五条とトンネル
青白い光を放つ水銀灯が並ぶ古びたトンネルを抜けた先に、秘密の場所があった。秘密、というのは誰も知らないということではなく、私が一人になりたいときに行く誰にも教えていない場所、という意味である。その場所は雑木林に覆われた小高い丘になっていて、私の家を含む街並みを俯瞰することができ、考え事をするにはぴったりの場所だった。
十歳の頃、家で飼っていた猫が死んだときも、私はその場所を何度も訪れては一人座り込んでいた。
「お前、何やってんの?」
急に声が聞こえて振り返ると、悟が立っていた。ポケットに両手を突っ込み、口からは最近よく食べている棒付きキャンディの白い棒が覗いている。
見上げた私の目が赤くなっていることに気づき、悟は顔をしかめて「また泣いてんのかよ」とぼやいた。
「お前の親父、お前がいなくなったっつって必死に探してたけど」
「悟の前だからだよ。どうせ帰ったら叩かれる」
「だろうな。一緒に戻ってやるよ」
悟はそう言って、私に手を差し出した。
彼は私の父のことをよく分かっていた。このまま一人で帰れば、どこに行ってたんだと叱責されるはず。でももし悟と手でも繋いで戻ったならば、きっと父は大喜びで私を出迎えるに違いない。
瞬きをすると、溜まっていた涙がぽろぽろと溢れ落ちた。父に厳しく怒られたとき、休みなく続く訓練に心が折れそうになったとき、自分の弱さに挫けそうになったとき。私を癒してくれた柔らかな毛並みはもうこの世に存在しない。温かい命を抱きしめることは、もう叶わないのだ。
「泣くなって。さらに不細工になるぞ」
悟はパーカーの袖で私の顔をごしごしと拭くと、私の手を掴んで立ち上がらせた。そりゃあ、悟からしたらみんな不細工に見えるだろう。悟の言葉にムッとした私は口を尖らせつつ、彼の後ろを歩いた。
「ねえ、生まれ変わりってあると思う?」
ひんやりとするトンネルを歩きながら、私の前を歩く悟にそう尋ねてみる。
「生まれ変わりぃ?」
「ないかな」
「ねえだろ」
「そうかな」
「あったら、つまんねえし」
「どうして?」
青白く染まった悟の髪が揺れるのを見ながら再び問いかけると、悟は口の中で飴を転がしながら「んー」と言った。
「だってさ――」
あのとき、悟は何て言ったんだっけ。
ぽた、と冷たい水が頬に当たる。瞬きをして耳をすますと、上から落ちてくる水が地面を叩く音があちこちから聞こえた。外は雨が降っているようだ。
規則的に並んだ青白い灯り。その懐かしい天井をぼんやりと見上げていたら、正面から砂を踏む音が聞こえた。
「お前、何やってんの?」
呆れた声が聞こえて正面に顔を戻すと、そこには悟がいた。黒のサングラスを額までずらし、美しい瞳でこちらを見ながらも、不機嫌さを隠そうとはしない。
「……あれ、なんで悟がここにいるんだっけ?」
「それはこっちのセリフだっつの」
「私は、普通に、任務で」
話しながら、雨水で濡れた頬を袖で拭った。真っ黒な制服はほとんど水を吸わず、何度も顔を擦る私の手首を悟は掴むと、自身の袖で私の顔を拭き始めた。遠慮というものを知らない力加減に痛い痛い、と声を上げる。
そして悟は、私の手を握ったまま歩き始めた。私の秘密の場所がある方向とは反対で、こっちで良かったんだっけ、と考えるもののうまく頭が回らない。前を歩く悟の背中から漂う苛立ちに、詳細を尋ねるのを躊躇ってしまう。
「ねえ、昔の話なんだけどさ」
そう切り出すと、悟は正面を向いたまま「うん」と返事をした。
「小さい頃、泣いてる私を悟が見つけてくれて、こうやって一緒に手繋いで帰ったことあったよね」
「あー、あったあった。お前の親父、テンション上がりすぎて倒れそうになってたな」
「そう、あのあとしばらく機嫌よくて、三日くらい叩かれなかった」
「三日だけかよ」
ふ、と悟が笑う。つられて私も笑った。
「それで……私が悟に生まれ変わりについて聞いたら、悟が『あったらつまらない』って言ってさ」
「おー」
「なんで『つまらない』んだっけ? いや、覚えてないなら別にいいんだけど、なぜか気になって」
トンネルの終わりが近い。雨が降る音はまったく聞こえず、外はとても静かだった。白く、霞んだ光が差し込んでいる。
急に立ち止まった悟はくるりと振り返ると、驚く私をまっすぐ見て、はっきりと言った。
「時間も、人も、感情も、一回きりだからこそ、大事で愛おしいものなんじゃねえの?」
「……悟」
「ってわけで」
ぐいっと手を引かれたと思ったら、思い切り背中を押されて「ギャッ」と間抜けな声が出た。トンネルの外に勢いよく押し出され、何とか転ぶのを回避する。慌てて振り返れば、先程まで学生の姿だった悟が大人になった姿で柔らかく微笑んでいた。
「死んじゃったらおしまいなんだからさ。次はヘマしないでよ」
悟はじゃあね、と言って、私と繋いでいた右手を軽く上げた。悟、と名前を呼んだけれど、それは声にはならなかった。辺りを包んでいた白い光の中に、悟が溶けて消えていく。一度だけ、にゃあ、と猫の鳴き声が聞こえた。
そうだ、そうだよ。どうして忘れていたんだろう。悟はもう。
「……いないんだった――」
ようやく声になった呟きを拾ったのは硝子だった。真上から私の顔を覗き込む彼女の耳にかかっていた髪が、はらりと鼻先に落ちてくる。
私の表情を見て、硝子は訝しげに眉を寄せた。
「発見されたとき、意識もない上に左手も取れかけてて結構ヤバかったんだけど。何で笑ってんの?」
「いや……夢に、悟が出てきてね」
「あのバカ、何か言ってた?」
「次はヘマするなよ、って」
そう言うと、硝子はようやく表情を緩めて「まったく同感だな」と笑みを深くした。
硝子曰く取れかけていた左手は確かにそこにあり、その掌にはまだ悟の温もりがやさしく沈んでいた。
(2025.08.17)