悪夢
偽りの皮は、そうそう永くは保たれぬもの――。
静寂に沈む闇の中、ただ一人歩く彼女の耳にそんな囁きが忍び寄る。振り返れば、山で出会ったときと変わらぬ静けさで佇む雑渡の姿があった。
「君、忍びだろう」
雑渡の確信めいた口ぶりに答えようとした瞬間、不安や恐怖がぬめりのように彼女の足元にまとわりつき、ずぶりと身体を沈めていく。抜け出そうと伸ばした指先は宙を掻くだけで、彼女はさらに深く、底へと引きずり込まれていく。
そんな彼女を黙って見下ろしていた雑渡は、最後に冷たく言い捨てた。
「私を欺けると思うな」
はっ、と目を覚ました。
戸の外で忙しなく鳴く雀の声に揺り起こされ、ゆっくりと半身を起こす。額に滲んだ汗を手の甲で拭い、彼女はげんなりして息を吐いた。
なんとも最悪な目覚めだ。そしてこの最悪な目覚めは、先日保健委員や食満と一緒に裏々山へ行き、雑渡と出会った日から毎日のように続いている。
すっきりしない頭で布団を畳み、外へ出る。朝のひやりとした空気が肌を撫で、彼女の意識をようやく覚醒させていった。庭へ降りて井戸端に置いてある手水用の桶で水を掬い、顔を洗う。
何者? だなんて、怪しんでいなければ聞きはしないだろう――。
顔から滴り落ちる雫が桶の水面を揺らす。ふと、そこに映った揺れが雑渡の鋭い眼差しへと形を変えた気がして、彼女は思わず目を伏せた。
あの雑渡昆奈門とかいう、おかしな名前の男。聞けば保健委員の面々、特に伊作や伏木蔵と懇意にしているらしく、学園にも頻繁に姿を見せるという。なぜ城勤めの忍びが学園の子どもたちに会いに来るのか、その理由は分からないが、そういうことであれば彼女自身もまた雑渡と顔を合わせる機会があるかもしれない、というわけで。
あぁあああ、と叫びたい気持ちを鎮めるため、彼女は桶の水にばしゃりと顔を沈めた。そもそも、なぜあの男は初対面の自分のことをあれほどまでに怪しんでいたのだろう。仮に保健委員と一緒にいる姿を監視されていたとして、果たして不自然な行動をとっていただろうか? いや、ない。ボロが出ないよう細心の注意を払っていたし、絶対にない。
次、もし彼に会うことがあれば、どんな顔をしていればいいだろう――。
冷たい水が、自問自答する彼女の顔だけでなく身体全体をじわじわと冷やしていく。
「ちょっと、大丈夫?」
「ぶはっ」
肩をとん、と軽く叩かれて勢いよく顔を上げると、傍らにしゃがみこみ驚いたように目を丸くする女――くの一教室の担当教師、山本シナがいた。前髪、そして顔からぼたぼたと水を垂らす様をじいっと見つめてくるシナの瞳に、だんだんと恥ずかしさが込み上げてきた彼女は手拭いで顔を拭いて立ち上がった。
「し、失礼しました、大丈夫です」
「それならいいんだけど……でもまあそうよね、いろいろ心配事もあるわよね」
「心配事……そうですね、早く山賊の件が片付けばいいのですが」
シナが口にした『心配事』という言葉に何か見透かされたか、とぎくりとした彼女だったが、すぐに設定のことを思い出してそう答えた。ここでの彼女は、〝山賊に命を狙われている普通の女子〟なのである。
しかしシナは土井同様、彼女が忍術学園にやってきた本当の理由を知る人物の一人であった。当然それを知らずにいる彼女の言葉に一瞬だけきょとんとしたシナだったが、すぐに理解し「そうね、それもあるけれど……」と小さく呟いた。シナの反応に、今度は彼女がきょとんとする。
「早速、一年生が探していたわよ。さんに委員会の仕事を手伝ってもらうんだ、ってね」
大変ね、と言いながら優しく微笑むシナに、彼女はがっくりと項垂れた。
そうだ。彼女が抱えている不安要素は、何も雑渡の存在だけではない。自身の長屋とは離れた場所にある忍たま長屋。そこから聞こえてくる子どもたちの楽しそうな笑い声に、彼女は重いため息をついた。
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「ねえ、さんいた?」
「いないみたい。こっちに走って行ったと思ったんだけどなあ」
浅葱色の忍装束を着た子どもが二人、落胆した様子でそう会話しながら立ち去っていく。そんな小さな背中を茂みの中から見送った彼女は、まいったな、と心の中で呟いた。
上級生は比較的落ち着いているが、下級生からすればやはり急に学園で暮らし始めた女が珍しいのだろう。最初は遠巻きに見ているだけだった子どもたちが、ある日を境に一気に距離を詰めてきた。ついには食堂や廊下で何の用事もないのに声をかけられるようになり、保健委員会の薬草とりを手伝ったことが噂になって、今では他の委員会からも協力の依頼が来るほどだ。中にはアルバイトを手伝ってほしい、おいしいお団子を食べに行こう、字の練習に付き合ってほしい、作ったからくりの実験台になってほしい……など、委員会活動とはまったく関係のないお誘いが来ることもある。子どもが苦手な彼女にとっては大変難儀なことだった 。
初めて学園に来た日、土井が『子どもたちの方が迷惑をかけるかもしれない』と言っていたことを思い出す。実際、ためらうことなく積極的に彼女に話しかけてくる子どものほとんどは、土井が担当を受け持つ一年は組の生徒たちだ。
「(とりあえず、部屋に戻って静かにしていよう……)」
幸い、彼女の自室のある長屋は生徒が立ち入ってはいけない場所にある。立ち上がろうとしたそのとき、背後の茂みががさりと揺れ、彼女は慌てて振り返った。
そこにいたのは薄汚れた一匹の猫だった。恐らく野良だろう、若い猫はお腹を空かせているのか、彼女の足元にそっと痩せた身体を擦り寄せてくる。少し迷った末に背中を撫でてやれば、指先にごわついた毛の感触が残った。
「……餌が欲しいなら、もっと優しい人のところへ行きなさい」
にゃあ、と返事をするように鳴いた猫の喉を指で撫でていたら、先程猫が現れた茂みが再び揺れて一人の子どもが現れた。またもや浅葱色の忍装束、忍たまの一年生だ。彼女の「げっ」という声と、彼の「はにゃ?」という声が重なる。
「さん、こんなところで何をしているんですか?」
「しっ! 静かに! 声が大きい!」
慌てて彼――山村喜三太の口を塞ぐと、喜三太は少し不服そうに「さんの声の方が大きいですよぅ」と返した。確かに彼の言う通りである。喜三太がやってきたからか、彼女が大きな声を出したからか、いつの間にか足元にいた猫は姿を消していた。
周囲を窺って先程まで自身を探していた子らが戻って来ないことを確認した彼女は、そっと喜三太の口から手を放す。
「ごめんね、ええと君は……」
「一年は組の山村喜三太です」
「山村くん、ここで私を見たことは内緒にしておいてもらえますか?」
唇に人差し指を立ててそう頼む彼女に、喜三太は不思議そうに首を傾げたあと、「分かりました!」と元気よく頷いた。その様子に彼女はほっと胸を撫で下ろす。一年生にしては随分と物分かりのいい子で助かった、と。
さて、では一刻も早く部屋に戻らねば。そう思い、彼女がその場を去ろうと立ち上がったそのときだった。喜三太が彼女の着物の裾をぎゅっと掴んだのである。えっ、と思いつつ見下ろせば、困ったように眉を下げた喜三太と視線が重なる。
その瞬間、彼女は嫌な予感がした。随分と物分かりのいい子でも、彼はあの『一年は組』の生徒なのである。
戸惑う彼女を見つめたまま、喜三太は話し始めた。
「実は、ナメ菊とナメ助がいなくなっちゃって……僕、困ってるんです」
「なめ……何?」
「ナメ菊とナメ助。僕が飼っているナメクジさんです」
そう言って、喜三太はずっと胸に大事そうに抱えていた壺を彼女に見せた。今、この子、ナメクジって言った? と混乱しつつ壺の中を覗けば、複数のナメクジがうねうねと動き回っている。予想外の光景に彼女は思わず「ひっ」と小さく悲鳴を漏らした。
「なので学園内のジメジメしたところを探してるんですけど見つからなくて……さん、手伝ってください!」
「そ、そんな遠くには行けないだろうし、山村くんの部屋に隠れているのでは……?」
じりじりと壺を寄せてくる喜三太に彼女は顔を引き攣らせる。単体なら特に何も思わないが、大量に蠢いているのを見るとさすがに不気味だ。迫り来るナメクジの壺に、自然と彼女も後ずさりする。
「部屋は一番に探しました! でもいなくて……お願いです! ここでさんを見たことは内緒にしておきますからぁ!」
「それだとまったく意味が……!」
「喜三太~、ナメクジ見つかった? あ、さん!」
そう言いながらひょこ、と茂みの向こうから顔を出したのは福富しんべヱである。乱太郎と行動を共にしていることの多いしんベヱと彼女はすでに何度も顔を合わせており、一緒においしいお団子を食べに行こうと誘った張本人だ。恐らく一緒にナメクジを探していたのだろう。
涙目で縋りついてくる喜三太を突っぱねることができずにいた彼女は、しんベヱの登場にまたもや『一年は組』か、と軽く絶望した。
一方、しんベヱは彼女に向かってニコッと笑顔を浮かべる。
「さん、さっき兵太夫と三治郎が探していましたよ! 僕、二人を呼んで来ますね~」
「っま、待って!」
そう言って、走って行ってしまおうとするしんベヱの肩を彼女は慌てて掴んだ。さらに一年生が増えてしまえば収拾がつかなくなってしまう。
この二人の隙をついて部屋に戻ることはできる、が――。きらきらとした眼差しを向け、じっと彼女の次の言葉を待つ二人。彼らを交互に見て、諦めた彼女はふうと息を吐いた。これも試験の一環である。そう言い聞かせ、観念した彼女は二人にナメクジ探しを手伝うことを告げたのだった。
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「と、言ったものの……ナメクジの見分けなんてつかないしなあ」
学園の隅にある木立の中で、落ちている石をひっくり返しながらぽつりと呟く。今の季節はナメクジの繁殖期、そのうえ朝方まで降った雨のせいで辺りは湿った空気に包みこまれており、探せば容易に見つかりそうではある。が、仮に見つけたとしてもそれが喜三太の言うナメ菊とナメ助でなければ意味がない。思った以上に捜索は難航し、時間だけが刻々と過ぎていく。
一体自分は何をしているんだろう。拾った木の枝でガサガサと落ち葉をかき分けながら、半ば自棄になっていた彼女は誰かの足音に気付いて顔を上げた。一瞬身構えたが、察するに一年生ではない。
現れたのは一人の女性――ではなく、女装姿の立花仙蔵だった。木立の中にしゃがみ込み、一人で落ち葉の山をつついている彼女を見て立花は眉をひそめる。
「さん、こんなところで一体何を?」
「立花くん……実は、かくかくしかじかで」
「そうですか、喜三太のナメクジを……」
どこか引き気味にそう呟いた立花は、呆れたように深くため息を吐いた。
そういえば六年生は実習に出ている、と誰かが話していたのを聞いた覚えがある。そのことを思い出しながら、彼女は立ち上がって立花を見つめた。立花の女装姿は美しいが、疲れからか目の下には影が落ち、唇の紅も薄く剥がれている。
「まったく……我々は学園長先生の大事な御方をお預かりしている立場だというのに、下級生は皆さんに甘えすぎです。その責任は、最初に薬草とりを手伝わせた保健委員会委員長の善法寺伊作にあると思いますが……」
切れ長の瞳で遠くを睨み、不機嫌な様子でぶつぶつと話す立花に彼女は「はは」と乾いた笑いを漏らした。神経質で、真面目そうな子。立花の今の姿は、最初に彼に抱いた第一印象そのままだ。
立花と彼女が一緒にいることに気が付いたのか、別の場所を探していたしんベヱと喜三太が元気に駆け寄って来る。
「立花先輩! 先輩も一緒にナメクジさんたちを探してくださるんですか?」
「馬鹿言うな、私は忙しい。というかお前ら、さんを馬鹿馬鹿しいことに巻き込むんじゃない!」
立花に叱られたしんベヱと喜三太は、ぎゅっと彼女の腕にしがみついた。ぐいぐいと両側から引っ張られるが、彼女は立花のように強く言うことができない。
「馬鹿馬鹿しいだなんて、立花先輩ひどいです! 大事なナメクジさんたちが行方不明なんですよ?」
「そうですよ、それに僕らはさんを巻き込んでなんかいません。さんは優しいから、お手伝いしてくださってるんです」
二人の反論に、立花の纏う空気がふっと別のものに変わる。こめかみに青筋を浮かべ、「お前らなあ」と彼が低く呟いた瞬間、しんベヱと喜三太は彼女の腕を掴んだまま走り出した。
「あっちの広いところにいるかもしれないので、あっちを探しましょう~!」
「ちょ、ちょっと待って」
二人に引っ張られるがまま、彼女は木立を抜けて広い運動場へ出た。走れば走るほど学園の広さを思い知らされる。こんな広い場所で特定のナメクジ二匹を見つけるなんて、無理な話だ。
走り続ける二人を一旦止めようと彼女が両腕にぐっと力を込めたところで、後ろから追って来た立花が「そっちは危ないぞ!」と叫んだ。その瞬間、右足が地面を踏み抜くのを感じ、彼女は咄嗟に両腕を振り払いしんベヱと喜三太を左右へ強く押した。
直後、彼女を襲ったのは浮遊感と衝撃。
「いっ……たあ……」
鈍い痛みが臀部から全身に駆け巡っていき、彼女は呻き声を上げた。運動場に掘ってあった落とし穴に落ちたのである。
油断した。学園で暮らし始めて十日余り、せっかく自然に落とし穴を回避する歩き方を会得したというのに。
大人が三人ほどは入りそうな広く深い穴の底は、雨をたくさん吸い込んだ土のにおいがした。それは彼女にとって最悪な記憶を呼び起こす、彼女が大嫌いなにおいでもあった。
「さん、大丈夫ですか~!?」
上の方からそんな声が聞こえて閉じていた目を開ければ、しんベヱと喜三太、そしてもう一人、見知らぬ子どもが穴の中を覗き込んでいる。子どもと言っても下級生ではないようだ。右手に鋤を持った彼は、彼女を見て目を丸くし「おやまあ」と言う。
一瞬だけ穴の中が暗くなったかと思えば、上から立花が飛び降りて来た。長い髪を靡かせて颯爽と着地した立花は、未だ尻餅をついたままの彼女に深く頭を下げる。
「申し訳ありません。この穴は、我が作法委員会の綾部喜八郎が掘ったもの……喜八郎、お前も謝れ!」
「すみませ~ん」
上から軽い謝罪の言葉が落ちて来て、彼女はため息を零した。そうか、彼が綾部喜八郎か。穴に落ちた時点でそうではないかと思ったが、やはりこの穴も彼が掘ったものなのか。
心配するように見下ろすしんベヱと喜三太の間で、悪びれる様子のない綾部はどういう理由でこの穴を掘ったか得意気に語っている。なんだか頭痛がしてきて額を押さえる彼女に、立花は手を差し伸べた。
「とりあえずここから出ましょう。立てますか?」
「あ、はい……ありが」
「それにしても、先程はお見事でした」
「え?」
「さんがしんベヱと喜三太を突き飛ばしたおかげで、二人は穴に落ちずに済みましたので」
もう一度「見事な判断です」と言う立花の手の平に乗せた彼女の指がぴくりと動く。何度目だろう。『しまったと思ったときには既に遅い』ということを実感するのは。
ぐい、と手を引かれ立ち上がる。湿った土のせいで僅かに濡れてしまった尻を手で払いながら、彼女は短く笑ってみせた。
「たまたまですよ。二人に引っ張られて腕が痛かったので、振り払っただけです」
「そうでしたか……とりあえずここから出ましょう。私が、」
「立花くん……気持ち悪い」
「さんを抱えますので――は?」
彼女の予想外の言葉に立花が固まる。戸惑いの声を漏らし、立花はすぐ目の前に立つ彼女を見つめた。そして、さっと血の気が引いたような顔つきになった彼女が急に着物の合わせをがばっと大きく開いたものだから、もう一度、先程より大きな声で「は!?」と叫んだ。彼女の胸に巻かれているさらしが露わになり、立花の顔も彼女と同じように青ざめていく。
「なっ!? な、何をしているんですか!」
「せ、背中に、何か……!」
「背中!?」
着物から腕を抜き、必死に背中に手を伸ばす彼女。どこに目をやっていいか分からず戸惑う立花。そして、彼女の背中をゆっくりと這うナメクジを目敏く見つけた喜三太が叫んだ。
「ナメ菊! ナメ助! 良かった、そんなところにいたんだ~!」
「た、た、立花くん、取って!」
「ちょ、ちょっと一度落ち着いてくださいさん、動かないで!」
なぜこんな時に、こんなところで見つかるのだ、と混乱する彼女を落ち着かせようと立花が必死に宥める。どうにかしてナメクジを捕まえようとするものの、ナメクジが肌を這う感覚に耐えられない彼女がそわそわと動き回るため、なかなか思うようにいかない。
一旦穴を出てからナメクジを捕まえよう。そう考えた立花だったが、肌を露出させた女性を抱えるのは躊躇われるうえに、この格好の彼女を穴の外へ上げるわけにはいかないと、ひとまず彼女の着物を戻そうとした。しかし、彼女は自分の格好よりも、とにかく肌の上をぬるぬると動き回るナメクジをなんとかしたいのだ。
そんな噛み合わない立花と彼女を見守るしんベヱと喜三太、綾部の元に六年生の食満と潮江が現れた。彼らも立花同様に実習に出ていたためか、いかつい女装姿である。
「お前ら、こんなところで何してんだ?」
「あ、食満先輩に潮江先輩! さんと立花先輩が穴の中で……」
穴を覗いていた三つの顔が五つに増える。穴の底にいる立花と上半身を露わにしている彼女の姿に、食満と潮江は「な!?」と叫んで一気に顔を赤くさせた。わなわなと震え始めた二人は、ほぼ同時に立花を指差して声を荒げる。
「せっ、仙蔵っ! 何してんだお前!」
「なんて羨ま――じゃねえ、さんから離れろこの助平野郎!」
「うるさい! くだらないことを言っている暇があるなら手伝え!」
「だめですよぅ、先輩たちまで穴に降りたらナメ菊とナメ助が潰れちゃいます~」
「あーあ、お腹空いたなあ。僕、食堂でおやつのうどん食べて来ようっと」
「僕は穴掘りに戻りまーす」
ぎゃんぎゃんと、上も下も大騒ぎである。少しだけ冷静になった彼女は、学園に来て一番の大声で叫んだ。
「どうでもいいから! 早く! ナメクジを取って!!」
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大変な目に遭った。
夜、湯浴みを終えて自室へ向かう彼女の足取りは重かった。たった一日を終えただけなのに、心身ともにぐったりとしている。
あれからなんとか喜三太のナメクジは回収できたが、激しく怒り狂った立花がどこからか取り出した焙烙火矢を投げ出し、先生たちまで駆けつけるほどの騒ぎとなってしまった。その結果、彼女は立花に対する印象を『神経質で、怒りっぽい子』に訂正することになったのである。
試験期間の三月を何事もなく終えられるだろうか――。最初は小さな染みのようだった不安が、たった一日でじわじわと広がり、気付けば大きな影のようになっている。
庭先からスズムシの涼やかな鳴き声が聞こえ、彼女は足を止めた。夜もすっかり更けて、学園内は昼間の騒ぎが嘘のように静まり返っている。空に浮かぶ月の光を目にした瞬間、姉が死んだ夜の記憶が鮮明に蘇るが、彼女は深く息を吸って視線を戻し、再び歩き始めた。
過去に囚われている場合ではない。今はとにかく、自分のことに集中しなければ。
歩きながら今日一日を改めて振り返る。立花から身のこなしについて指摘を受けたが、彼もそこまで真剣に疑っている様子ではなかったし、今まで通りの接し方で問題ないだろう。
それよりも、もっと重要なことを考えなければならない。そう、学園によく現れるという雑渡昆奈門に次もし会うことがあれば、どういう顔をしていればいいか、ということをだ。
自室に辿り着いて、障子を開ける。とりあえず疲れたし、今日こそは悪夢を見ることなく穏やかに眠りたい――。
「やあ」
トン、と障子を閉めたところで聞き覚えのある声がした。まさか、と自分の耳を疑いながらゆっくりと振り返る。そこには夢ではない、本物の雑渡昆奈門がいた。
「悪夢だ……」
心の中の呟きが、そのまま彼女の口から零れ落ちた。
(20251206)
(さんは忍びなので、子どもたちの前で服を脱ぐことに抵抗はありません)