「今日は一段と月が綺麗だ、そう思わねェか」
片目に包帯を巻いたその人は、夜空から視線をわたしに移し、妖艶に笑った。
いつも喪失は簡単だ
「!おかわりアル!」
「神楽ちゃん食べ過ぎだよ!僕らそんなにお金ないんだから…」
「うおーいババア、酒」
「す、すみませんお登勢さん…ちゃんとお金払いますから」
「ったく…マダオに大食い娘にメガネに…アンタも変な家族を持ったもんだね」
「メガネは別に良いだろ!」
スナックお登勢でお手伝いをしていた夜、珍しく銀さんたちが様子見、という名の食事にやって来た。ちょうどお客さんたちが帰った時だったので良かった。神楽ちゃんはとにかく食べるし、銀さんはそこまで強くないのにお酒を飲みたがる。わたしはこっそり、銀さんへ薄めに作った水割りを渡した。
「銀さん、お酒はほどほどにしてくださいね」
「へーへー」
「いい女ってのは、どうしてこうもろくでなしの男に当たるんだろねェ」
お登勢さんはタバコの煙を吐き出しながら、目を閉じて半ば呆れたように呟く。お登勢さんの言う『ろくでなし』には、愛情が込められてるように感じてわたしは小さく笑った。神楽ちゃんの次のおかわりに備えて炊飯器の中身を確かめた後、わたしはビールの空き瓶を抱えてお店の裏口から外に出る。
眠らない街も、万事屋付近になるとこの時間はとても静かだ。空き瓶を地面に置いて少し店の表に出ると、店内からは賑やかな声が聞こえてくる。夜もだんだんと暑さを感じるようになった。ふと、空を見上げる。
「今日は一段と月が綺麗だ」
人の気配など全く感じなかったわたしは、急にそんな声が聞こえて驚いた。
「そう思わねェか」
笠を深くかぶった男性が橋の上に立っていた。薄暗い中よく見ると、片目を包帯で覆っている。
「綺麗ですね」
そう答えて再度、改めて空を見上げるとそこにはぽっかりと丸い月が浮かんでいた。たくさんの天人がやってくるこの世界、月には誰か住んでいるのだろうか。その時、ふっと風が起こって振り向くと、離れた場所にいた男性がいつの間にかわたしの背後に立っていた。音もなく、一瞬で。声を上げる前に、鋭い目に捕らえられる。
「女、何者だ」
「、え」
「あー、しょんべんしょんべんっと」
刃物で切れてしまいそうな空気を聞き慣れた声がうち破る。金縛りのように固まっていた体に一気に汗が噴き出した。スナックお登勢の入り口で銀さんがぽかんとこっちを見ていて、やっとで絞り出した声は掠れていた。
「銀さん、」
「…の後ろに見えちゃいけねェもんが見えんなー」
「久しぶりだなァ、銀時」
すらり、とわたしの首に男性の腕が回される。どうやら、銀さんの知り合いらしい。どうしてこんな状況になったのか分からないまま、わたしはただ銀さんを見つめることしか出来ない。銀さんはお酒で顔は上気していたものの、真剣な眼差しでこちらを見ていた。
「高杉お前、何やってんの? つーか何馴れ馴れしく腕とか回しちゃってんの?」
「相変わらずだらしねェ顔だな」
「離せよ」
急に首が締まったかと思えば、あっという間に体を引っ張られ橋の上に連れて行かれる。草履の鼻緒が切れて足が絡まった。これは、まずいんじゃないか。痛い、と声を上げたが首は締まるばかりで苦しい。わたしの名前を叫んだ銀さんが腰から木刀を抜くのが見えた。
「大事なものを失うことがどういうことか、分かるか」
「高杉ィ…」
そのまま着物を引っ張られ、ぐいっと胸ぐらを掴まれた。わたしの後ろには川が流れていて、ずり、ずり、と体が少しずつ落ちそうになり腕を伸ばすもそれは虚しく空を切る。ぐらりと大きく傾いたわたしは、ぎゅっと目を閉じた。助けて、銀さん。
襲う浮遊感。音が止んだ。わたしはこの感じをどこかで経験したことがある。
「いっだあ!」
どさっ、と腰を打ったわたしはしばらくその場から動けずに小さく呻き声を上げる。手を握りしめると湿り気のある土の感触。わたしはそれを確かめるように触った。なんで、わたしは川に落とされたはずじゃあ…。はらりと手の甲に桃色の花びらが落ちてきた。ゆっくりと視線を上げていく。
見覚えのある景色、満開の桜の木。木の根元には懐かしい、わたしのバッグが置いてある。
「どうして…」
舞い散る花びらは非常に残酷で、悲しいほど美しかった。
(20160321)