向き合う話②



「最近の若い子ってさ、どんなものが欲しいのかな」


 ストーブの中で火が揺れる僅かな音を聞きながら、五条さんに言わなければならない言葉たちを頭の中で並べていたとき。真正面に座った彼がものすごく真面目な顔でそう言うものだから、一瞬思考が停止する。へ、と間抜けな声を漏らせば、五条さんは相変わらず真剣な様子で視線を落としたまま「もうすぐクリスマスでしょ」と言った。


「そう言われれば、そう、ですけど……」
「頑張ってる生徒たちにクリスマスプレゼントあげたいんだけどさ、『貰えれば何でも嬉しいです!』ってタイプは悠仁くらいなもんで、あとはほら……ちょっとプレゼントのチョイスを間違えたら来年までネチネチ言われそうじゃん」
「ええと……」
「それぞれの欲しいものを個別であげられたらそれがベストなんだけどね。どうせ貰うんなら欲しいものがいいだろうし」
「五条さん、あの」
「もしの欲しいものが今のままだと手に入らないとか、そういう理由なら辞めるのも一つの選択だと思うし引き留めないよ」


 水色の澄んだ瞳と視線がぶつかる。何度も逃げ出したいと思った五条さんの綺麗な瞳から目を逸らすことができない。
 五条さんはそのまま話を続けた。


「でもさあ、違うじゃん」
「え……」
は『辞めたい』んじゃなくて、『辞めなきゃいけない』と思ってるんでしょ。僕と、悠仁のために」


 伊地知に詳しく調べてもらって、もう全部知ってる。そう話す五条さんをまっすぐ見つめ返す。
 知られているのか、全部。上層部との間で起きたこと、言われたこと――。
 すべて知られたくないと思っていたのに、五条さんの言葉を聞いて少しだけほっとしているような、それでいて困惑しているような、いろんな気持ちが綯い交ぜになっていく。
 じわりと視界が揺らいで、まずい、と思った。そして、これ以上優しい言葉をかけないでほしい、と思った。
 せっかくの決断が五条さんの言葉で呆気なく崩れ落ちてしまう。そんな予感がして、私は慌てて首を横に振る。


「違うんです、私は、私のために……」
「上の連中はマジで、冗談抜きで皆殺しにしたいところだけど。とりあえず釘刺しといたから安心して」
「五条さん、」
の存在が僕や悠仁にとって邪魔になることはないよ。だから大丈夫」


 どうしてそんなことを言うの。どうして私なんかのために、そんなに真剣になれるの。どうして私を見限ってくれないの――。
 ふと、五条さんと初めて会ったとき、そして再会したときのことが頭を過る。五条さんは、知り合ったときからずっと私に対して強引すぎるところがあった。最初の頃はそれが嫌で、鬱陶しくて、自分から関わってしまった手前もうこの人からは一生逃げられないのかもしれないと思うと憂鬱になったりもした。子どもみたいな嘘をつくし冗談ばかり言うし、いつも五条さんのペースに巻き込まれる。あまり信用はできない人だ、本気で相手にしてはいけない人だと、そう思っていた。
 でもいつからか、五条さんの言葉に、存在に心から安心するようになっていった。今だって、私の中で大きな風船のように膨らんでいた心配や不安が五条さんの「大丈夫」という言葉一つで簡単に萎んでいってしまっている。
 私は五条さんのことを守りたかった。でも結局、守られてしまった。何とも情けない結末だけれど、その事実を目の当たりにして改めて思う。やっぱり私は馬鹿だ、と。
 ぽん、と大きな手が私の頭に乗った。その拍子に、ずっと我慢していた涙が膝に置いていた拳の上に零れ落ちる。


「まったくもう、世話が焼けるなあ」
「す、すみま、せ」
「でもまあ、僕のことをこんなに心配してくれるのって、世界中どこ探してもくらいなもんだよ」


 優しく髪を梳かれたあと、頬を伝う涙を五条さんの乾いた指先が掬っていく。自分の手で拭おうとしたとき、ふ、と五条さんが私を見つめたまま柔らかな笑みを零したものだから、触れられている箇所だけでなく顔中が一気に熱を持ち始めた。


「あれ、僕の泣き顔見るの初めてじゃない?」
「そう……ですかね、多分」
「笑った顔もいいけど泣き顔もいいね」
「えっ」
「好きだよ」


 言葉に詰まって思わず身を引くと座っていた丸椅子も後ろに滑り、ずっとぶつかっていた互いの膝が離れていく。それとあわせて五条さんの手も私の頬から離れたけれど、ストーブのおかげで部屋の中が暖かいこともあり相変わらず顔は熱いままだ。


「な、泣き顔が好きって、悪趣味ですよ」
「ん? あ、いや、今のは泣き顔がじゃなくて」


 口元に手を添えて少しだけ考える素振りを見せたあと、五条さんは足の力だけで椅子ごとぐい、と前に寄り、再び私と膝を触れ合わせた。驚いて目を見張れば、今度は手を握られて後ろへ逃げることもできなくなる。
 先程までとは違う種類の居心地の悪さとむず痒さに、私は押し黙った。そんな私に、五条さんは目を伏せて笑みを浮かべる。いつにも増して五条さんが格好よく見えるのはどうしてだろう。緊張しているのに、真っ白な長い睫毛に目を奪われてしまう。


は真面目で大人しいくせに猪突猛進なところがあって、たまにおっちょこちょいだし見ていて本当に飽きないよね」
「う……」
「そんなのことが、もうめちゃくちゃに好きなんだよ、僕は」


 ひとつの揺らぎも躊躇いもないまっすぐな告白は、そのまま静かに私の心に突き刺さった。
 僕ってのこと好きなの? 少し前に、五条さんはそう言って自分の内側にしかないはずの答えを自分の外側から探し出そうとしていた。お互いに自分の気持ちが分からなくてちゃんと考えようと決めたあの夜が、もう随分と昔のように思えた。
 そして、五条さんは答えを見つけ出してくれたのだ。私と同じ答えを。
 そのことに気付いた途端、いろんな感情が波のように押し寄せてきて不覚にもまた泣きそうになる。


「だから、今更『好きじゃないと思う』とかやめてよ。どんな形であれ、僕のことを守りたくていろいろ考えてくれたんでしょ。絶対好きじゃん、もう」
「ひ、人の気持ちを勝手に決めつけるのは違うって、あのとき五条さん言いましたよね」
「言った。言ったけど今回は決めつけさせてもらう」
「ずるい」


 心臓が今までにないくらい騒がしくて、最後の一言はただ息を吐くような囁き声になってしまった。
 正確に言えば五条さんのは決めつけなんかではなく、単純に私の気持ちなんてもうバレているのだ。そう思うと恥ずかしさが込み上げてきて、宙で視線が揺れる。
 、と優しく呼ぶ声。伸びてきた五条さんの手が、私の後頭部に回る。え、と小さく呟くと同時に、そのままぐっと引き寄せられた。


「ってことで、キスしていい?」
「……え、や、あの、だ、だめです」
「なんで?」
「家入さん……戻ってくるかもしれないですし……」
「そのまま仮眠しに行くって言ってたし、来ないって」
「いやでも、その」


 ずっと苦手だった強引さに息を呑む。「ええと」とか「あの」とかぶつぶつ言うことしかできない私を見て、五条さんは目を細めてにんまり笑いこう言った。硝子が来なければしてもいいって言ってるようなもんだよ、それ。と。そうかもしれないと思うと、軽く目眩がした。
 迫り来る五条さんの顔に緊張して全身が固まる。ぎゅっと唇を結んだところで再び名前を呼ばれた。


「ねえ、僕、待ってるんだけど」


 本当に、人生何が起こるか分からない。少なくとも少し前の自分は、こんな気持ちで五条さんと向き合う日が来るだなんて思いもしなかった。


「その、私」
「うん」
「……私も、五条さんが好き、です」


 心臓はせわしなく動き回っているのに、声だけは妙に落ち着いていた。
 たったひとつの答えに辿りつくのに、そしてその答えを口にするのに随分と遠回りしてしまったような気がする。でもいざ口にしてしまえばものすごくしっくりときて、『五条さんを好きだ』という感情の輪郭がはっきりとしていく。好きです、めちゃくちゃに好きですと、次々と言葉が溢れ出した。
 五条さんは嬉しそうに「三回も言われちゃった」と微笑んだあと、私に唇を寄せた。しかし触れ合う直前、あることに気付いて「……あ!?」と声を上げた私に、それまで穏やかだった五条さんの表情がみるみる歪んでいく。眉を寄せ、じっとりとこちらを見つめる五条さんの瞳は明らかに私のことを咎めていた。


「何を思い出したのか知らないけど、とりあえずこっちを優先してくれない?」
「誕生日! 五条さん、誕生日だったんですよね」


 おめでとうございます、と言うと、五条さんは少しだけ驚いたように目を見開いてすぐに忘れてた、と呟いた。
 一旦私の頭から手を離した五条さんは、壁にかけられていたカレンダーへと目を向ける。先日、虎杖くんから届いたメールの中に五条さんの誕生日は十二月七日だったと記されていた。七日なんて、もうとっくに過ぎ去ってしまっている。五条さんはわざとらしくため息を吐いた。


「そりゃ忘れるよねえ。いつも通り忙しかったし、誰かさんのせいで考えることも多かったし?」
「す、すみません……」
「冗談だって」
「欲しいものとかありませんか。できれば二つ」


 そう言うと、五条さんは「二つ?」と首を傾げた。
 虎杖くんたちが五条さんへプレゼントを用意しようとしていることは、サプライズのようなので言わなかった。二つと言ったのは、みんなからのプレゼントだけでなく私個人からも五条さんへ何か贈りたいと思ったからだ。『お詫び』の意味も込めて。
 もし本当に『休暇』と言われたらどうしようか。ふとそう思ったけれど、純粋に五条さんの『欲しいもの』には興味がある。じっと黙って返事を待てば、五条さんは生徒たちがクリスマスプレゼントに何が欲しいか考えているときと同じ表情を浮かべていて、私の視線に気付くと思いついたように頷いて「一つだけならある」と言った。


「でも、もう手に入った」


 その意味を理解するのと五条さんが私の指先を優しく、大事そうに握るのはほぼ同時で、口を開くより先に柔らかなものが私の唇に触れた。でもそれはほんの一瞬のことで、目を閉じる暇もないまますぐに離れていく。至近距離で私を見つめる五条さんは、ぽかんとしている私に「隙あり」と笑った。
 高専に引っ越して来た日。伊地知さんが立ち寄ったコンビニの駐車場に停めた車の中で、無理矢理重ねられた唇。あのときよりもずっと軽い口付けは、あっさりしているようで心がじんわりと満たされていくような、そんな温かさがあった。
 もう自分は誰かと深い関係になることはないかもしれない。婚約者と別れたとき、人と心で繋がることが怖くなった私はそう思った。時間が解決してくれると分かってはいても辛いことに変わりはなかったし、きっとこの先ずっと引き摺っていくのだろう、と。

 
「……あ、雪」


 ぽつりとそう言うと、私を見つめていた五条さんの視線が窓の方へ動いた。それを確認したあと、五条さんの手を握り返し今度は私から五条さんにキスをする。まだ、雪は降っていない。
 真似をして「隙あり」と言えば五条さんは呆気に取られていたけれど、すぐに「やられた」と言って私の身体を抱き締めた。


「いろいろと、すみませんでした」
「うん」
「もう、いなくなろうだなんて思いませんから」
「そうして」


 強く抱き締める五条さんの背中に腕を回したところで、頭に学長の顔が浮かんだ。学長にも早く謝りに行かないと。
 突っ走って学長に高専を辞める話をしてしまったことを説明すると、五条さんは私の肩口に顔を埋めたまま「それなら問題ないよ」とくぐもった声で言った。


「多分、が学長にその話をしたあとすぐ僕に連絡来たし」
「え、どんな?」
「何かしたんなら謝れって。そして、絶対に引き留めろって」


 あの人、あの顔でそういうとこあるんだよね。五条さんはそう言うと、頭を上げて驚いている私の頬を指先で撫でた。


「ね、もう一回からキスしてよ」
「……い、家入さんが」
「いや、それもういいから」


 こつんと額が合わさる。触れ合う箇所から五条さんの温もりと優しさが伝わってきて、心が解れていく。
 守りたかったけど守られてしまった。でも守りたい気持ちに変わりはない。五条さんが惜しみなくくれる温もりや優しさを、そして何より五条さん本人を。何の力も持たない私でも、五条さんのそばで彼を守る方法が探せばあるかもしれない。
 躊躇って動けずにいる私に、五条さんは言った。


「たった二回で、は足りるわけ?」
「……やっぱり、ずるい」


 もう一度、追加で「ずるい」と言って私は五条さんと唇を触れ合わせた。それは強引なものでも探り合うようなものでもなく、お互いが望む形へと踏み出す一歩のようだった。



(2024.01.13)