか一度だけにっこりと微笑んでくれたことがあったが、「変な顔」と口走ったせいで以降は一切笑顔を見せなくなってしまった。まあ普通の忍びであれば、他所の忍びのことは警戒して当然と言えば当然である。
だが、土井から簪を受け取ったとき。彼女は土井に、どんな表情を見せたのだろうか。
「似合わないのなら、はっきりそう言っていただいて結構ですよ」
ぴしゃりとそう言ったあと、ふい、と拗ねたように顔を正面に戻し、先を行こうとする彼女に手が伸びる。髪に挿さる簪を引き抜けば、それは引っかかることなくすんなりと抜けた。
まとめあげていた髪が突然ばらばらと落ちてきたものだから、彼女は「え」と呟いて自身の頭に触れる。そして振り返り、雑渡が簪を持っていることに気付いて「あ!」と声を上げた。
近くの木々にとまっていた鳥たちが、彼女の大声に驚いて勢いよく飛び立っていく。
「ちょっと、何して」
「いくら相手が土井殿とはいえ、他の男から簪を受け取るのはあまりいい気がしないな」
そう告げると、彼女は簪を取られたことに気付いたときよりもさらに驚いて目を丸くした。そして徐々に、分かりやすく動揺する彼女の頬が赤く染まっていく。雑渡の言葉をどう受け取るべきか、思考が追いつかないのだろう。ぽかんと口を開けたまま、固まってしまった。
すぐ顔に出るところも、嘘や誤魔化しが下手なところも、お子様忍者に振り回されているところも、こういう気障な台詞に動揺するところも。思わずこちらが心配になるほど忍びらしくない女子である。しかし、『忍びらしくない』というのは忍びにとって長所にもなり得るものだ。
それに何より――この顔は悪くない。
「ざ、雑渡殿、何を言って」
「……と、学園長殿に言われなかったかい?」
手に持った簪を彼女の目の前で振りながら首を傾げる。
しばらく呆然としていた彼女だったが、すぐに揶揄われていることに気付き、悔しさを滲ませた表情で雑渡の手から簪を奪い取った。
「大川様はそんなに器の小さい方ではありませんので!」
怒ってずんずん歩いていく彼女に、雑渡は口布の下で小さく自嘲気味に笑った。
器の小さい、か。
大股で歩けば、いくら彼女が早足で歩いていてもあっという間に追いついてしまう。目を合わせようとしない彼女の横に並び、相変わらず赤いままの顔を覗き込むように背を丸める。
「ちなみに、私は普段の髪型が好きだな」
「聞いてません!」
(20260213)