偏愛
畳の上に並ぶ、色とりどりの南蛮衣装。それらを鋭い眼差しで眺めているのは、タソガレドキ城・城主の黄昏甚兵衛である。
彼は小姓が差し出す衣装を一着ずつ手に取っては、身体に当ててどれが己に最も似合うか見定めていた。
「二つ、ご報告が」
音もなく部屋の隅に現れた雑渡に、衣装を持つ小姓だけがびく、と肩を震わせる。対して甚兵衛の意識は、南蛮船によって昨日運ばれてきたばかりの衣装に注がれており、かつ『雑渡昆奈門』という男にすっかり慣れていたため、驚くことなくただ一言「申せ」とだけ告げた。
「私の監視下に置いていた例の女子ですが、姿を消しました」
今朝、部屋を訪ねたところもぬけの殻だった、と話を続ける雑渡に、甚兵衛はあまり興味のない様子で呟いた。
「例の女子?」
雑渡は顔を上げた。
女子など、黄昏甚兵衛の側には何十人といる。その中で、雑渡がわざわざ『例の』をつけて呼ぶ女子は、今のところ一人しかいない。
しかし、甚兵衛はつい先日、自身の寝所で起きた面白い出来事をすっかり忘れてしまっていたのだ。
「数日前の夜、殿の寝所に落ちてきた女子です」
「ああ、あの変な女子か」
甚兵衛はあまり見慣れない形の帽子を手に取ると、己の頭にのせて側にいる小姓にどうだ、と聞く。それに対しての小姓の返事は、いつも「とてもよくお似合いでございます」だ。
甚兵衛は帽子を脱ぐと、それを指でくるくると回しながらふん、と鼻で笑った。
「して、何を盗まれた? 青磁の壺か、はたまた唐物の茶器か?」
「何も盗まれてはおりません。念のため城の内部も調査しましたが、持ち出されたものはございませんでした」
「では、何か情報でも盗られたか」
「それもございません」
「何じゃ、つまらん」
甚兵衛は吐き捨てるようにそう言って、帽子を畳の上に放り投げた。
そして、並べられた南蛮衣装の上をずかずかと歩き、上段の間に腰を下ろす。遠くを見る眼差しは、女子の顔を何とか思い出そうとしているようだった。
「そのうち食事の席にでも呼んで、何か話でもさせようかと思っていたが……」
「恐らく、本人が話していた通り——神隠し、であったかと」
扇子をパチン、と閉じた甚兵衛は、衣装を片付ける小姓の奥で膝を折って控えている雑渡を、おかしなものでも見るような目でまじまじと見つめた。
「お主の口からそのような言葉が出てくるとはな」
「しばらく監視しておりましたが、特段害があるような女子ではございませんでした。このまま、捨て置いてよろしいかと」
「ふむ……まあ、良いだろう」
甚兵衛は、傍らに置いてある脇息に肘を預け、久しぶりに思い出した女子のことを考えていた。
もしこれが絶世の美女であったなら、惜しいことをしたと臍を噛む思いがしただろう。しかし甚兵衛の頭の中には、女子の顔についてはもうぼんやりとした記憶しか残っていなかった。唯一覚えているのは、めそめそと泣きながら必死になってよく分からないおかしなことを喋っていた、みすぼらしく情けない姿だけだ。
どうだってよかった。タソガレドキに実害がないのであれば。
「それで、もう一つの報告というのは何だ」
雑渡が最初にこの部屋へ現れたときに述べていたことを思い出し、甚兵衛はすぐに切り替えてそう尋ねた。その時にはもう、彼の頭の中から女子の件は消え去っていた。
ここ最近、平和な日々が続いて少し退屈していたところだ。そろそろ戦の一つでもしていい頃合いだろう。もしどこぞの城が兵を挙げる算段を立てていたとしたら、攻められる前に攻め込んでやるか——。
そんなことを考えながら、甚兵衛は酷薄な笑みを浮かべ、雑渡のもう一つの報告を待った。
ところが。
「私も近々、嫁を取ろうと考えております」
雑渡の言葉に、甚兵衛は目を大きく見開き、固まった。丁寧に畳まれた南蛮衣装が、小姓の腕の中から畳の上へどさりと落ちる。しかし、甚兵衛がそれを咎めることはなく、ただただ沈黙だけが部屋中に広がっていく。
「今……城を取ろうと考えている、と言ったか?」
聞き間違いを疑った甚兵衛からの問いかけに、雑渡は静かに首を振る。
「いえ、城ではなく嫁と申しました。いい加減、私も所帯を持たねば部下たちにも示しがつきませんので」
雑渡の言葉に唖然としていた小姓が、慌てて衣装を掻き集めて部屋を後にする。
この話が城中に広まるのに一刻も必要ないだろうな、と考えながら、雑渡は小姓を見送った。そして甚兵衛へ視線を戻せば、彼は何やら俯いてぶるぶると震えている。
しかしすぐに、甚兵衛は閉じていた扇子で膝を叩くと、大口を開けて笑い始めた。
「そうか! 昆奈門、お主もとうとうその気になったか!」
甚兵衛はしばらくの間、上機嫌に笑い続けた。
そして、にやりと笑って雑渡を見やった。この男が『近々』と言うのなら、すでにめぼしい相手がいるのだろう。
雑渡本人に子種があるかは分からないが、もし、雑渡家に子が生まれたら。そうなれば、これほどの才を持つ忍びの血を、次代のタソガレドキを担う、甚兵衛の子らへと繋げられるということだ。
そんな理想が実現すれば、タソガレドキは末永く安泰である、と言っても過言ではない。いや、もっと上へ行けるかもしれない。そう考えると甚兵衛は笑いが止まらなかった。
「では、何か祝いの品を贈らねばならんな。何がいい? 何でもいいぞ! 祝言も盛大に執り行うがよい。いや、その前に、お主をその気にさせた女子はどこの誰じゃ?」
昔、雑渡に許嫁がいたことは知っていたが、全身に酷い火傷を負ってからというもの、甚兵衛本人がいくら良い縁談を持ってきても雑渡は頑なに首を縦に振ろうとしなかった。
そんな雑渡が嫁にと選んだ女子だ。傾城と呼ぶにふさわしい美貌の持ち主か、または手練のくノ一か、そのどちらかだろう。
雑渡は姿勢を崩すことなく、黙って甚兵衛を見つめ、やがて言った。
「祝いの品につきましては、お気持ちだけ頂戴いたします。祝言も、あいにく予定はございません。その代わりと申してはなんですが、一つ、お願いがございます」
「何だ、何でも言ってみろ」
甚兵衛は嬉々として前のめりになった。
「私の嫁となる女子の素性につきましては、どうかお構いなきよう。そこは私にお任せいただきたく存じます」
「……何?」
「実際、殿ご自身からそう仰せつかりましたので。『あとのことはすべてお主に任せる』と」
静かにそう言って頭を下げた雑渡を、甚兵衛は呆気にとられた様子で見つめた。
言葉は丁寧だが、雑渡の言いたいことを要約すると、「この件については一切口を出してくれるな」だ。
なぜそこまでしてこちらの手が及ばぬようにしたいのか。己に、その嫁となる女子を見せられぬ何らかの事情があるのか。
黙り込んだ甚兵衛は扇子を弄りながら、雑渡に視線を投げる。『あとのことはすべてお主に任せる』とは、一体何の話か——。
そこまで考えて、ふと記憶を蘇らせた甚兵衛はぽつりと小さく呟いた。
「……正気か?」
雑渡は答えない。ただ顔を上げて、まっすぐ甚兵衛へ視線を返した。
しん、と静まり返った部屋で互いに見つめ合う。
やがて甚兵衛はふっと意地の悪い笑みを零すと、持っていた扇子で雑渡を指し、言った。
「お主の趣味の悪さには驚いたぞ」
「お褒めのお言葉、ありがたく頂戴いたします」
嫌味を嫌味で返された甚兵衛はわずかに口元を引き攣らせたが、すぐに雑渡に向かって「もうよい、下がれ」と告げた。
ここで縁組は認めないとでも言えば、先程思いついた己の理想はきっと実現しないだろう。そのことを甚兵衛本人は理解していたし、雑渡本人も甚兵衛がそう考えることを確信していた。
雑渡が部屋を立ち去る直前、甚兵衛は雑渡を呼び止めた。
「あの面白い——神隠しで消えてしまった女子が着ていた衣服だが、どうする? そのうち本人に返してやってもよいと思っていたが……消えてしまったとあっては、持て余すからな」
「もう必要もございませんので……燃やしてしまってよろしいかと」
すぐにそう答えた雑渡に、甚兵衛は笑みを深くした。
「昆奈門」
「は」
「存外、神隠しと呼ばれるものは人の手によって起こるものなのかもしれんな」
これに雑渡は答えず、静かに一礼し、音もなくその場から姿を消した。
▼
暗い城を出て山道へ入ると、むっとするような夏の暑さが身体を包んだ。ただでさえ全身包帯だらけの身には応えるな、と内心ぼやきながら、雑渡は空を仰ぐ。
木々の葉が頭上を覆い、ところどころから差し込む陽射しが道を細く照らしている。蝉の声が途切れることなく響き、草むらからは小さな虫の羽音が聞こえてくる。
「首尾よくいきましたかな?」
一本の木の陰から、ぬっと人影が現れた。黒鷲隊の小頭、押都長烈である。
制御できない汗が吹き出すのに嫌気が差していた雑渡は、彼の雑面を見て顔を顰めた。
「暑くないの、ソレ……」
「は?」
「いや、こっちの話。首尾ね、上々だよ」
そう返事をしながら、雑渡は先程の甚兵衛との会話を思い返していた。
延々と小言を言われるかもしれないと覚悟の上で赴いたわけだが、「趣味が悪い」の一つだけで済んだのだ。上々以外の何物でもない。
雑渡は隣を歩く押都へ顔を向けた。
「彼女は?」
「よく寝ています。もうしばらくすれば目を覚ますかと」
「そう」
「組頭が無理な調合するから、その反動でしょう」
押都は雑面の下でにや、と笑う。雑渡も軽い笑みで返した。
昨日、神社から屋敷へ戻ってきた彼女は『茶』の効果と慣れない山道を歩いたこともあり、相当疲れている様子だった。帰ってきたことを喜んだお豊の手を借りて湯を浴びたあと、晩飯にも手をつけず眠ってしまい、今も眠り続けている。
「十五年だよ」
雑渡の呟きに、押都は何も答えなかった。
彼女の側にいると、嫌でも女子として成長した身体つきや、すらりと伸びた手足に目がいった。そのたびに、あの頃から過ぎ去った時間の長さを思い知らされて、雑渡の胸の内にはなんともやるせない気持ちが募ってくる。
自分のしていることは、間違っているだろうか。
今の彼女は、可哀想だろうか。
そう考えたものの、すぐに否、と自分の考えを打ち消す。
自分はただ、実行しているだけだ。彼女のあの首の痣を見たときに決めたことを。
「そういえば、久しぶりに昔のことを少々思い出したのですが……」
顎に手を当てて、押都がそう言った。
「昔のこと?」
「たしか……彼女を黒鷲隊の若い者に充てがうという話も出ていたな、と。うちは昔から独り者が多い隊ですから」
「さあ、どうだったかな?」
ふい、と顔を逸らし、雑渡は方向を変えて歩き始めた。足元で踏みしめた草が乾いた音を立てる。押都がため息を吐くのが聞こえた。
『百に一つ……いや、百万に一つだとしても、そこに『一』という数字がある限り、この世の全ては起こり得ることだと思うのです。一度起きたことなら、なおさら』
のろのろと、慣れない動きで木によじ登っては飛び降りていた彼女が、真剣にそう話していたことを思い出す。
雑渡は笑った。一度零れた笑いは、なかなか止まらなかった。その顔には、喜びとも狂気ともつかないものが浮かんでいた。
彼女の話は正しかった。その『一』が起きたが故に、彼女は今ここにいる。
だからこそ、私は正しい。
雑渡は振り返り、押都へ静かに言った。
「過去のことは、すべて忘れてしまったよ」