「もう俺は長谷川さんとは飲みに行かねえ」


夜も更け、そろそろ寝ようとしていた頃に真っ赤な顔で帰宅した銀さんは、玄関で出迎えたパジャマ姿の私に向かって不貞腐れたようにそう言い放った。

──またか。

私は頭の中でそう呟いて、酔っ払いフラフラと左右に揺れる銀さんから木刀を預かると、彼の背中を擦りながら中へ入るように促した。


「もう、今日は一体どういう理由で喧嘩したんですか?」
「アイツ、今日給料日だったくせに会計全部俺に払わせようとするんだぜ?どう思うよちゃ~ん」
「でも銀さん、この間の飲み代は全額長谷川さんに払ってもらってませんでした?」
「この間はこの間!今日は今日!」


ぶつぶつと、俺様のような文句を零す銀さんの背中をぐいぐい押して寝室へと連れて行く。私は長谷川さんとは直接お会いしたことはない。銀さんは以前から長谷川さんと二人で飲みに行くことが多かったので、長谷川さんは銀さんの数少ないお友達だと思っているんだけれど、たまに今日みたいに喧嘩して帰ってくることがある。そのたびに、銀さんは「もう長谷川さんとは飲みに行かない」とぼやくのだ。

銀さんは寝室に敷いておいた布団に寝転ぶと、隣の布団に座った私の手を握って「とにかく、もうアイツとは飲みに行かない、誓ってもいい」と寝ぼけた声でふにゃふにゃと呟いた。


「そんなこと誓われても困りますよ、それに銀さん──」


私が最後まで話し終える前に銀さんは寝息を立て始めてしまったので、私は苦笑して彼の頭を撫でた。…長谷川さん、どんな人なんだろう。



翌日、お団子屋さんでのバイトが午前中から入っていたので、私は銀さんが目を覚ます前に万事屋を出た。店に着いてご主人と奥さんに挨拶をしたあと、店内を隈なく掃除していく。銀さん、昨日は結構酔っ払っているみたいだったし、あの様子なら今日はずっと二日酔いかもしれない。若い頃に比べると二日酔いが長引くと言っていたから、今日の晩ご飯は軽めのものにした方が良いだろうか…。お店が開き、レジに置いてある椅子に腰かけてそんなことをぼんやりと考えていたら、ふっと影が落ちてきて慌てて顔を上げた。そして、私の目の前に立っていたお客さんの顔色にぎょっとする。


「いらっ…しゃいませ」
「お嬢ちゃん…二日酔いに効く団子、ある?」


二日酔い…流行ってるのかな?ぱちぱちと瞬きを繰り返す私に、お客さんは気分が悪そうにそう尋ねた。二日酔いに効く団子なんてないんだけどな…と一瞬考えたけれど、顔色も随分悪いし少し休んでいってもらった方が良いかもしれない。私は彼に椅子に座るよう促し、テーブルの上に冷やしておいたほうじ茶を置いた。


「ごめんね、ありがとう」
「いえ…あの、二日酔いに効くかは別として、さっぱりとしたレモンの餡をのせたお団子とかどうでしょう?」
「じゃあそれを一本貰うわ」


おすすめしたお団子をお客さんに運ぶと、おいしいと言って食べてくれたがやはり気分が優れないようだ。そんな彼の様子と、恐らく今同じ状況に陥っているであろう銀さんの姿が重なって、私はお客さんのそばに立ってぽつりと呟いた。


「…二日酔いって、しんどいんですね」


俯き加減だったお客さんが顔を上げる。サングラスの隙間から覗く瞳は、とても気怠そうだ。


「お嬢ちゃん、酒飲まないの?」
「全く飲まなくて…なので二日酔いがどういうものか、よく分からないんです」
「しんどいよ~、若い頃は二日酔いになってもすぐ回復してたんだけどね、オッサンになるともう駄目だね」
「早く良くなるといいですね」


そう笑いかけると、お茶を飲んでいたお客さんは驚いたように目を見開いて私を見つめた。そしてサングラスを外し目頭を押さえ、ぐすっと鼻をすする。な、泣いてる!?私は慌ててお客さんの背中を擦った。


「だ、大丈夫ですか?」
「いや…お嬢ちゃんの優しさが沁みちゃって…人に優しくされたのは久しぶりだよ、ありがとう」
「そんなお礼を言われるほどでは…実は、私の同居人も今頃二日酔いで苦しんでいるはずなので、なんだか他人事と思えなくて」
「あ、そうなの?何、同居人って男?彼氏?」


何も言わずに笑いながら頷くと、お客さんは盛大に長いため息をついてサングラスを着けた。そして虚ろな表情から一転、厳しい表情で肘をテーブルの上に乗せると、両手を口元で組み合わせる。気のせいか、サングラスが一瞬だけきらりと輝いたように見えた。


「お嬢ちゃんみたいな良い子は絶対に悪い男に引っかかっちゃだめだよ」
「大丈夫ですよ、私は」
「世の中、そういう子ほど引っかかるような仕組みになってるんだって」
「は、はあ」
「特にこのかぶき町には、ろくでもない男が山ほどいるんだ」
「そうなんですか」
「例えば、何でも屋として働いててでっかい仕事が終わってそれなりに金が入ったはずなのに、人にばっかり奢らせて一銭も出そうとしないケチな男とかね」
「…ん?」


適当に相槌を打って流そうと思ったが、お客さんの言う『何でも屋』が引っかかり私は首を傾げる。私の知る限り、かぶき町で何でも屋をしている男性は一人しかいない。口元に手を当てて思い巡らす私を見たお客さんは、にこりと微笑むと「少しマシになったよ、ありがとう」と言って席を立った。お会計をして、お客さんを見送るため店先に出る。


「あまり無理されないでくださいね」
「ありがとう、お嬢ちゃんは太っ腹で気前の良い男と幸せになるんだよ」


そう言って立ち去ろうとするお客さんの背中に、「あの!」と声をかける。お客さんは立ち止まって、こちらを振り向いた。


「あの…ひょっとして、お客さん」
「うおーい、


不意に私を呼ぶ声が聞こえて顔を向けると、そこにはコンビニの袋を引っ提げた銀さんの姿があった。


「銀さん?」
「ちょうどいちご牛乳切らしててよォ…二日酔いにはいちご牛…」


私の元までやってきた銀さんが、そばに立っていたお客さんを見て立ち止まる。お客さんも同じように銀さんの姿を見ると動きが止まり、しばらく沈黙が流れたかと思ったら二人同時に大きなため息をついた。


「オイオイ、飲みの翌日に朝から団子とは随分とリッチじゃねーの長谷川さんよォ」
「銀さんこそ、何?二日酔いにはいちご牛乳だァ?朝からいちご牛乳とは随分とリッチじゃねーの」


私を挟んでそんな言い合いを始めた二人を交互に見上げながら、「やっぱりそうだったか」と一人で納得する。私が「ちょっと銀さん」と諫めるように名前を呼べば、お客さんが悲鳴に近い声を上げた。


「ま、まさかお嬢ちゃん、同居人って…」


驚いてわなわなと震えるお客さんに私が言葉をかけようとしたとき、銀さんが私の肩に腕を回し、私より先に早口で喋り出した。


「ちょっとちょっと、うちのちゃんのこと気安くお嬢ちゃんだなんて呼ばないでいただけますゥ~?」
「銀さんアンタ!いかがわしい店で知り合った天人の彼女はどうしたよ!触角一本タイプの!」
「なんだよ天人の彼女って、そんなもん最初っからいねェよ」
「飲みに行ったとき、散々俺が恋愛のアドバイスしてあげたじゃん!」
「オイ大丈夫か?無職期間が長すぎるあまり記憶を捏造しようとしてんのか?」
「おおお嬢ちゃん!悪いこと言わないからこの男だけはやめときなって!」
「俺の許可なくに話しかけるんじゃねェェェ!」


「ちょっとアンタら!!店先でぎゃーぎゃー喚くんじゃないよ!!」


店内から出てきた奥さんが一喝し、言い合いを続けていた銀さんとお客さん…もとい、長谷川さんは悲鳴を上げて両耳を塞ぎ、その場にしゃがみ込んだ。


「奥さん、すみません…」
ちゃんが謝ることじゃないよ、勝手にこの二人が騒いでたんだろ」


配達に行ってくるという奥さんを見送って、再度二人の方を向き直る。二人は相変わらず地面に座り込んだまま、頭を抱えていた。


「あっ…んのババア、二日酔いの人間に向かってあんなでけえ出すんじゃねェよ…」
「頭が割れる…もう俺はまるでダメだ…」


ぶつぶつと呟く二人のそばに私もしゃがみ込み、思わずくすりと笑いを零すと怠そうな二人の視線が私に向けられる。


「お二人、喧嘩ばっかりしてますけど実は仲良しですよね」
「あ?」
「は?」
「だってどうせ、あと一週間か二週間したらまた二人で飲みに行くんでしょう?」


そう言うと、銀さんと長谷川さんは顔を見合わせた。二人とも舌打ちしたりため息をついたり、バツが悪そうな顔をしているけれど、私の言葉を否定しない。この二人は所謂『喧嘩するほど仲が良い』ってやつなのだ。と、私は勝手に思っている。


「それに銀さん、長谷川さんのこと大好きですよね?」


昨日の夜、銀さんに言おうとしたことは本人の目の前なのでさすがに言わないでおこう。その後、何やらぶつぶつと文句を言いながらもお互いに話すことはせず別れる二人を見て、男の人ってどうして素直になれないんだろうなあ、とこっそり思ったのだった。



後日、夜──。


「もう俺は長谷川さんとは飲みに行かねえ」
「さすがにもう飽きました、銀さん」


(2022.05.03)