余計な一杯


 彼女の里には、古くから言い伝えられている〝影走りの忍び〟という怪異がある。死んだ忍びが月夜に影となって現れ、屋根から屋根へ火の粉のように飛び移る。そしてその影に踏まれた者は、翌朝までに息絶える――そんな内容だ。
 幼い頃にその話を聞いてから、しばらくはあらゆる影に怯えていた。彼女はそんな昔を回顧しながら、連子窓から差し込む月光に照らされて己へと伸びる、雑渡昆奈門の影をただ黙って見つめていた。

「ふむ、悲鳴一つ上げないとは。随分と落ち着いているね」
「……人は、驚きすぎると声が出ないものです」

 半分は嫌味、もう半分は本音だった。
 言ってやりたいことは山ほどあったが、ぐっと堪えて彼女は短く答える。いつかはこんな日が来るだろうと思っていた。しかし、まさかこんなにも早く再会することになるとは。疲弊しきった身体が一層強ばり、彼女は息を殺した。
 そもそもこんな夜遅くに学園に忍び込むなど、いくら生徒たちと親しいとは言え許される行為ではない。今の彼は、まさしく食満の言っていた『曲者』そのものである。
 彼女の険しい眼差しに気付いたのか、雑渡はわざとらしく両手を顔の横へ挙げてみせた。

「ああ、君に危害を加えるつもりはないよ。一応、寝ている小松田くんの枕元にあった入門票にもサインしてきたし」
「……そうですか。あの、明かりをつけても?」

 雑渡は「どうぞ」と軽く頷いた。
 飄々と話す雑渡に、初めて会ったときのような重苦しい威圧感はない。だが、それで警戒を解くほど彼女も甘くはなかった。油皿の灯心に火を灯す間も、雑渡は彼女から目を離さない。
 淡い橙の光が微かに揺れる。明かりと言ってもそれはあまりにも心もとなく、部屋の隅は闇に沈んだままだ。時折膨らんだ炎が、距離を保ったままの二人の影をゆらりと揺れ動かした。

「君に、聞きたいことがあってね」

 沈黙を破ったのは雑渡だった。
 
「私としては、君がいくら学園長殿の知り合いとはいえ、山賊に命を狙われているというだけで学園に保護されるのは不自然ではないかと思っているんだ。山賊ごとき、」

 懲らしめてしまえばよいのに。
 さらりとそう言ってのける雑渡に彼女は苦笑した。威圧感はない。しかし、言葉の端々に底知れぬものが滲んでいる。

「……私のような女子に、山賊を懲らしめる術などございませんよ」
「君になくともこの学園にはあるだろう。それなのに、なぜわざわざ『保護』などと回りくどい方法を取るのか、些か気になってね」

 雑渡からすれば、タソガレドキ城の城代の身に起きたことを彼女に説明した上で、城代と懇意にしていた女との関係性を尋ねた方が早い。しかし、城代襲撃事件については極秘事項。彼女の素性が何一つ分からない今、余計な情報を与えることは得策ではない。そう判断した上での問いかけであった。
 一方、彼女は。

「(やっぱり無理があるじゃん……)」

 学園長考案の設定に、ただただ嘆いていた。
 雑渡とは二回しか会ったことがないとは言え、彼がどれほど優秀な忍びであるかを彼女はよく理解していた。だからこそ、雑渡がただ疑っているのではなく、山賊云々の設定が嘘であることを見抜いた上での質問であることに気付いていた。
 雑渡の隻眼から目を逸らし、彼女は短く息を吐いた。嘘であることがバレている以上、同じ嘘を突き通すのは無理だ。しかし、本当のことを洗いざらい話すわけにもいかない。
 それならば――。

「……確かに、学園長殿の知り合いで山賊集団に命を狙われている、というのは嘘です」

 彼女の言葉に、部屋の空気が静かに凍りつく。ぴんと張られた弦のような緊張が広がった。
 それならば――別の嘘で塗り替えるしかない。表では口にするのも憚られるような、そんな嘘で。

「実は私は、学園長殿……いえ、大川様の秘密の恋人なのです」

 彼女が大真面目にそう言った直後、天井裏からゴッと鈍い音が落ちてきた。どうやら上にもいるらしい、と彼女は一瞬だけ目線を上げ、すぐに雑渡へ戻す。彼は驚きも笑いもせず、先日同様「ふむ」と呟くだけだった。

「大川様が私の働いていた茶屋に来られたのがきっかけです。離れている時間が愛を育むとは言いますが、私には大川様と一緒に過ごせない時間が辛くて……こうして学園内に住まわせてもらっているのです」

 恋する乙女を演じながら、彼女の頭の中では明日にでも学園長に事情を説明して協力を仰がねばならない、という思考が渦巻いていた。学園長思いつきの設定のせいでこんな目に遭っているのだから、それくらいは許してもらおう。
 付け加えるように「生徒や先生方には内緒ですよ」と言えば、しばらく考え込んでいた雑渡は顎に手を当てて「確か」と呟いた。

「学園長殿には以前ガールフレンドが何人かいらっしゃったはず……つまり君も、学園長殿とそういう仲ということかな」
「そうです」

 一体どこからそういう情報を手に入れるのだろう、と思いながら、彼女は真剣な表情で頷いた。
 恋人という嘘は、山賊に命を狙われているという嘘よりも突飛ではあるが『他の者たちには秘密の関係』にしておけば深入りされないはず。それに、あの有名な大川平次渦正の恋人と言っておけば、雑渡たち他所の忍びへの牽制にもなると思ったのだ。少なくとも夜遅く、許可なく訪ねてくることはなくなるだろう、と。
 もちろん彼女自身、いつまでもこの嘘が通用するとは思っていない。どうせ三月後にはここを出ていく。その間だけ凌げればいい。とにかく忍びであることがバレなければいいのだ。

「生まれは?」
「ナメコ領にあった村と聞いています。幼い頃から各地を転々としていたので、故郷と呼べる地はありません」
「家族は?」
「最近は会っておりませんが、父と母、それに祖父がおります」

 どちらも嘘だが、彼女は以前に忍たまたちへ説明した話と同じ内容を雑渡にも伝えた。嘘の数は可能な限り少ない方がやりやすい。
 さらに雑渡から質問が飛んできそうな気配を察知し、彼女は先手を打った。

「とにかく!」

 声を張り上げ、勢いのまま雑渡を指さす。

「私のことを疑っているようですが、私は普通の恋する女子です。こんな夜更けに女子の部屋を訪ねるなど、いくら偉い方とは言え礼儀がなっていないのでは?」

 そう言い切るや否や、彼女はその指先を天井へと向けた。

「上にいらっしゃる方々もです!」

 しん、と部屋の中が静まり返る。普段は目上の者に礼儀正しい彼女も、さすがに今日一日の疲労も相まって遠慮というものを忘れていた。彼女の言葉を要約すればたった一言、『帰れ』である。
 一刻も早くこの状況を終わらせて眠りたい。その一心だったわけだが、天井裏で忍んでいる者たちの存在については、いくら音がしたとは言え流すべきだったかもと彼女はほんの少しだけ後悔した。
 油皿の上で、小さな炎だけが揺れ続ける。沈黙が長く伸びたそのとき、雑渡が軽く俯いたかと思ったら、突然大きな声で笑い出した。

「な……」
「ふ、いや、失礼」
 
 思わず肩を跳ねさせた彼女は、拍子抜けしたように瞬きをする。
 この男、こんなふうに笑えるのか――。
 雑渡は彼女に向けてか、それとも天井裏の部下に向けてか、ひらりと片手を振った。

「仰る通りだ。申し訳ない、学園の関係者はすべて調べることにしていてね」
「はあ」
「今日のところはこれで失礼するよ」

 雑渡がそう言うなり、天井板が一枚外される。そして彼は音もなく天井裏へと消えた。
 今日のところは――。
 その言葉が頭に引っかかっていた次の瞬間、彼女の視界に逆さまの顔がぬっと現れた。驚いた彼女がびくっと全身を震わせる。

「っ!?」
「次はぜひ、ゆっくり茶でも」
「……お断りし」

 最後まで言い切る前に、ぱたん、と板が元に戻る。
 また顔だけ出してくるのではないか、と警戒してしばらく天井を睨んでいた彼女だったが、ようやく何も起きないことが分かり、へたりとその場に座り込んだ。
 うまく誤魔化せたのかは正直分からない。しかし、とりあえず乗り切った。
 張り詰めていた糸がふっと緩み、彼女は揺れ続ける油皿の火を消すと、布団も敷かず冷たい床に身を横たえた。外ではまだスズムシが鳴き続けている。その声を聞いているうちに、次第に緊張が解け、瞼が重たくなっていく。
 ――『次』だなんて。
 そんな簡単に、あってたまるものか。


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 翌日。
 彼女は食堂のおばちゃんから預かった大きな葛の根を抱え、医務室へと向かっていた。
 普段は小さな物音でも目を覚ます彼女だが、昨晩は泥のように眠ってしまい、いつもより遅めに食堂へ顔を出した。するとおばちゃんから「ちょうどいいところに来た」と言われ、これを渡されたのだ。
 話を聞けば、なんでもいつも食材を卸してくれる方が特別にと学園へ持って来てくれたらしい。
 葛の根は料理にも使えるが、葛粉にするまでの工程が酷く面倒だ。その代わり、葛粉を湯で溶いた葛湯は、病人や体の弱った人に与える薬湯として重宝されている。
 せっかくだから保健委員会に、とおばちゃんが思い立ったまさにそのとき、彼女が食堂へ現れたのだった。最近では、彼女はすっかり保健委員会と一対で扱われる存在となっていた。
 この時間帯なら六年生の伊作がいるはず。そう考えながら、彼女は医務室の障子を開けた。

「善法寺くん、食堂のおばちゃんが葛を――」

 ぴたり、と動きが止まる。
 医務室にいたのは、薬研を扱う伊作、薬箪笥の中を整理する乱太郎、そして。

「やあ、殿。お邪魔しているよ」

 医務室の中央に堂々と居座る雑渡、および彼の部下である山本、高坂、諸泉だった。
 普通にいる。しかも数が多い。
 横座りして気安く下の名前を呼ぶ雑渡。軽く会釈をしながらもじっと彼女を見つめる山本、高坂。そして会釈もせず、誰よりも厳しい眼差しを向ける諸泉。その光景にうんざりした彼女が踵を返そうとした瞬間、手に抱えた葛の根に気付いた伊作と乱太郎が目を輝かせて駆け寄って来た。

「これ、葛根じゃないですか! さん、どうしたんですかこれ!」
「あ……食堂のおばちゃんがいただいたらしくて、ぜひ保健委員会で使ってほしいと」
「うわあ、僕初めて見ました……! 伊作先輩、これってとても高級なんですよね?」
「粉にするまでが大変だし、できたとしても大量には取れないからね。でも胃の薬にもなる上に解毒作用もある。あと風邪の初期症状にも効く、すばらしい生薬だよ」

 目の前で盛り上がる二人に葛を渡し、今度こそ退散しようとしたそのとき、背後でわざとらしい咳払いが聞こえた。思わず彼女の足が止まる。
 そのまま逃げてしまえばよかった。振り向いてしまったことを、彼女はすぐに後悔する。

「喉が渇いたな」

 喉元に手を当てて呟く雑渡。しかし彼の部下たちは動かず、伊作と乱太郎に至っては葛の根に夢中で聞こえていない様子だ。
 雑渡は彼女に柔らかな笑みを向け、首を僅かに傾げる。

殿、申し訳ないが茶を一杯もらえないか?」
「……忍びの方が、他所で出された茶を飲んでもよろしいのですか?」
「問題ないよ。もちろん、殿が私の茶に何か盛ろうとするなら話は別だが」

 君にそんな理由はないだろう?
 そう尋ねる雑渡と暫し睨み合ったあと、彼女はふいと視線を外して言った。

「少々お待ちください」
 
 医務室を出る直前、雑渡から抑揚なく「待ってるからね」と言われ、彼女は逃げるのを諦めて茶をもらいに食堂へと向かった。わざわざそう言うということはつまり、戻らなければどうなるか分からないぞ、ということなのだろう。
 事実、教えてもいない彼女の部屋を知っている男なのだ。逃げても無駄だ。

「面倒くさ……」

 立花くん、今すぐ医務室に焙烙火矢を投げ込んでくれないかな。
 昨日の出来事を思い出し、そんな不謹慎なことを考えつつ、彼女はとぼとぼと食堂までの道のりを歩いて行った。
 事情を話すと、食堂のおばちゃんが番茶を煮出してくれた。薬缶と人数分の茶碗を盆に乗せ、再び医務室へ戻る。
 準備をしている間に急用とかで帰っていてくれないだろうか、という彼女の淡い期待はあっさりと打ち砕かれ、医務室では誰一人欠けることなく彼女の戻りを待っていた。先程まで葛の根に心を奪われていた伊作と乱太郎も、雑渡たちのそばに座って雑談をしている。
 戻って来た彼女に気付いた乱太郎が、すぐに彼女の手から盆を受け取った。

「すみません、さんにこんなことさせてしまって」
「いえ、皆さんのお茶を淹れたら私は失礼しますので。猪名寺くんと善法寺くんも飲んでくださいね」
「え、さんも一緒にいかがですか?」

 そう誘う伊作に彼女がもう一度「いえ」と首を横に振る。しかし、そのやりとりを聞いていた雑渡が、間を挟むように口を開いた。

「ぜひ、殿も」

 雑渡の隣で、先程から露骨に睨みつけてくる諸泉に視線を向け、彼女は心の中でため息をついた。きっと昨晩、天井裏で音を立てたのはこの男だろう。
 とにかく、茶の誘いはきちんと断ったはずなのに、どうやら逃がす気はさらさらないらしい。彼女は観念し、黙って茶の支度を始めた。
 それにしても何とまあ異様な光景だろう。
 話には聞いていたが、何食わぬ顔で部下を連れ、忍術学園の医務室に居座る雑渡の姿には違和感しかない。だが伊作も乱太郎も特に警戒する様子はなく、自然に彼らを受け入れている。その様子を見ていると、違和感を覚えている自分の方がおかしいのではないか、という気さえしてくる。
 忍術学園とタソガレドキの忍びたち、一体どういう関係なのか。そのあたりは、それとなく調べておいた方がいいかもしれない。
 そんな思いを巡らせながら茶碗に薄い琥珀色の茶を注ぐ彼女に、乱太郎が声をかける。

さん、もう全員分ありますよ。一つ多いです」
「え? でも、ちゃんと人数分……」

 ぱっと顔を上げた彼女は、全員の前に並べられた茶を見て、はたと動きを止めた。
 そこにいる全員、とりわけ雑渡から向けられる視線を強く感じながら、乱太郎の指摘通り一つ多く用意してしまった茶を手に取る。

「どうぞ」

 そう言って彼女が差し出した先は、骨格標本のコーちゃんだった。

さん、コーちゃんはお茶飲めないんですよ」

 伊作が困ったように、しかしどこか優しく笑いながらそう告げる。その背後で、ずっと沈黙していた諸泉が冷めきった声色で「お前、馬鹿なのか?」と呟いた。
 貴方にだけは言われたくありません。
 そう言い返したい気持ちを抑えて、彼女は何も言わず自分の茶を一口啜り、軽く咳払いをした。

「ところで、タソガレドキの皆様はどういった御用で学園に?」

 彼女の問いかけに、伊作も頷く。

「確かに、皆さんが揃って来られるのは珍しいですね」

 なるほど。どうやら普段は誰かしら欠けているのが普通のようだ。
 ちら、と諸泉が隣に座る雑渡へ視線を送る。雑渡は「うん」と頷いたあと、いつもの淡々とした口調で話し始めた。

「実は、我がタソガレドキ城の城代の危機を救った素性不明の女子について調べていてね。今日はその件で学園長殿と話をしに来たのだよ」

 その言葉に、山本と高坂、諸泉は僅かに緊張を走らせた。肝心な部分は伏せているとは言え、極秘である城代襲撃事件について触れる内容だったからだ。しかし、その微細な空気の変化は伊作や乱太郎、そして彼女にも伝わらない程度のものであった。
 すぐに乱太郎が「じょうだい?」と言って小首を傾げる。伊作は乱太郎に対して城代とは何かを簡単に説明したあと、少し気遣うように雑渡を見た。

「それ、僕たちが聞いていい話なんでしょうか?」
「もちろん、重要な部分は話さないさ」

 それを聞いてほっと息をつく伊作を横目に、彼女は静かに茶を啜った。
 タソガレドキ城の城代の危機を救った素性不明の女子。それはもちろん彼女の姉のことであるが、最終の試しを受けていた姉が三月の間どこで何をしていたのか、なぜ試しに落ちて死なねばならなかったのか、何一つ知らない彼女が雑渡の遠回しな探りに気付くはずもなく。

「(案外、素性不明の女子なんて多いものなのかもな)」

 そんなことを考えながら茶を飲む彼女の様子を見て、雑渡は小さく笑みを零し、立ち上がった。

「では、我々はこれで。邪魔したね」
「いえ、また薬が必要なときは寄ってください」

 雑渡と伊作の会話を素知らぬ顔で聞きながら、薬を貰いに来ることがあるらしい、と心に留める彼女にふっと影が落ちた。
 彼女のすぐ横を通り過ぎようとした雑渡が、静かに膝を折って身を寄せる。

「な、なんですか」

 ぎくりとして見上げた彼女は緊張した様子で言った。雑渡は圧が強いだけでなく、単純に身体が大きいため、彼女からすれば恐怖を抱かずにはいられないのだ。
 雑渡の手が伸びる。反射的に目を閉じた彼女の髪を、指先が軽くすくった。

「寝癖、ついてるよ」

 それだけ言うと、雑渡は何事もなかったかのように部下を引き連れ、医務室を出て行った。
 突然のことに呆けていた彼女だったが、しばらくしてかっと顔を赤くする。
 今朝はいつもより起きるのが遅くて身なりに気を遣わなかったから、と内心で言い訳をしつつ、わざわざ触らなくても口で言えばいいじゃないかと、徐々に苛立ちを募らせる。
 はあ、とため息をついて顔を上げると、伊作と乱太郎は再び葛の根に夢中になっていた。頼まれて用意した茶のうち、雑渡たちに出した分は一口たりとも手をつけられていない。
 タソガレドキの忍び四人――いや、五人が去った医務室は、やけに広く感じられた。苦し紛れにコーちゃんの前へ置いた茶を見て、彼女はがくりと項垂れる。
 それに気付いた伊作が、満面の笑みを浮かべて彼女に近づいた。

「気にしなくて大丈夫ですよ。寝癖、そんなに目立ちませんから」

 そうじゃない!!


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「面白いね、あの子」

 城への帰り道、前触れもなく雑渡がそう口にした。すぐそばを走っていた山本は思わず彼へ目を向ける。
 〝あの子〟というのは、言わずもがな学園の保護下に置かれている彼女、のことだろう。
 面白いか、と問われれば――。泣く子も黙るタソガレドキの忍び組頭に対して臆することなく啖呵を切り、茶の数を間違えた失態をしれっと誤魔化す姿は、確かに面白いと言えば面白い。

「まあ、そうですね」
 
 山本は無難にそう答えた。
 だがタソガレドキの本来の目的は、彼女が面白い女子かどうかを調べることではない。
 雑渡以外の面々は、昨晩からずっと彼に振り回されていた。学園で暮らす彼女については内々に調べるしかない、と話していたのは雑渡自身であり、実際すでに押都長烈率いる黒鷲隊が動き出している。
 それにもかかわらず、昨日突然「ちょっと忍術学園ののところへ行ってくる」と雑渡が言い出したものだから、慌てて随行する羽目になったのだ。
 釈然としない表情を浮かべる山本の背後から、諸泉が「しかし……」と会話の流れに滑り込んでくる。

「組頭が城代の話をされた際、とくに目立った反応は見せませんでしたね」
「そうだね」
「やはり……ただの馬鹿な女子なのではないでしょうか」

 昨晩、天井裏で音を立てるという忍びとしてあるまじき失態を犯した諸泉は、その原因の一端となった彼女をどうしても『馬鹿な女子』にしたいらしい。
 もっとも彼の言葉通り、彼女が城代の話に対して特別な反応を示さなかったのも事実ではある。
 林の中を飛ぶように進んでいた雑渡が、ふいに木の上で足を止めた。振り返り、諸泉を一瞥すると、呆れたように小さく息を吐く。

「尊奈門。そんなんだから、お子様忍者たちから『しょせんそんなもん』と呼ばれるのだよ」
「うぐっ……く、組頭ぁ!」
「ただの馬鹿な女子が――」

 言いかけて、雑渡は言葉を切った。すでに遠くなった忍術学園の方角へと視線を向ける。
 自身を学園長の恋人だと、臆面もなく言い切ったあの態度。骨格標本に茶を振る舞いながら、何食わぬ顔をしていたあの姿。
 下手な取り繕い方だと笑ってしまえばそれまでだ。だが、それだけで片付けられない違和感が、確かにあった。

「――上に忍んでいた、押都の存在に気付くかね」


(20251217)