「じゃあ、行ってくるアル!」
「すぐ帰りますね」
「誰か来ても開けんじゃねーぞ、大抵新聞の勧誘だから」
「あはは、行ってらっしゃい」

万事屋に珍しく入った依頼。それはお偉いさんのペットの面倒を今日一日だけ見ていてほしい、とのこと。お偉いさんなら依頼料もたんまり貰えるだろう、とにやにやしている坂田さんと、なんか嫌な予感するんですけどペットって…、と不安そうな新八くん。神楽ちゃんは定春くんにお利口にしてるアルよ!と微笑んでいた。玄関でわたしと定春くんは万事屋の三人を見送る。今日はわたしはお団子屋さんのバイトはお休みなので、定春くんとお留守番だ。疲れて帰ってくる三人のために、今日は腕をふるって美味しい晩御飯を作ってあげよう。その前に、

「定春くん、」

お散歩に行こうか、と続くはずの言葉が出てこなかった。定春くんの方を振り向くと、定春くんは何かをくわえている。いや、正確には「何か」ではなくて「誰か」なわけで。

「ちょっ、え、どちら様!?」
「その言葉そっくりそのままお返しするわ、あなたこそ一体銀さんの何なの?」

定春くんがくわえていたのは眼鏡をかけた髪の長い女性。薄紫色の前髪の間からつうっと赤い血が流れ出す。本来なら慌てるところなのだけど、定春くんは普段から坂田さんや新八くんを噛む癖があるため耐性がついてしまったのか、わたしは慌てずいつも通り戸棚から救急箱を取り出していた。次に台所に置いてある定春くんのおやつを持って来て、定春くんに向かって投げる。定春くんは尻尾をふって飛びつき、くわえていた女性を解放した。いつの間に中に入ったんだろう。

「坂田さんのお知り合いの方ですか?すみません、今さっき坂田さんお仕事で」
「あなた何も知らないのね、知り合いなんてもんじゃないわ、婚約者よ!」
「え」

婚約者、という言葉に心臓がどくりと脈打つ。気持ち悪いくらいに早くなるそれに、わたしは顔をしかめた。なんだろう、これ。というか坂田さんに婚約者…がいたなんて知らなかった。わたしがじんわりと汗ばんだ手で救急箱を開け、いつも通り中から包帯と消毒液を取り出したところで女性の声がかかる。

「手当ては結構、優しくされるのは趣味じゃないの」
「でも、」
「とにかくこれ以上わたしの銀さんに近付かないでくれるかしら?迷惑なのよ、わたしも、もちろん銀さんも」

何も言えなかった。否定出来ない。迷惑、という言葉に対する言葉が何も浮かばない。

「一応言っておくけどあなたのためでもあるのよ、銀さんはね、あなたみたいな普通の女じゃ釣り合わないのよ」

わたしみたいに強くて美しくて、銀さんのためなら何でも出来る、銀さんになら何をされても良い、そんな女性、つまりわたしじゃなきゃだめなのよ。

わたしは救急箱を持ったままその場に立ち尽くしていた。忠告はしたわ、と言いまるで忍者のように天井裏へと消えて行った女性。定春くんが尻尾をふりながらわおん!と元気良く吠える。どうやらまだおやつが欲しいらしい。わたしは救急箱を戸棚へ戻し、ソファに腰掛けた。

あなたこそ一体銀さんの何なの?迷惑なのよ、わたしも、もちろん銀さんも。あなた何も知らないのね。さっきの女性の言葉が次々と蘇る。わたしは坂田さんのこと、どれだけ知ってるんだろう。どれだけ知らないんだろう。とりあえず、知らないことが一つあったことを知った。相変わらず心臓は早いままだ。この間の夜、坂田さんとの距離が一気に縮まったときとは違う種類のどきどき。

銀さんはね、あなたみたいな普通の女じゃ釣り合わないのよ。

「…お散歩行こっか」
「わん!」

わたしは傷付いていた。坂田さんに婚約者がいたこと、わたしじゃ釣り合わない、と言われたことに。そして気付いた。どうして今、自分が傷付いているのか、その理由に。

「うぉーい、けェったぞー」
「ただいまアルー、うおっ!良い匂いがするネ!」
「わ、本当だ!」

夕方と夜の間に、三人は仕事から帰って来た。おかえりなさい、といつも通り笑って出迎える。

「オイオイ、何だこりゃ」
「キャッホー!今日はご馳走ネ!これ全部が一人で作ったアルか!?」
「うん、みんな疲れて帰ってくるんじゃないかと思って…あ、新八くんも今日は食べて行って」
「じゃあお言葉に甘えて…あ、さん僕何か手伝いますよ!」
「良いの良いの座ってて、あとはお味噌汁とご飯だけだから」

台所へ向かい、お味噌汁を温め直す。今日はわたしの得意料理は和洋中問わず全部作った。時間はかかったけどじっとしているのが嫌だった。神楽ちゃんまだ食べちゃダメだよ!新八くんの慌てた声が聞こえる。二人の声が心地良い。もちろん、あの人の声も。

「ちょっとちゃん何アレ、ウチの食費状況分かってるよね?やべーよアレは、いや美味そうだけどさァ」

台所を覗きに来た坂田さんは小声でそう言った後、冷蔵庫からいちご牛乳を取り出しパックのままごくごくと飲み出した。

「大丈夫です、今日の分はわたしのバイト代から出しましたから」
「へ、なんで」
「お礼です」
「お礼…って、」
「坂田さん、わたし明日から本格的に元の世界に帰る方法を探してみますね」

お鍋の中をじっと見つめているわたしには坂田さんが今どんな顔をしているのか分からない。

「あと、そろそろ住む場所も探そうと思ってます」
「オイ、

どうした。坂田さんがわたしの肩を掴む。坂田さん、あの夜坂田さんはわたしに謝りましたよね。結局あの言葉の意味は今でも分からないけど、謝るのはわたしの方なんです。わたしはぼやけて見えるお味噌汁がぐつぐつと音を立て出したのを合図にコンロの火を止めた。そして坂田さんを見上げる。精一杯の笑顔を作って。



睫毛が重なる前に



「ごめんなさい、坂田さん」

少しでも居心地が良い、帰りたくないと思ってしまって、ごめんなさい。



(20140424)