小話その2(虎杖の懸念)



 誰しも人には言えない悩み事というものがある。『悩み事』と一言で言ってもそれには個別性があって、他人から見れば「そんなことで?」と思うようなことでも本人にとってはすごく大きな苦しみだったりする。
 だからもし、誰かのそれに気付いたときは。そのときは、いつでも相談を受けられるよう心の準備だけしておく。間違っても無闇に首を突っ込まない。こっちからぐいぐい踏み込んだところで、逆に相手を困らせるだけだから。そう、頭では分かってんだけど。


「分かってんだけどさあ~」
「分かってんならさっさと終わらせなさいよ」


 口からため息と一緒に零れ出た言葉に、隣に座る釘崎がスマホを見つめたまま冷めた様子でそう言い放った。机の上には任務帰りに担当の補助監督さんが奢ってくれた肉まんの包み紙と、未だ白紙の報告書。ボールペンをくるくる回しながら前方へ目を向ければ、前の席に座る伏黒は横を向いて文庫本に耽っている。
 朝、予定外の任務が入り三人で向かったため、元々予定されていた授業は別日に振替となった。それに加え明日は全員オフということもあってか、無言の二人から早く終わらせろという圧みたいなものを感じる。そもそも三人で担当した任務なのになぜ俺が報告書を書いているのかと言うと、普段書類提出の際に使用している一年専用のタブレットを落として壊してしまった張本人だからだ。
 はあ、と大きなため息を零す。どうやら何をどう書けば良いか分からず悩んでいると思われたらしい。痺れを切らしたのか、本を閉じた伏黒が報告書の記載箇所を指でトントンと叩き始めた。


「ここ、人的被害はなし。建物被害は……お前が三階の壁壊したくらいだろ」
「虎杖アンタ、そろそろ何でもかんでも破壊する癖直しなさいよ」
「ねえ、先生と五条先生って絶対何かあったよね?」


 ずっと気になっていたことを口にすると、二人の視線がほぼ同時に報告書から俺へと向けられた。
 気のせい、の一言で済ませられるほどのことではないような気がしていた。この間、ここで五条先生の誕生日プレゼントについて相談したときの先生の反応。ついでに五条先生のあの態度。そして後から連絡したときの、先生からの返信の素っ気なさ。それら全てが妙に引っかかっている。何なら俺に対しての態度だって、どこかよそよそしかったような気がするし。


「……何言ってんの、馬鹿じゃないの?」


 そんなおかしなことを考えている暇があるならさっさと報告書を書け。そう言われるかと思って身構えたが、釘崎から返ってきた言葉は意外なものだった。


「何かあったに決まってんでしょ」
「……やっぱ、だよなあ!」
「アイツ、あからさまにさんに対してイライラしてたし。その証拠にすぐ追いかけて行ったじゃない。修羅場よ、修羅場」
「だよなあ、だよなあ! なあ伏黒はどう思う? つーか何か知らん?」
「知らん。どうでもいい。興味ない」


 冷てえ、と言うと、一蹴した伏黒は切れ長の瞳でこちらを睨みつけた。まあ伏黒がこの話に乗ってきたら乗ってきたで逆に怖いし、ちょっと家入さんに診てもらおうぜってなるんだけど。あ、家入さんは先生と仲良いみたいだし、五条先生とも同期だし、何か知ってんのかな。
 そこまで考えて、自分が早速首を突っ込もうとしていることに気付いて俺は両頬を叩いた。軽い戒めのつもりだったが、派手にバチン、と大きな音が鳴り再び二人が俺に目を向ける。ドン引きした様子で「何、怖」と呟く釘崎に俺は何でもないと言って、相変わらず白いままの報告書に視線を落とす。伏黒に言われた通り『人的被害』の箇所に『なし』と記載した。
 先生は大人で、俺はまだガキだ。だからどんなに受け入れる準備ができていたとしても、先生が俺を頼ることは多分ない。つまりそれは、俺には見守ることしかできないってことで――。
 建物被害『あり』と書いて次に進もうとすれば、俺の書く字を目で追っていたらしい伏黒が「場所も書いておけよ」と言う。素直に『三階(多分南側?)の壁。すみませんでした。』と書いた。
 そういえばこっちで呪術師やる前も、学校の壁壊して反省文書かされたことあったっけ。そのときから俺は先生に迷惑ばっかかけてきたから。だから、もう先生が困っている姿は見たくないんだ。


* * *


 中学時代、正直素行はそんなに良い方じゃなかったと思う。売られた喧嘩は無視できなければ買ったし、それはアウトだろうと思えば自ら積極的に喧嘩を売ることもあった。そのおかげで、他の中学の連中から勝手に変な呼び名のようなものまでつけられた。
 その頃にはもうじいちゃんの体調は徐々に悪くなり始めていて、それもあってか学校の先生たちは俺が何か問題を起こしても「虎杖は家庭環境があれだから」とか何とか言ってあまり深く踏み込もうとはしなかった。かろうじて警察沙汰になるようなことはなかったし、単純に関わりたくなかったんだと思う。とりあえず大きな問題は起こさずに高校にさえ進学してくれればいい。そう思われていた。


「虎杖くんは、理由もなくそういう行為に走る子じゃありません」

 
 中二のとき、汚いから綺麗にしてやると言って下級生の頭を掃除用具のモップで押さえていた三年を止めようとし、校舎の壁に穴を開けてしまったことがあった。結果それは俺を気に入らない奴らが仕組んだ罠だったんだけど、しょうもない罠の割にしっかり計算されていたのか壁に穴を開ける瞬間を生徒指導と二年の学年主任、二人の先生にばっちり見られてしまったのである。
 説明しても分かってもらえない上に仕組んだ奴らは蜘蛛の子を散らすように逃げてしまい、そのまま俺一人だけ生徒指導室に連れて行かれ反省文を書く羽目になった。まあ壁に穴を開けてしまったのは事実だし、反省文くらいで済むならいっか……と思っていたら、呼び出されたらしい当時俺の担任だった先生が来てきっぱりと二人にそう言ったのだ。
 そのときはただただぎょっとした。立場的に上の先生たちにそんな風に言っちゃって大丈夫なん? って。
 他の先生たちみたいに俺のことを信じなくても、諦めても良かったはずなのに、先生はそうしなかった。しかも後日、俺をはめた奴ら全員を見つけ出して俺の前に連れてきたものだからさらにびっくりした。
 そんなこともあり、当時頼れる大人がじいちゃんくらいしかいなかった俺にとって先生の存在はなんだか心強かった。まあ、それは今も同じなんだけど。


「ってなわけでさ、先生は俺にとって特別っていうか。元気ないと気になっちゃうんだよね」
「あ、そう。ところで変な呼び名って何よ」
「そこ食いつくんだ? 教えねえけど」


 書き終えた報告書を持って、三人で補助監督室へ向かう。廊下がいつも以上に冷えるからか全員の歩調がいつもよりほんの少しだけ早い。わざわざ三人揃って提出しに行く必要はないのに、こうしてちゃんとついて来てくれるところは二人のすげえいいところだと思う。
 今日、先生はいるだろうか。もしあの日と同じように様子がおかしければ、我慢できずについ何があったんだと問い質してしまいそうな気がする。心の中で燻る焦りにも似た気持ちにもやもやしながら、いつもより早く辿り着いた補助監督室のドアを開けた。


「失礼しまーす……」
「あ、三人とも。お疲れさま」


 温まった部屋の空気が全身を包む。俺たちに気付いて、デスクワークに励んでいた先生がぱっと顔を上げた。ここに来るまでに頭の中で想像していたものとは全く違う穏やかな表情に、思わずその場で足を止める。


「今朝は急に任務入れこんじゃってごめんね。おかげで助かりました」
「いえ。これ、今日の報告書です」


 持っていた報告書を伏黒が奪って先生に渡す。いや書いたの俺だし、と思いながらも、ありがとうと言いながら書類を受け取る先生から目を離すことができない。
 まるで憑き物が落ちたかのような、そんな表情だった。無理して笑っているようには思えない。あの日感じた俺に対するよそよそしさも、ない。
 ぼんやりしている俺に気付いたのか、先生は一瞬だけ不思議そうな顔をしたあと、すぐに何かに気が付いたように一番下の引き出しを開けた。取り出したのは、まだ箱に入ったままの新品のタブレットだ。


「新しいの、さっき届いたから設定が済んだら渡すね。遅くなってごめん」
「あ、えっと、俺の方こそ壊しちゃってごめん」


 ひょっとして、全部俺の勘違いだったのかもしれない。正確に言うと、俺と釘崎の。
 でも先生が元気なら良かった。マジで。照れ隠しに頬を掻きながらへへ、と笑えば、先生は「寿命だったんだよ」と言って優しく笑った。全く別のことを考えていたので何のことを言っているのか分からなかったけど、釘崎が「いやコイツの不注意でしょ」と呆れたように言ったのでタブレットの話をしているのだと気付いた。
 報告書は提出したからもう用はないのだが、何か先生に話しておくことはなかっただろうか。そう考えて、俺は「あ」と短く声を上げる。


「そういや五条先生の誕生日プレゼントの件、まだ何も決まってなくてさ。クリスマスプレゼントと一緒になりそう」


 そう言うと、先生も俺と同じように「あ」と言った。
 あれからいろんな人に聞いて回ってみたものの、やっぱり五条先生の欲しいものは分からないままだった。みんなと親しいはずなのに誰も五条先生のプライベートな部分をよく知らなくて、それが逆に五条先生らしいとも思う。俺としては先生と伊地知さんを頼りにしていたんだけど、あまりにも決まらなさすぎて元々そんなに乗り気でなかった伏黒と釘崎はもう何もあげなくていいんじゃないか、とか言い始めている。
 ふ、と先生が視線を下げる。そして小さな声で「欲しいもの……」と呟いたので、やっぱり何か心当たりがあるのかもと思った俺は期待の眼差しを向けた。
 先生の頬と、下ろしている髪の隙間から覗く耳たぶがじわじわと赤く染まっていく。ん? と思うと同時に先生は軽く咳払いをして、少し恥ずかしそうにはにかんだ。


「多分……何でも喜ぶんじゃないかな」


 しん、と静まり返る部屋。俺たちが何も言えなくなるくらい顔を赤くしている先生は、自分の変化に気付いていないようで「部屋、ちょっと暑いね?」と言いながら片手で顔を扇いでいる。
 しばらくして伏黒が「じゃあ俺たちはこれで」と言ってすぐ、俺は口を開いた。


先生、五条先生と何かあった?」


 しまった。つい聞いてしまった。
 ハッとしてすぐ、頭と尻に衝撃が走る。いって! と大声を上げて振り返れば、後ろにはすました顔をした伏黒と釘崎が立っていた。


「え……だ、大丈夫?」
「大丈夫です。コイツのことは気にしないでください」
さん、またいつかみんなで女子会しましょーね」


 先生は俺の言葉が聞こえなかったのか、ただ急に後ろの二人から殴り蹴られたと思っているらしい。心配そうにこちらを見つめる先生に何かを言う前に、俺は伏黒と釘崎にフードを掴まれてずるずる引きずられていった。
 補助監督室を後にし、また冷たい空気が俺たちの身体を撫でていく。


「なんで叩くんだよ」


 何事もなかったかのように寮への道を歩く二人の背中に、そう不満の声を漏らす。


「アンタ本当馬鹿ね。何直接本人に聞いてんのよ」
「お前、何でもかんでもすぐ首突っ込む癖直せよ」
「察しなさいよ」


 そんなこと言って、伏黒と釘崎こそ気になって仕方ないくせに。口を尖らせてそうぼやく俺に、二人は何も反応しなかった。百パーセント図星である。釘崎にいたっては絶対女子会とやらで根掘り葉掘り聞くつもりだろう。
 先生が嬉しそうに、そして恥ずかしそうに笑う姿が頭に浮かぶ。多分、というか絶対に五条先生と何かがあったんだろう。その何かは俺には分からないけど、とりあえず悪いことじゃないことだけは分かる。
 廊下を歩きながら窓の外を見やれば、うっすら雪の積もった白い景色の中に黒くて細長いものが動いているのが見えた。五条先生だ。先生は寒さなんて微塵も感じさせない様子でそのままずんずん進んでいく。向かう先には、ついさっきまで俺たちがいた場所がある。


「……なあ釘崎。俺と伏黒も女子会混ぜて」
「やだ」
「勝手に俺を混ぜようとすんな」


 冷たい二人に、思わずふは、と息を漏らすように笑った。
 気になって仕方がないことに変わりはない。でも、また先生の様子がおかしかったらどうしようと悩んでいたときよりも幾分か気持ちがスッキリしている。
 まあ、とりあえず。今の俺にできることは何でもかんでもすぐ首を突っ込む癖と、何でもかんでも破壊する癖を直すことくらいみたいだ。



(2024.02.07)