山吹色の午後


 山吹色に染め上げられた花弁で作られている造花は、指先で触れると乾いた感触が残った。遠目には本物と見紛うそれらを潰してしまわないよう、彼女は丁寧に、一本ずつそっと木箱の中へ詰めていく。正確な数は分からないが、恐らく百本以上はあるだろう。
 造花でいっぱいになった箱を風呂敷で包んでいる最中、私服姿の土井が、ひょいと彼女の前に姿を現した。

さん、今日はすみません。きり丸のアルバイトに付き合わせてしまって」
「いえ……約束ですから」

 風呂敷をきゅっと結び、彼女は少しむっとした表情でそう答えた。そのなんとも不本意な様子が、自分の受け持つ『一年は組』の生徒たちのせいであることを知っている土井は、ただただ苦笑するしかなかった。
 一月も経てば、子どもたち――とりわけ一年は組の生徒たちの自分に対する興味も、さすがに薄れるだろう。
 そう期待していた彼女だったが、現実は違った。保健委員会の薬草とりに続き、彼女が体育委員会の塹壕掘りを手伝った(正確には付き合わされた)話が学園中に広まり、再び彼女に何かを頼みたい子どもたちに追い回される日々が戻ってきたのである。
 昨日は生物委員会の佐武虎若・夢前三治郎から『毒虫のいる小屋の掃除』に誘われたのだが、そんな彼女を救ったのが、たまたまその場を通りかかったきり丸だった。彼はうまく話を逸らして彼女を逃がしてくれたのだが、もちろんきり丸が『タダ』でそんなことをするはずもなく。代わりに、彼がアルバイトで作った造花を土井と一緒に街へ納品しに行くことになったのである。なんでも、きり丸本人は別のアルバイトの予定が入っているらしい。
 荷を背負い、草履を履いて彼女は小さく息をついた。

「なんか、うまくしてやられた気がします……」
「すみません、うちの生徒が……ん?」

 しばらく歩いたところで、土井の足がぴたりと止まる。彼の視線を辿れば、正門にいる小松田、そして小松田の正面に立つ一人の男に向けられていた。
 その男の正体に気付いた土井と彼女、二人がほぼ同時に「げ」と呟く。そして、辟易した表情を浮かべる二人に気付いた男――諸泉尊奈門が、鋭く目を吊り上げて声を荒らげた。

「土井ぃ! 今日こそ決着をつけるぞ!」
「前にもこんなことあったなあ……。尊奈門くん、私、今日は忙しいんだよ」
「言い訳するな! この間もそうやって私との勝負から逃げたではないか!」
「別に逃げたわけじゃないよ、この間は生徒たちのテストの採点が溜まってて……」
「そして、土井の後ろに隠れているお前!」

 土井の背後にすっぽりと収まるように立っていた彼女は、諸泉の言葉にぎくりと肩を跳ねさせた。
 どうやら土井に用事があって来たらしい、と安堵したのも束の間、まさか自分にまで矛先が向くとは――。内心そう嘆きながら、彼女は土井の背中越しにそっと顔を覗かせた。
 タソガレドキ忍軍の一人で、あの雑渡昆奈門の部下。彼女が彼について知っていることはそれくらいだ。そして、そんな諸泉と直接顔を合わせたのは一度きりだが、自分が快く思われていないことは彼女自身十分すぎるほど理解していた。
 怒気を孕んだ視線に、彼女は気取られぬようため息を落とした。

「何でしょう?」
「お前……組頭を誑かそうとして、一体どういうつもりだ!」
「なっ」
「え、そうなんですか?」

 ぎょっとして目を見開く彼女に、土井がきょとんとした様子で視線を向ける。これ以上、雑渡との妙な噂が学園に広まることは何としても避けたい。彼女は勢いよく首を振った。

「そ、そちらの雑渡殿が勝手に寄ってくるだけじゃないですか!」
「お前っ、なんだその言い草は! 大体、組頭はお前なんかに構う時間など、本来ない御方なのだ! この間だって――」

 雑渡がいかに素晴らしく優れた人間か、ということを、聞いてもいないのに一人語り出した諸泉。そんな彼にしばらく呆気に取られていた二人だったが、土井はそっと彼女に顔を寄せて耳打ちした。

さん、走れますか?」

 土井の手には、小松田から受け取った出門票が握られている。見れば、そこにはすでに土井と彼女の名が記されていた。
 土井の意図を瞬時に理解した彼女は、気持ちよさそうに雑渡自慢を続ける諸泉を一瞥して、こくこくと頷いた。土井はにこりと笑って、出門票を小松田に渡す。そして二人はそろりそろりと足音を消して歩き、学園から一歩外へ出た途端に走り出した。

「あの、いつもあんな感じなんですか?」

 軽い足取りで駆けながら、斜め前を行く土井へそう尋ねる。どんどん小さくなっていく学園は今のところまだ静かではあるが、もうしばらくすれば土井と彼女が消えたことに激昂した諸泉の絶叫が響き渡るだろう。
 彼女の質問に、土井は困ったように眉を下げて笑った。
 
「いつもあんな感じなんです」


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 しばらくして諸泉が追ってこないことを確認し、土井はようやく足を止めた。振り返り、ずっと自分の斜め後ろを走ってついてきていた彼女を見やれば、荷を背負って長い距離を走ってきたにも関わらず息一つ乱れていない。

「ここからは歩いて行きましょうか」

 さすが忍びなだけあるな。そう内心感心しつつも、それを口に出すわけにもいかず、土井は穏やかにそう告げてゆっくりと歩み始めた。
 思い返せば、こうして彼女と二人きりになるのは、彼女が初めて忍術学園にやって来た日に案内をしたとき以来だ。当初は果たして大丈夫だろうかと心配もしたものだが、意外にも彼女は違和感なく忍術学園に馴染んでいた。下級生から上級生まで分け隔てなく慕われているようで、何かと頼りにされているとも聞く。もっとも、本人はあまりそれを快く思っていないようだが。
 ふと、土井は先程の諸泉の言葉を思い出し、静かに隣を歩く彼女へ視線を向けた。

「さっき尊奈門くんが言っていたことですが……」
「言っていたこと?」
「その……さんが、雑渡さんを誑かそうとしている、と」
「事実無根です」

 即答だった。
 きっぱりと言い切る彼女に、土井は思わず小さく笑う。
 
「それはもちろん分かっていますが、さんってタソガレドキの皆さんと面識があったんですね」

 その問いに、彼女は疲れたように深く息を吐き、どこか釈然としない様子で彼らとの関係について語り始めた。
 雑渡とは、保健委員会の薬草とりの手伝いをした際に初めて顔を合わせたこと。それ以来、やたらと目の前に現れるようになったこと。雑渡の部下である諸泉たちとも、同じく保健委員会の縁で顔見知りになったこと。そして、彼らとは決して関わりたくて関わっているわけではない、ということ。
 ぽつりぽつりと愚痴を零すように話す彼女を前に、土井はふむ、と口元に手を当てて思案した。
 あの雑渡のことだ。恐らく、忍術学園に突然現れた彼女のことを怪しみ、調査目的で接近したのだろう。どこまで把握しているかは分からないが、自分や他の先生方に探りを入れてこないあたり、彼女の素性や事情についてある程度の情報は掴んでいるのだろう、と。
 は組の生徒が世話になっている――いや、迷惑をかけている以上、可能な限り彼女が不利な立場に追い込まれる事態だけは避けたい。土井はそう考えていた。彼女が問題なく最終の試しに通るためにも、雑渡をいたずらに敵に回すのは得策ではないだろう。
 タソガレドキ忍軍は、我々に対して中立の立場を取っている。だが、それはあくまで『忍術学園』に対してであって、『彼女』個人に対してではないのだ。
 黙り込んでしまった土井を見て、彼女が不思議そうに首を傾げる。

「どうかしましたか?」
「あ、いえ。雑渡さんは……その、悪い人ではない、ので。そこは安心していただいていいかと」

 しどろもどろになりながらそう言えば、彼女は眉を顰めた。

「土井先生、歯切れが悪すぎます」

 鋭い一言に、思わず顔が引き攣る。
 そこでふと、以前に乱太郎から聞いた話を思い出し、土井は「そういえば」と切り出した。

「雑渡さんは以前、火災に巻き込まれた部下を助けるために火の中へ飛び込んだことがあるそうで」
「……え?」

 彼女は驚いたように目を見開き、土井を見上げた。
 雑渡と彼女の関係が悪い方に拗れぬよう、また彼女がこれ以上、雑渡に対して悪い印象を抱かぬよう口にしたことだったが、彼女の心の底から驚いた様子に土井は一瞬言葉に詰まる。

「あ、ええと、つまりですね、タソガレドキ城自体はあまりいい噂を聞きませんが、雑渡さん本人は、部下から随分と慕われているようですよ」
「……誰かを守って自分が手傷を負う、というのは、忍びとしてどうなのでしょう」

 低く、静かな声だった。
 まっすぐに向けられた瞳は、純粋で無垢のようにも、はたまた世の闇や穢れを知り尽くしているようにも見える。街までもうすぐというところで、自然と二人の足が止まる。

「自分の身は自分で守るのが当然なのではないでしょうか。いくら部下でも、見捨てるのが正しいのでは?」

 そう言い終えた直後、彼女ははっとして両手を振った。
 あくまで、素人の忍びに対する勝手な印象である――そう付け加える様子から、恐らく余計なことを喋り過ぎた、と考えたのだろう。
 そうか、と土井は一人納得した。
 彼女はそういう環境で、そういう風に育てられてきた子なのだ。目の前で、仲間が死地に追い込まれていても救わないのが当たり前で、もちろんそれは逆もまた然りで。それが彼女にとっての常識であると同時に、覚悟でもあるのだろう。
 単純に、可哀想な子だと思う。しかしその反面、忍びとして生きていくのであれば、そういう精神でいた方が救われる画面もあるのかもしれない、とも思う。要するに、正解などない問題なのだ。
 土井は複雑な思いを抱えながら、そっと彼女の頭に手を置いた。ぱちぱちと瞬きをする彼女に、笑みを零す。

「忍びも所詮は人間ですから、いろいろな人がいますよ。私も、生徒や大切な人たちを守るためなら、命を懸けられますし」
 
 そのまま優しく彼女の頭を撫でれば、彼女は眉間の皺を深くして目を伏せた。
 はっとして手を離し、土井は慌てて謝罪した。年頃の女性に気安く触るのは、あまりよろしくなかったか。
 面映ゆさを隠せずにいる土井を、彼女は真剣な眼差しで見つめた。

「あの、私って撫でたくなるような頭の形をしているのでしょうか」
「……へっ?」
「先日、雑渡殿からも同じように頭を撫でられたので」

 彼女からの意外な告白に、思わず目を丸くする。
 あの雑渡が。彼女の頭を。
 しばらく無言のまま見つめ合い、やがて土井はぷっ、と吹き出して笑い始めた。彼女は少し不満そうに顔を逸らし、土井を置いて歩き出す。

「とにかく、早く納品を済ませましょう」
「ふ、そうですね」

 先程タソガレドキの忍びとの関係性を説明してくれた彼女の口ぶりだと、あまり雑渡との関係は良好ではないようだった。だが、案外そうではないのかもしれない――。
 下ろされた髪の隙間から覗く、ほんのり赤く染まった耳たぶを見て、土井は自分の心配が杞憂であることを悟ったのだった。


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 造花とはいえ数が多く、木箱に詰めていればそれなりの重さになる。彼女は荷を下ろした解放感から、ぐん、と両腕を上げて背伸びをした。暖簾越しに店の中を覗けば、土井が店主と言葉を交わしているところだった。
 忍術学園で暮らし始めてしばらく経つとは言え、彼女が外出した回数はそう多くない。初めて訪れた街は、商いの店が軒を連ね、活気に満ち溢れている。澄んだ空の下、行き交う商人や町人の合間を縫うように駆け抜けていく子どもたちを目で追いながら、彼女はふう、と息を吐いた。
 こういうのを、平和というのだろうな。
 どこかから里の者に見られている可能性はある。それでも、忍術学園にいるときより幾分か肩の力が抜けている自分に気付いていた。そんな彼女に、納品を終えた土井が声をかける。

「無事に納品済みました。ありがとうございます」
「そうですか。では、学園に戻りましょうか」
さん、せっかくですし、少し街を見て回ってから帰りませんか?」

 遠くを指しながら、少し歩いた先に白粉や紅を扱う店があるのだ、と土井は言う。その指先を眺めながら、彼女は少し考えた。正直、白粉や紅に強い関心があるわけではないが、このまま学園に戻ってしまうのも、どこか惜しい気がする。

「実は女装するときに使う白粉が切れてしまって。一人で買いに行くのも目立ちますし、付き合っていただけると助かるのですが」
 
 そう言って、土井は照れくさそうに頬を掻いた。

「女装されることもあるんですね」
「ええ、忍務でたまに。授業で生徒に教えることもありますし」
 
 ひょっとして、気を遣わせてしまっただろうか。彼女はそう思いつつ了承し、土井と並んで街を歩き始めた。
 魚屋に米屋、青物売り。呉服屋に染物屋、そして櫛屋――。決して大きな街ではないが、そこには確かに人々の暮らしが根付いている。特に賑わう通りでは、明るい呼び声や笑い声が絶えない。彼女は珍しいものを見るような眼差しで、その光景を眺めながら歩いた。
 初めて訪れる街というだけでなく、こんなに明るいうちからこんな賑やかな場所を歩くこと自体が、彼女にとっては初めての経験だったのだ。
 姉も里を出たあと、こんな風に力を抜いて、自由に歩くことができただろうか――。

「女装と言えば、いつだったか子どもたちが山田先生の女装がすごいと……」

 土井に話しかけたつもりで口にした言葉が途切れる。ずっと隣を歩いていたはずの土井の姿がない。振り返ると、彼は先程通り過ぎた櫛屋の前で立ち止まり、店主らしき男と話し込んでいた。
 踵を返し、何やら細長い箱を受け取る土井の傍らに並ぶ。

「贈り物ですか?」
「はい、さんに」
「……え!?」

 思わず大きな声が出た。聞き間違いか、と不安になった彼女に、土井は箱の蓋を開けてみせる。中に収められていたのは、山吹色の上品な玉簪だった。
 これにはさすがに困惑を隠せず、彼女は簪と土井を交互に見つめる。普通、特別な意味もなく男性が女性に簪を贈ることはない。だが、土井がそういうつもりで簪を買ったようには思えない。
 簪に視線を落とし、思考を巡らせている彼女を見て、土井は穏やかに笑いながら簪を手に取った。

「きり丸の作った造花を見たときに思ったんです。さんは、山吹色が似合いそうだなあ、と」
「そ、そうでしょうか? こんな明るくて綺麗な色、私にはあまり……」
「後ろを向いてもらえますか」

 屈託のない笑顔でそう言われ、彼女は「う……」と戸惑いながらも素直に土井に背を向けた。

「髪、触りますね」

 そう告げられ、彼女が頷くより先に、土井の指先が彼女の細い髪をすくい上げる。
 女装の経験があるからか、土井は慣れた手つきで彼女の髪を纏めて簪を挿した。僅かに汗ばんでいたうなじが露わになり、晩秋の冷たい風がすっと肌を撫でていく。
 普段は後ろでひとつに結うだけの彼女にとって、その感覚はどこか落ち着かなかった。
 彼女の顔を覗き込んだ土井が、満足そうに頷く。

「やっぱり、お似合いです」
「でも、こんな高価なもの、いただくわけには」
「今日のお礼と、日頃から生徒たちがご迷惑をおかけしているお詫びですから」

 ね、と微笑む土井を、彼女は不思議な気持ちで見つめ返す。
 自分を気遣って簪を贈る土井。部下を助けるため、火の中へ飛び込んだという雑渡。どちらも卓越した忍びで、過酷な環境を生き抜いてきたはずなのに、それでもなお、どうして他者を想う心を失わずにいられるのだろう。
 それに比べ、私は――。
 子どもたちの些細な頼み事から逃げ回っている自分の心の狭さが、ちくちくと胸に刺さる。彼女は土井に深く頭を下げた。

「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」

 優しさも、他者に対する情も。どれも最後には足枷にしかならないと分かっている。けれど、自分もいつか、誰かを想う側に立ってみたい。
 土井、そして雑渡の話に影響されているだけかもしれないが、彼女は確かにそう感じていた。これも、彼女にとって初めての経験だった。


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「お前ら……逃げたかと思えば、こんなところで呑気に団子など食って……!」

 土井が使う白粉を購入したあと、ついでに立ち寄った茶屋に現れた諸泉に、またしても土井と彼女の「げ」という声が重なった。
 二人を探すため、あちこちを走り回ったのだろう。肩で息をし、髪も乱れた諸泉は相当疲弊している様子で、相変わらず不機嫌そうな表情を浮かべている。
 そんな彼に、土井は諦めたように笑って手招きをした。

「尊奈門くんも、一緒にどう?」
「私は団子を食べにわざわざ来たのではない!」
「奢るし、学園に戻ったらちゃんと相手するからさ」

 土井のその一言で、諸泉はぐっと言葉を飲みこんだ。そして、土井の隣に座るのは嫌だったのか、土井の正面に座っていた彼女の隣にやや乱暴に腰を下ろした。
 詳しいことは分からないが、二人の様子を傍から見て察するに、諸泉が一方的に土井のことを敵視しているようだ。横目で諸泉を窺うと、じいっと遠慮なく見つめられていて思わず肩が跳ねる。

「ええと、何か?」
「お前、なんだその頭は」

 ぶっきらぼうに放たれた言葉に、彼女は一瞬きょとんとし、それから思い至ったように頭へと手を伸ばした。

「ああ、土井先生から簪をいただいたのです」

 そう言って、玉簪にそっと触れた瞬間だった。
 それまで眉間に深い皺を刻んでいた諸泉が、目に見えて硬直する。そしてカッと目を見開き、口をはくはくと動かしながら土井、そして彼女を交互に指さした。

「おまっ、お前らっ、そういう――」
「これは土井先生のご厚意でいただいたものなので、それ以上の意味はありませんから」

 妙な勘違いをされぬよう、釘を刺すように諸泉の言葉を遮ってそう告げる。雑渡をはじめとするタソガレドキの忍びたちには『学園長の秘密の恋人』であると伝えている上に、なぜか諸泉からは『雑渡を誑かそうとしている』と誤解までされている。そこでさらに土井との関係まで変に勘ぐられたら、ややこしいことこの上ない。
 彼女の説明に納得したのか、諸泉はがっくりと肩を落とし、土井を見て「お前はそういう男だったな」と吐き捨てるように言った。そして再び彼女を睨む。
 じろじろと穴が開きそうなほど見つめてくる諸泉に、さすがに耐えられなくなった彼女がぱっと目を向ける。まっすぐ視線を返され、珍しく諸泉が怯んだ様子を見せた。

「あの、変ですか?」
「べ、別に変だとは言ってないだろ」

 声が僅かに裏返り、語尾が強まる。
 その様子を見ていた土井が、頬杖をついたまま面白がるように口を挟んだ。

「似合ってるよね、尊奈門くん」

 どこかからかうような声色に、諸泉はふんと鼻を鳴らすだけで、それ以上は何も言わなかった。
 もし、雑渡であれば――。
 あの男なら、こんな場面でもさらりと『似合う』だの『可愛い』だの、平然と言ってのけるのだろうな。
 容易くそんな光景が浮かび、彼女は静かに視線を落とした。

「お前……それ、絶対組頭に見せるなよ」

 諸泉の言葉は、忠告というよりほとんど命令に近い言い方だった。
 『それ』というのは、この簪のことだろう。別に雑渡に見せようなどと微塵も思っていなかったが、心を読まれたようで、彼女は思わず身構える。

「……なんで?」
「なんででもだ!」

 そう叫び、諸泉は誤魔化すように運ばれてきた団子を頬張った。噛みしめる仕草には、妙な苛立ちと焦りが滲んでいる。なんと血の気の多い青年だろうか。
 この男には、優しくできないかもしれないな――。
 彼女はそう思いながら、茶碗を手に取ってゆっくりと茶を啜ったのだった。


(20260126)