しばらく経ち、ようやく涙も止まった頃。不死川様の手が私の頬から離れていくと同時に、急に「悪かったなァ」と言われて私は首を傾げた。何も謝罪されるようなことはないはずなのに、どうして謝られるのだろう。


「ええと…?」
「見舞いに来たらしいが、寝てたからよォ」


不死川様はそう言うと、少し罰が悪そうに頭を掻いた。その表情がいつもより少し幼くて何だか気が抜けてしまった私は、ふふ、と軽く笑って首を横に振る。ぐす、と鼻をすすり小さく息を吐き出した。


「こちらこそ、その後なかなか行けなくて…」


少し視線を落とすと、先程まで私の涙を拭ってくれていた手が目に入り、言葉が詰まる。二本の指が欠けてしまった右手。初めてお見舞いに行った時に気付いたものの、その手にはまだ私の胸を苦しく締め付けるほどの衝撃が残されていた。

彼に何と声をかけるのが正解なんだろう。無事で良かった、と伝えるには失ったものが多すぎる気がして、結局何も言えなくなってしまう。黙ったまま、私は不死川様の手に優しく触れた。僅かにびくりと跳ねたその手を両手で包み込むようにして握り、顔を上げる。


「…痛い、ですか?」
「もうそんなに痛くねェ、まだ慣れないがなァ」
「そうですよね…」
「…あって当たり前のもんなんてねェんだよなァ」


不死川様がぽつりと呟いた言葉に、私は唇を噛み締めた。『あって当たり前のものなんてない』。それが自身の指のことを言っているのか、別の何かのことを言っているのか、私には分からない。目を伏せて私に握られた手を見つめている不死川様に、「あの」と声をかける。不死川様はゆっくりと顔を上げた。


「前に、おはぎを一緒に食べに行きましょうって話したの、覚えてますか?」
「あァ」
「あの時、不死川様にそんな日がくればなって言われて…絶対来ますって言って、あの」


まとまりなく話す私を、不死川様は何も言わずに待ってくれている。その様子に私は焦りながら、ええい言ってしまえ!と半ば勢いで言葉を吐き出した。


「…いつ、一緒に食べに行ってくれますか?」


──話したいことが、たくさんあるんです。そう言うと、不死川様は少し驚いたように目を丸くしたあと、すぐにふっと息を吐いて笑った。その顔が今までに見たことないくらい穏やかなものだったので、思わず呼吸を忘れてしまいそうになる。馬鹿なこと、失礼なことを言ってしまったかもしれない、という気持ちも相まって、どんどん顔に熱が集中していくのを感じた。不死川様は相変わらずくつくつと笑っている。


「そうかァ」
「あの…本当いつでも…大丈夫です、すみません…」


穴があったら入りたい。むしろ、入った後にその穴を誰かに埋めてもらいたい。強い後悔に襲われながら目を閉じていたら、


「じゃあ、今から行くかァ」


と、思ってもみなかった言葉が飛んできたので私は勢いよく顔を上げた。


「今から、とは、いつでしょうか」
「…だから、今から」


私の呆けた質問に不死川様はそう答えた後、私の片手をとり優しく握った。手のひらが重なり、ゆっくりと確かな温もりが伝わってくる。いまいち状況を理解できておらず目をぱちぱちとさせる私に、不死川様は静かに笑いかけた。

そして不死川様の口が開いた時、背後からガラリと窓を開ける音が聞こえて、びくっと肩が跳ね上がる。


「おうおう、お二人さん、仲良さそうで何よりじゃねーの」
「ちょ、宇髄さん!駄目ですって、邪魔したら!」


ぎゃあぎゃあと騒ぐ声が聞こえて慌てて振り返ると、そこには宇髄様と炭治郎くんの姿があった。ぽかんとしている私の隣で、不死川様が小さく舌打ちをする。繋いだ手をそっと離そうとしたが、それは不死川様がさらに力を込めたことによって阻止されてしまった。どうしようか迷い、とりあえず空いている方の手で窓辺に立つ二人に向かって軽くひらりと手を振る。少し離れているのでよく見えないが、恐らく宇髄様はにやにや笑っていて、炭治郎くんはあわあわしているのだろう。あの二人から、繋ぎ合った手は見えているのだろうか。


「み、みんな元気になって、良かったですね」
「…、─ずっと、」
「え?」


不死川様の言葉がうまく聞き取れず、隣に立つ彼を見上げた。ほのかに赤く染まった耳に目を奪われていたら、ぱっと不死川様がこちらを向いたので、どきりとして息を呑む。

炭治郎くんが宇髄様を引っ張っていったのか、再び辺りが静かになった。不死川様から目を逸らすことができなくて、繋いだままの手に意識が集中してしまう。


「あの、今何か…」
「…いや、行くぞォ」


不死川様は私の手を引いて歩き出した。私の少し前を歩きながら、「話したいこと、たくさんあんだろォ」と呟く。胸がいっぱいで言葉が出ない。大股で何歩か進み、不死川様の隣に並んだ。


「話、全部聞いてやるよ」
「…はい!」


今日一番の元気の良い私の返事に、少し照れて不機嫌そうに見えた不死川様の口元が緩むのが見えた。

今のこの時間は、今まで不死川様のことを信じ続けたことによって生まれた未来なのだと思う。ざあっと強く風が吹き、桜吹雪で景色が桃色に染まる。私は繋がった温かく優しい手を、強く握った。


(天竺葵/ゼラニウム)