腹の立つ女


 表に『有給休暇届』と書いた文を差し出すと、茶を飲んでいた組頭はちらりとその届けを一瞥し、正面で正座している私をまっすぐ見据えた。

「また土井殿と果たし合い?」
「は、はい! 今日こそ、その、土井を倒してまいります!」

 勢いよく前のめりになって答える私に対し、組頭はいたって冷静である。一度瞬きをして「ふうん」と短く言うと、私の有給届を受け取り胸にしまった。胡座をかいて、頑張ってね、と応援の声を掛けてはくれたが、目はまったく笑っていない。背中に一筋、冷や汗が伝うのを感じながら頭を下げて、私は部屋を後にした。
 冬が近付き、詰め所の長い廊下は随分と冷えるようになった。空を見上げれば、そこには鉛を溶かして流したような曇天が広がっている。まるで、私の憂鬱な気持ちをそのまま表しているかのような、そんな空だ。
 角を曲がったところで、私は立ち止まり、それはそれは盛大なため息を吐いた。


---


 すべての始まりは昨日、訓練を終えた直後のことだった。

「組頭の様子がおかしい?」

 忍具を片付けていた私の元にやってきた山本小頭と押都さん、彼らの言葉をそのままオウム返しすれば、山本小頭は窘めるように自身の口に指を当てた。慌てて口元を押さえ、周りを見渡す。すでに組頭を含め私たち以外の仲間は詰め所へ戻っており、私はほっとして止めていた息を吐いた。
 組頭の様子がおかしい。もう一度、今度は怒られないように頭の中で小頭たちの言葉を反芻し、今日の訓練の様子を静かに見守っていた組頭のことを思い返した。――が、特におかしい様子はなかった、と思う。離れた場所から個々の動きを観察し、悪い点は指摘して長所はきちんと評価していた。誰がどう見ても、いつも通りの組頭だったと思う。
 しかし、このお二人は私よりも組頭と長い付き合いだ。より近い場所にいらっしゃるお二人が『おかしい』と言っているのだから、何か思うところがあるのだろう。

「すみません、私はまったく気付きませんでした……」

 落ち込んで肩を落とす私に対し、山本小頭は顎に手を当て、何かを思案して言った。
 
「少し前、組頭が山茶花を持って忍術学園へ行った日があっただろう」
「ああ、そういえばそんなことが……」
「振られたんじゃないか?」

 脈絡なく、ぽつりとそう呟いた押都さんに私は首を傾げた。
 振られた。その言葉の意味に辿り着くより先に、押都さんはもう一度、今度ははっきりと「組頭、殿に振られたんじゃないか?」と言った。
 私の叫ぶ気配を察した山本小頭が、ぐっと強引に私の口を塞ぐ。力強く鼻と口を押さえられ、ふがふが言う私を無視し、山本小頭は「ううむ」と小さく唸った。

「組頭は切り替えの早い御方だ。もし本当に押都殿の言うようなことがあったのならば、逆に我々に『おかしい』と思わせるような姿は見せないだろう。だが今回は、やけにどこか上の空と言うか、何かを考えこんでいる時間が多いというか……」
「山本殿、尊奈門が窒息しますぞ」
「ん? ああ、すまん」

 ようやく苦しみから解放され、ぷはあ、と大きく息を吐く。白くぼやけ始めていた視界が元に戻るのを感じながら呼吸を整える私の肩に、押都さんがぽんっと軽く手を乗せた。振り向いて顔を見合わせるが、雑面のせいで表情は一切読めない。しかし、なんだかにんまりと笑っている気配がする。
 というか、この話が始まった時点で私はずっと嫌な予感がしているのだ。

「というわけで尊奈門。忍術学園へ行き、それとなく組頭と殿の間に何かなかったか、探ってきてくれ」
「ええっ!?」

 私の大声が森に響いた途端、枝に止まっていた鳥たちが一斉に羽ばたいていった。今度は口を塞がれなかったことに内心安堵しつつ山本小頭へ目を向ければ、彼も押都さんと同じ考えでいるらしい。
 思わず一歩、後ろへ下がる。直後、背中が背後の大木にどすんとぶつかった。上司二人の圧に押され、だらだらと汗が流れる。

「なっ、なぜ私がそんなことをっ!」
「私は以前、殿を拉致したことがあったからな。彼女から警戒されているだろう」
「で、では押都さんが適任ではないですか! 黒鷲隊小頭で、諜報には長けていらっしゃいますし……!」
「私は先日殿に簪を贈ってしまったせいで、同じく彼女から……というより、組頭から警戒されている」

 何をしているんですか、と声を荒げる私に、二人はずいと顔を寄せた。追い詰められた獲物のようになった私は、思わずごくりと喉を鳴らす。
 しょっちゅう土井半助との果たし合いを目的に忍術学園へ赴いている私なら、何の違和感もなく学園へ入りこめること。また、不本意だったとはいえ・土井と一緒に団子を食べた過去があり、組頭を除くタソガレドキ忍者の中では私が最もから話を聞き出せる可能性が高いこと。
 それらを滔々と並べ立てた末、小頭二人はにこりと笑みを浮かべた。

「頼まれてくれるよな?」

 そう言われてしまえば、私にできることは黙って頷くことだけだった。


---
 

「それとなく探れ、と言われてもなあ……」

 山本小頭から手土産にと渡された栗入りの荷包みを背負い、私は笠を深く被って息を吐いた。
 適任が私しかいないのは分かったが、『それとなく探る』などという器用な真似が苦手な私に、一体何ができるというのだろう。第一、貴重な有給休暇をこんなことに使わねばならないなんて……。
 そんな愚痴をぶつぶつと零しながら、忍術学園までの道をとぼとぼ歩く。雨が降るまではいかないが、空の雲は厚く昼間だというのに辺りは薄暗い。冷える身体を温めるために走ろうかとも思ったが、そうすると早く学園に着いてしまうと気付いてやめた。
 そもそも、だ。組頭の様子が本当におかしいとして、なぜ小頭たちはそれにが関わっていると判断したのだろう。
 確かに最近の組頭は、いくら忍務が絡んでいるとはいえに肩入れしすぎだと感じている。だが、今回は何か別の事情があるかもしれないではないか。
 大体、私はの存在そのものが気に入らない。組頭には気に入られているようだが、あいつはタソガレドキにとって敵か味方かすら判然としていない、くノ一なのだ。押都さんたち黒鷲隊の力を持ってしても、未だそこは掴めていないと聞く――。
 いまいち腹の底が読めず、無愛想なとは天と地がひっくり返ったとしても仲良くなれる気がしない。いや、仲良くなど、なりたくもないのだが。
 とにかく小頭たちから任されたからには、組頭との間に何か変わったことがなかったか、きちんと探らなければならない。
 そして、あわよくば――あの女の本性を暴いてやる。

「誰の本性を暴くんですかぁ?」

 意気込んでいた私の背後から、間の抜けた声がした。はっとして振り返れば、そこにいたのは忍術学園事務員の小松田秀作。彼は箒を両手に持ち、じいっとこちらを見つめている。

「うわあっ!?」
 
 思わず悲鳴を上げ、尻もちをつきそうになるのを寸前で堪えた。
 こんなへっぽこ事務員に後ろを取られるとは……諸泉尊奈門、一生の不覚である。

「な、なっ、なぜお前がここに」
「なぜって……ここが忍術学園だからですよ、諸泉尊奈門さん」

 ちなみに今は掃除中です、と笑う小松田から顔を逸らして横へ目を向ければ、たしかにそこは忍術学園の正門前だった。急いでいたわけでもないのに、あれこれ考えながら歩いているうちにいつの間にか到着してしまったようだ。
 しかし、こんな風の強い日に掃き掃除など、一体何の意味があるのだ。そう口にしたくなるほど、小松田が掃き集めた落ち葉は風に煽られて次々と吹き飛ばされている。
 いそいそといつものように入門票を取り出した小松田は、それを私に差し出したところで何かに気付いたように首を傾げた。

「あれ? でも今日、土井先生はいませんよ。長屋の溝掃除があるそうで、きり丸くんと二人で帰られてます。お戻りは夕方以降になるかと」
「お前はよくそんなことをペラペラと喋れるものだな……。今日は別に、果たし合いのために来たわけではない」

 さっと入門票に名を記し、小松田の胸元へ押し付ける。彼は不思議そうな顔をして詳しい話を聞きたそうにしていたが、入門票を確認するとすぐに気を取り直し、「では、ごゆっくり」と笑った。そして、再び風に散らされた落ち葉を追いかけるように掃除へと戻っていった。
 門をくぐり、学園内をぐるりと見渡す。探りを入れるのなら、まず本人より先に周囲を洗うのが筋である――。
 あのお気楽な一年は組の乱太郎・きり丸・しんベヱあたりなら簡単に話を聞き出せそうではあるが、逆にお気楽すぎて何も知らない可能性の方が高い。それに、先程の小松田の話によるときり丸は本日不在とのこと。となれば、と一番接点が多いと聞く不運な保健委員会を当たってみるべきか。
 そこまで考え、医務室のある方へ歩き出そうとした、そのときだった。
 前方の角から誰かの話し声が聞こえ、咄嗟に建物の陰に身を隠す。別に、正式な手続きを踏んでここにいるのだから隠れる必要などないのだが、ある意味忍びとしての癖のようなものである。

「そういえば、今日さん見た?」

 不意にの名が聞こえ、こっそりと顔を覗かせる。名前は分からないが、忍装束の色からしてどうやら二年生の忍たまのようだ。人数は二人、を探している最中らしい。
 ちょうどいい。何か話が聞けるかもしれないと、私はそのまま物陰から彼らの会話へ耳を澄ませる。

「もうお風邪は良くなられたみたいだけど、まだ医務室にいらっしゃるんじゃないかな」
「宿題の計算ドリル、教えてもらえるかな」
「とりあえず行ってみようよ」

 そう話しながら帳面を手に駆けていく二人の背中を、私は静かに見送った。
 なんだ。あの女、風邪を引いていたのか――。
 軟弱者め、とせせら笑いながら、背負っている栗が快気祝いと勘違いされはしないだろうか、と眉根を寄せる。本当は土産の品など持って来たくもなかったのに。そうぼやきつつ顔を上げた。
 とにかく、彼らの話によればは医務室にいる可能性が高い。であれば、逆に医務室以外の場所を回ってみるか。
 そう考えた私は、なるべく人目につかぬよう足音を忍ばせ、そっと進む向きを変えた。


---


 なぜだ。

「この間、さんに生首フィギュアの手入れを手伝っていただいてさ、ものすごく綺麗になったんだよ」
さん、最初はちょっと怖かったけど優しいよね。影の薄い僕にもちゃんと気付いてくれるし」

 なぜだ?

さん、髪綺麗だよね〜。今度頼んで髪結いさせてもらおうかなあ」
「先日、さんにユリコの散歩に付き合っていただいたんだが、どうやら火器に興味があるみたいでさ。すごく話が弾んだよ」

 なぜなんだ!?

さんって、三郎の変装すぐ見破るんだよなあ」
「新作の豆腐ができたから、早速さんに味見してもらわないと!」

 なぜあいつは、こんなにも忍たまたちから慕われているのだ!?
 私は建物の壁に片手をつき、がっくりと項垂れた。
 普通なら、のような性格の女は子どもたちから嫌われるか、距離を置かれるものではないのか? それともあいつは案外、子どもたちには優しいのだろうか?
 これまで盗み聞きした忍たまたちの言葉を思い返し、ぎり、と奥歯を噛み締める。本性を暴いてやると息巻いていたが、今まで耳にしてきたのがの本性だというのなら、なんとも腹立たしいことこの上ない。

「それにしてもさんのことだが、なんか怪しくないか!?」
 
 壁についていた手をぎゅっと握りしめた、そのとき。そう遠くない場所から響いた大声に、私ははっと息を呑んだ。
 聞き覚えのある声に、もしやと思いながらそっと覗き込む。するとそこには、忍たまの最上級生である六年生たちの姿があった。
 怪しい、と声を上げたのは七松小平太だ。彼は木の枝に膝裏を掛け、逆さまにぶら下がったまま、ぶらぶらと揺れながら言葉を続ける。

「学園長先生は山賊に命を狙われていると仰っていたが、そんな山賊ごとき倒してしまえば済む話ではないか!」
「……恐らく、山賊云々は学園長先生の作り話だろう」

 冷静にそう告げる立花仙蔵の言葉に、なぜか自分がぎくりとした。
 現状、組頭をはじめとする私たちに命じられているのはを重要人物として見守ること。つまりそれは、彼女が滞りなく『最終の試し』とやらを通れるように監視することであり、加えて、彼女が自身の姉から何らかの情報を得て不審な動きを見せないか見張ることである。
 だが、もし――忍たまたちに彼女の素性が知られたとしたら。

「仙蔵、何か知っているのか!」
 
 気配を潜めて彼らの様子を窺う。すると七松がさらに声を張り上げてそう尋ねた。
 全身に緊張が走ったが、立花はしばらく間を置いたあと「知らん」とだけ答えた。その一言にほっと息をつく。

さん本人や先生方が何も言わない以上、我々は学園長先生の話を受け入れるしかないだろう」

 そう言い切った立花のそばで中在家長次が何かを呟いたが、私のいる場所までその声は届かず、直後に七松の大きな笑い声が響き渡った。

「確かにさんがいれば、文次郎と留三郎の二人が格好つけて大人しくなるから静かでいいな!」

 名前を出された二人は「あ?」と低く凄むと、ほぼ同時に足元に落ちていた棒を拾い、七松へ向かって投げつけた。それらを軽々と避けて地面に着地した七松は、両手を腰に当て、豪快に笑いながら続ける。潮江と食満は、を見かけるたび、すぐ「何か困っていることはないか」と声をかけに行くのだと。
 その言葉に、潮江と食満は僅かに頬を染めながら怒鳴り返す。そんな両者を宥めようと、善法寺伊作が「まあまあ」と言いながらへらへら笑っている。
 なんだ。結局こいつらも、のことを慕っているのか。
 がっかりした気持ちを抱え、大した収穫は得られなかったとその場を立ち去ろうとしたとき、またしても七松の大声が聞こえた。

「まあ、そう言う私も、さんのような美人がいるとさらにやる気が湧いてくるがな!」
「……び!?」

 思わず声が漏れ、しまった、と思ったその瞬間。眼前に黒く光るものが走り、私は咄嗟に地面へ伏せた。背に抱えていた荷包みから、びりっと裂けるような音がする。
 顔を上げれば、茶色い縄がひゅん、と空気を切り、忍たまたちのいる方へと戻っていく。縄鏢だ。
 ち、と舌打ちを飛ばし、仕方なく彼らの前に姿を現す。すると善法寺が驚いたように目を丸くして「尊奈門さん!」と声を上げた。
 だが、私はそれを一旦無視し、縄鏢を手にしている中在家を指差して強く睨みつけた。

「お前、私の荷包みが裂けたではないか!」

 声を荒らげて抗議してみたものの、当の本人はもそもそと口を動かすばかりでまるで話が通じない。相変わらずいらいらする男だ。
 そんな中在家の隣で、潮江が挑発するように鼻で笑った。
 
「土井先生はご不在だぞ。命拾いしたなぁ、諸泉尊奈門」

 このクソガキ……!
 殴り飛ばしたい衝動をぐっと堪え、私は踵を返した。こっちは貴重な有給休暇を使って来ているのだ。何も情報を持っていなさそうなこいつらに構っている暇などない。
 もうそろそろ、本人と接触しなければ――。

「最近、妙にタソガレドキ忍軍忍び組頭の雑渡昆奈門がさんに付きまとっている、と聞きます」

 背後から聞こえた立花の声に、ぴたりと足を止める。振り返れば、彼は他の六年生たちと共に、まっすぐこちらを見据えている。

さんは、学園で保護している大事な御方です」

 一拍置き、立花は静かに続けた。

「くれぐれも、出過ぎた真似はお控えいただくよう、お伝えください」


---


 ずんずんと早足で学園内を進みながら、がいると噂の医務室へ向かう。
 『出過ぎた真似は控えろ』という立花の言葉が何度も頭の中を駆け巡る。何も言い返せなかった自分が腹立たしかった。
 これがもし小頭たちだったら、もっとうまく話を聞き出せたかもしれない。そう思うと、何とも言えない悔しさが込み上げてくる。
 しばらく歩いたところで、私はふと立ち止まった。
 今日の目的は、組頭ととの間に何か変わったことがなかったか探ること。そしてあわよくば、の本性を暴き、組頭へお伝えすることだ。前者は小頭たちに頼まれたから。後者は、私がを気に入らないから――いや。組頭に、幸せになってもらいたいからだ。
 恐らく組頭は、城代の件がなくともを一人の女子として好ましく思っている。最初はただの〝お気に入り〟程度で、警戒を解かせるために色を仕掛けるつもりかとも思った。だが、組頭は元よりそういうことをする御方ではないし、実際そういう風にも見えなかった。
 私は、組頭には絶対に幸せになっていただきたい。そうなるべきだと思っている。そのためなら何でもできる。組頭のためなら、何だって。命を守ることも、心を守ることも。
 だからもしが性悪女で、しかもタソガレドキに害をなす存在ならば、一刻も早く組頭へお伝えしなければならない。
 でもそれは、本当に組頭の心をお守りすることになるのだろうか。

「あれ、貴方は……」

 声をかけられ、顔を上げる。そこには黒木庄左ヱ門を筆頭に、一年は組の面々が数名集まっていた。
 よりにもよってこいつらに見つかるとは、と思わず白目を剥きそうになる。

「タコヤキドキ城の、しょせん尊奈門さんじゃないですか」
「タソガレドキ城の諸泉尊奈門だ!」
「ちょうどよかった。尊奈門先生にぜひ、お知恵をお借りしたいことがあります」

 彼らから〝先生〟と呼ばれるのは随分と久しぶりのことで、過去のあれこれを思い出して胃がきりきりと痛み始める。しかし、かしこまった様子で真剣にこちらを見上げる庄左ヱ門に、私は腹を擦りながら「なんだ?」と問い返した。

「若い男女の仲を取り持つために、僕たちに何ができるでしょうか?」
「わ、若い男女ぉ?」

 何を聞かれるかと思えば、あまりにも唐突な質問に思わず声が裏返る。ふざけているのかとも思ったが、本人たちはいたって真剣な顔で私の返答を待っている。
 そういうことに興味が出てくる年頃なのだろうか、と思いつつ、私は一人の男として真面目に答えねば、と軽く咳払いをした。

「そんなもの、周りが口を出したり世話を焼いたりするのは野暮というものだ。上手くいくものも上手くいかなくなる。見守るのが最善ではないか?」
「見守っていても進展がないので、こうして相談しているのです」
「そもそも誰の話だ。お前ら『は組』の誰かなのか? それとも他の忍たまか?」
「いえ。実は僕たち、さんに土井先生のお嫁さんになっていただこうと考えていまして」

 束の間、しん、と静寂が落ちた。

「はあ!?」

 思わず声を張り上げた私に、は組の面々はびくりと肩を跳ねさせた。ちなみに小頭たちから「忍術学園へ行ってこい」と命じられたとき以上の大声だった。
 ずい、と庄左ヱ門へ顔を寄せれば、いつも迷いのないまっすぐな瞳に僅かな戸惑いが浮かぶ。

「そんなの、駄目に決まっているだろう!」
「なぜですか?」
「だってあいつは、組頭の……」

 そこまで言って、ふいに思考が止まった。
 組頭の――?
 急に大声を上げたかと思えば、そのまま黙り込んでしまった私に、は組の連中がこそこそと小声で話し始める。
 ひょっとして、土井先生を誰かに取られるのが嫌なんじゃない? などの憶測混じりの囁きが耳に入り、はっと我に返った私は「そんなわけないだろう!」と再び声を上げ、彼らの前から逃げるように立ち去った。
 組頭の、何だ。
 私は一体何を言おうとしたのだ。
 混乱した思考を抱えたまま歩き続け、気付けば辿り着いた先は最終目的地である医務室だった。耳を澄すませれば、中からと乱太郎の話し声が聞こえてくる。
 私は医務室から少し離れた場所で草履を脱ぎ、一段高い板間へ静かに足を掛けた。そのまま中へ入ることはせず、気配を殺して彼らの様子を窺う。

「せっかくお見舞いにいただいたお団子やお菓子、しんベヱがほとんど食べちゃってすみません」
「いえ、どうせ一人では食べ切れない量でしたから」

 そっと医務室の中を覗き込めば、微笑みながらそう答えるの姿が見えた。二年生の忍たまたちが話していた『風邪が治った』というのは本当だったらしい。

「(あの山茶花は……)」
 
 の視線の先――すでに一輪を残すのみとなった山茶花に目がいったそのときだった。
 背後から聞こえてきた、どすどすと地を鳴らすような足音。ん、と振り返った瞬間、何かに勢いよく突き飛ばされ、私は医務室の開いた戸の前へ盛大にずっこけた。当然そんな騒ぎに医務室にいた二人が気付かないはずもなく、乱太郎が驚いたように私の名を呼ぶ。
 だが、今はそれどころではない。

「栗、栗、栗~!!」
「お、お前は食うことしか頭にないのか!」

 激突してきたものの正体は福富しんベヱだった。
 圧し掛かるしんベヱの額をぐいっと押し返せば、口の端からはどばどばと涎が垂れており、思わず顔が引きつる。
 なぜ私が栗を持っていることに気付いたのか不思議に思ったが、よく見ればしんベヱの手にはすでにいくつかの栗が握られていた。押し倒された体勢のまま慌てて背負っていた荷を確認すると、中在家の縄鏢によって裂けた部分がさらに広がっている。どうやらここに来るまでの間に、いくつか栗を落としてしまっていたようだ。
 見かねた乱太郎が苦笑しながらしんベヱを引き剥がしてくれたおかげで、ようやく立ち上がることが出来た。そして、小松田と同じように土井が不在であることを伝えてくる乱太郎へ、果たし合いのために学園へ来たわけではない、と告げる。
 乱太郎は驚いて目を瞬かせ、こてんと首を傾げた。

「そうなんですか? では今日は一体どういう御用で? というか、この栗は……?」
「この栗は……我がタソガレドキ忍軍・狼隊の山本小頭から……お前にだ」

 視線をへ向ければ、それまで黙って様子を見守っていた彼女は目を丸くして「私?」と呟いた。勘違いされないよう、見舞いの品ではなく、ただの手土産として渡せと言われたことを念を押して伝える。
 そんな私に何を思ったのか、はしばらく栗をじっと見つめたあと、今にも皮ごと栗を食べ始めそうなしんベヱと、必死に彼を押さえつける乱太郎へ声をかけた。

「二人とも、この栗を食堂のおばちゃんのところへ持って行ってくれませんか? きっと美味しく料理してくださると思うので」

 のその言葉でようやく落ち着きを取り戻したしんベヱと乱太郎は、荷包みの中の栗を竹籠に広げると、二人仲良くそれを抱えて食堂へと向かっていった。
 と二人きりになった私は、何とも言えない気まずさを覚える。よくよく考えてみれば、こいつとこうして二人きりになるのは初めてではないだろうか。
 乱太郎たちを見送っていたが、くるりと振り返る。そして彼女は、思わずぎくりとした私へ向かってすっと手を差し出した。意図の読めないその動きに、私は眉を顰める。

「……なんだ」
「その荷包み。栗をいただいたお礼に縫いますから、貸してください」


---


 とうとう雨が降り始めた。しとしとと雨粒が静かに軒を叩く中、針と糸で器用に裂け目を繕っていくを見つめる。

「それで、今日は私に何か御用があったのでは?」

 ちくちくと縫い進めながら、は手元から視線を外さぬままそう問いかけてきた。
 やはり見抜かれていたかと、ひとつため息を落とす。胡座をかき、その膝へ肘を乗せて頬杖をついたところで、ふと気付いた。
 そういえば、有給休暇を出したときの組頭は、珍しく横座りじゃなかったな。

「お前、組頭と何かあったのか?」

 回りくどい言い方はせず、率直にそう尋ねる。
 ぴた、との手が止まった。ゆっくり顔を上げた彼女は、表情を変えないまま「何か、とは?」と返す。

「知らん。だから聞いているのだろう」
「……何もありませんよ。最近まで風邪で寝込んでいましたし、雑渡殿ともお会いしていません」
「でもその山茶花、組頭からだろう」

 そう言って、陶器の花生に挿してある山茶花の枝を指差す。
 は唇を結んで黙り込んだあと、ふいと顔を戻して再び針を持つ手をてきぱきと動かし始めた。そして、山本小頭へ栗の礼を伝えてほしい、と分かりやすく話題を逸らす。その頬と耳朶は、うっすらと紅く染まっている。
 胡座をかいていた組頭。小頭たちの勘。ばらばらだった点と点が繋がって、私は半ば呆れながら深く息を吐いた。
 山ほどの縁談が届いているのに。タソガレドキにも他国にも、もっと美人で品の良い女子はたくさんいるはずなのに。どうして組頭は、よりにもよってこいつを選ぶんだ。飛び抜けた器量というわけでもなければ、まだ敵か味方かも分からない、こいつを。
 私が何度もため息を吐くのに業を煮やしたのか、今度はが大きく息を吐き、じろりとこちらを睨みつけた。

「言いたいことがあるならはっきり言ってください」
「お前、この先どうするつもりなんだ」
「え?」
「いつまでも……ジジイの愛人をやっていくわけにもいかないだろ」

 そう言って、頬杖をついたままへ目を向ける。
 もちろん、学園長と深い仲だというのは方便に過ぎないと分かっていた。だが、今はその話に乗っておくほかない。
 は少し考えるように、小さく「この先……」と呟いた。

「まあ、もし……もしですよ? 大川様と別れたら、ここを出て一人で生きていくことになると思います。というか、愛人ではなくて恋人です」
「もしそうなったら、その後は誰かと添い遂げるつもりはないのか」

 私の言葉には顔を上げ、驚いたように目を見張る。そして次の瞬間、ふっと表情を和らげた。
 彼女が私に笑顔を向けるのは初めてのことで、そのせいか、ほんの少しだけ心臓が跳ねる。

「私、年下はちょっと……すみません」
「……ばっ、馬鹿を言うな! 私ではない、私ではなく――」
「出来ましたよ」

 会話を断ち切るように、は結んだ細い糸を鋏でぱちんと切った。そして自身の目の前に荷包みを大きく広げ、よし、と小さく頷いたあと、丁寧に畳みながら「諸泉殿」と私の名を呼ぶ。

「そんなに心配せずとも、私が雑渡殿とどうにかなることはありませんよ。山本殿や、他の皆様にもお伝えください」

 その声音には、浮ついた色も、私を試すような響きもなかった。まるで最初から、自分には許されないことだと決めているような、そんな言い方だった。
 
「べ、別に心配をしているわけでは」
「そもそも、私は大川様以外の誰かと幸せになろう、などと思っていい人間ではありませんので」

 どうぞ、と渡された荷包みを受け取り、私はすべての言葉を飲み込み口を噤んだ。つい先程、庄左ヱ門たちへ向けて口にした自分自身の言葉を思い出したからだ。
 いくら忍びとはいえ、人であることまで捨てられるわけではない。幸せを願う心まで否定されるべきではない。
 ――もっとも、そんなことを口にすれば、甘いと笑われるだけなのだろうが。

「お前は……腹の立つ女だな」
 
 空模様へ視線を向けるのどこか憂いを帯びた横顔に、私は少しだけむっとしてそう言った。すると彼女も不服そうに「こっちの台詞です」と唇を尖らせる。
 腹は立つし、絶対に仲良くはなれないし、認めたくはないが、悪い女ではないのだろうな。
 私はそれ以上何も言わず、荷包みに出来た細く綺麗な縫い目をそっと指でなぞった。


(20260522)