虎杖と焼きそば

「先輩?」

 じゃあじゃあじゃあ。蛇口から流れる水の音の向こう側から私を呼ぶ声が聞こえて顔を上げた。只今の時刻、二十二時十五分。普通ならば誰もいないはずの食堂で丁寧にキャベツを洗う私を映した虎杖くんの目は、いつもより大きく見開かれていた。
 一日の終わりにシャワーを浴びてきたばかりなのだろう。首にかけていたタオルで濡れた髪を拭きながら、虎杖くんは不思議そうに私のそばまでやって来た。

「何してんの?」
「虎杖くん、ちょうど良かった」
「うん?」
「お腹すいてない?」

 蛇口を捻って水を止める。洗ったばかりのキャベツ、細く切ったにんじん、割引シールが斜めに貼られた豚バラ肉、そして三食入りの焼きそば麺。それらを順番に眺めたあと、ぱっと顔を輝かせた虎杖くんは夜とは思えぬ元気の良さで「食う!」と答えた。話が早くて助かる。

「でも、なんでこんな時間に焼きそばなん?」

 手伝いを申し出た虎杖くんを半ば強引に椅子に座らせ、切った野菜と肉をフライパンで炒めていく。油を纏った具材を箸で踊らせながら、私はお昼に真希ちゃんと食べたお洒落なカフェのお洒落なランチプレートを思い浮かべていた。周りの可愛い女の子たちがいろんな角度から写真を撮るくらい映えている、私と真希ちゃんには量が足りなさ過ぎるランチ。ひとり二千二百円。

「お昼に真希ちゃんと食べに行ったランチがさ、ちょっとあれな感じで」
「あれって、どんな感じ?」
「んー……なんか落ち着かないというか。ほら、普段食べ慣れていないものを食べたあと、食べ慣れている庶民的なものを食べるとほっとするじゃん? だから焼きそば」
「あー、旅館とかに泊まりに行ってそれはそれで楽しいんだけど家に戻ると『やっぱり家が一番だな』って思う的な?」
「それそれ」

 レンジで温めて少しほぐれた麺を三玉すべてフライパンに投入し、魔法の粉を入れる。そして混ぜればあっという間に私と虎杖くん二人分で材料費二千二百円に満たない、簡単焼きそばの完成である。
 棚からちょうど良いサイズの皿を二つ取り出し、焼きそばを分ける。少し多めによそった方を虎杖くんの目の前に置く。すでに箸とお茶はテーブルに用意されていた。

「うまそ〜!!」
「味には自信があります……というか、焼きそばは誰が作ってもおいしいんだけど」

 座ると、虎杖くんはぱんっと手を合わせ勢いよく「いただきます!」と言って、豪快に焼きそばをすすり始めた。
 たまにYouTubeで大食いの動画を見たりするが、虎杖くんの食べっぷりはその動画を見ているときと同じ気持ちの良さを感じる。いや、目の前で、さらには自分の作った料理だから、動画以上かもしれない。
 いただきます、と虎杖くんに続いて私も焼きそばをすする。身体に染み渡っていく濃いソース味。これこれ、求めていたのはこの味だ。
 お互い無言で焼きそばを食していたら、虎杖くんがぽつりと零すように「俺、幸せかも」と言った。口の中の焼きそばを咀嚼しながら、ふ、と笑う。

「そんなにお腹すいてたの?」
「それもあるけど、先輩のうまい手料理を食べられるなんてツイてるなって」
「焼きそばを『うまい手料理』に分類されるのは複雑なんだけど」
「先輩が作ったってのが重要なんだって。俺、先輩が作った料理、毎日でも食いたいもん」

 すすった焼きそばが変なところに入って噎せた。げほげほと咳込む私に虎杖くんは麦茶をさっと差し出してくれる。なんて気が利く子なんだろう。いや、しかし。
 咳が落ち着いたところでお茶を飲み、はあ、と大きなため息を落とす。

「その言葉はさあ、変な誤解を生むからあんまり言わない方がいいよ」
「大丈夫、先輩以外には言わんし。誤解大歓迎だし」

 虎杖くんのお皿の焼きそばがどんどん減っていくのをまじまじと見つめる。
 そういえば。全然こっち見ないな、虎杖くん。
 彼の耳たぶがほんのり色づいていることに気付く。シャワーで温まってきたからか、それとも。
 それってさ、と言えば、そこでようやく虎杖くんの箸を持つ手がぴたりと止まった。

「つまり、虎杖くんは……」
「ん」
「私に……食堂で働いてほしいと思ってるわけだね」

 ばっと顔を上げた虎杖くんは、キャベツを洗う私を見つけたときと同じように目を丸くして声を上げた。

「そっち〜!?」
 
 へへ、と笑って、冷める前に食べ切ろうと再び焼きそばをすすり始める。さっきまで食べていたものと同じ焼きそばなのに、何だか胸がいっぱいで違う味がするのは気のせいだろうか。


(2025.04.20)