イルミと死に際

 ああ、いよいよまずいな、これ。
 まるで喉の奥にあるかのように、激しくばくばくと鳴っていた心臓の音が弱まっていくのを感じる。刺された腹から噴き出した生温かい血は私の白いシャツを赤く染め、床には血溜まりができていた。
 先程まで感じていた痛みはどこかへ行ってしまったようだ。今はただひたすら、眠い。
 心残りとか、楽しかった思い出とか、そういうのを振り返ることもなく、ふわふわと遠いところへ連れて行かれるような。そんな変な気分を味わいながら、死ぬってこんな感じなのかあ、と朧げに実感したときだった。

「へえ、死ぬんだ」

 間近でそんな声が聞こえて、私はぼんやりと顔を上げた。それだけの力は残っていた。
 私の前にしゃがみこんでこちらを覗き込んでいたのは、ライバルのイルミだった。ライバルというのは私が一方的にそう分類しているだけで、別の言い方をすれば幼い頃から密かに想いを寄せていた幼なじみ、である。

「……イルミ」
「失敗したの?」
「うん……全員殺したけど」

 イルミは辺りに転がっている死体を見渡して、ふうん、といつもの調子で言った。
 イルミの、いつどんなときでも感情がぶれないところ、尊敬してるんだよなあ。私の死に際でも冷静でいるのは少し悲しいけれど。でも危なかった、イルミのことを思い出さないままで死ぬところだった。でも、まあ、とにかく。

「最期、看取ってくれるのが、イルミでよかった」
「え、オレ、看取んなきゃいけないの?」

 じゃあさっさと死んでくれないと、オレこのあと予定あるんだよね。長い髪の毛先を指でくるくる巻きながら、そんな思いやりの欠片もないセリフを言い放ったイルミに思わず笑ってしまった。通常運転すぎる。笑った拍子にどこかへ行ってしまったはずの痛みが容赦なく腹に戻ってきて、ぐ、と歯を食いしばる。

「そう、だね、イルミの時間は貴重、だから」
「……」
「ありがと、じゃあ、ね」

 本当のことを言えば伝えたいことはもっとたくさんあった。ずっと好きだったって告白しても良かったかもしれない。ここで私は終わるのだから。でも、それらを伝えるには私もイルミも時間が足りなかった。
 死後の世界があるなんてこれっぽっちも思っていない。仮に天国と地獄があったとして、たくさん人を殺してきた私の地獄行きは確定しているわけだし。
 でも、もし、死んだあとに魂だけになって残り続けることができるなら、イルミのことを守ってあげたい。私が知る人の中で誰よりも強くて美しくて、孤独で寂しい家族思いなイルミのことを、彼の命の火が消えるその日まで。
 そう思って死んだはずなのに。

「重いよ、お前」

 今までに感じたことのない質感の布団に包まれている私を見下ろし、イルミはそう言った。
 生きてる――。
 しばらくぼんやりとした気分で彼を見ていたが、『重い』の一言でハッとした。意識を手放す前、頭の中だけで考えていたはずのことを実は全部本人に伝えてしまっていたんだ。慌てて起き上がろうとするも、まったく身体が動かない。布団を引き上げて顔を隠すことすらできなかった。

「ごめん……全部忘れて」
「もう少し痩せた方が今回みたいな失敗もなくなるんじゃない?」
「ああ……重いってそういう意味……」

 掠れた声でそう呟いて内心ほっとしながら、死にかけの私をイルミが運んでくれたという事実に気付いて軽い目眩がした。もし立っていたら膝から崩れ落ちていただろう。
 でも、どうしてイルミがそんなことを? 予定があるから死ぬならさっさと死んでくれ、とか言われたような気がするけど?
 必死になって死に際の記憶を辿っていたら、イルミの細い手がにゅっと伸びてきた。そして指で額をぺしんと弾かれる。

「痛っ」
「お前、オレに何か言うことあるよね」
「う……助けてくれてありがとうございました……おいくらですか」
「そうじゃなくて」

 イルミの真っ黒な瞳に見つめられていたら、指先からじわじわと体温が戻ってくるような感覚を覚えた。
 どうしよう。いつもだけど、そのいつも以上にイルミが格好良く見える。

「……す、好きです……」

 ようやく動くようになった手で布団を口元まで引き上げて、小さな声でそう言った。

「ふうん」

 返ってきたのはいつもの「ふうん」だった。でも、いつもぶれないイルミの感情が僅かに揺らいだのを感じて、私はちょっぴり泣いた。


(2025.04.20)