ふと目を開けると、私は草原の中に一人でぽつんと佇んでいた。雲ひとつない空をゆっくりと仰ぎ見る。そしてすぐに、ここが夢の中であることに気付いた。
普段、夢を見ている時はその夢が現実だと思っている。もちろん、こうして夢の中で夢であることに気付くことも稀にあった。しかし、足元で揺れる草の感触や髪を揺らす風の匂いなど、全てが本物のようで、私はその場から動くことが出来ずにいた。
一際強い風が吹いて、目を瞑る。風が止んで目を開けた時、正面の少し離れた場所に、男性が一人立っていた。その姿はまるで、あの写真からそのまま出てきたようだ。
「お父さん」
初めて声に出して呼んだその人は、目を細めてにっこりと笑い、「」と私の名を呼んだ。きっと私が覚えていないだけで、小さいころ何度も今みたいに名前を呼んでくれたのだろう。近付こうにも相変わらず身体を動かすことが出来ず、私は目の前の父に対して苦笑した。
「思うように動けないから、傍へ行けないの」
父は私の言葉に頷くと、静かに目を伏せた。悲しそうな表情に、もう一度「お父さん」と声を掛ける。
「には悪いことをしたと思っている」
「…悪いこと?」
「一人にしてしまって、すまない」
別にお父さんが謝ることじゃないよ。最近まではおじいちゃんも生きていたし、亡くなってしまった今も周りの人達が良くしてくれているから、自分が一人ぼっちだと思ったことは一度もないよ。
そう言いたかったのに、私の口から出てきたのは、「どうして鬼殺隊に入ったの?」という常に頭の中にあった疑問だった。
「お前やお前の子どもたちが、安心して暮らせるようにしたかったから」
「お父さんは、ちゃんと幸せだった?」
「幸せだった。仲間にも恵まれ、何より可愛い子どもにも恵まれた。短い間だったが、と過ごす時間は何物にも代えがたい幸福だった」
父はまっすぐ私を見つめ、迷うことなくそう答えた。その答えを聞いて、今まで知らなかった父の生き様に触れた気がした。父は、父の人生を全うしたのだ。望んだ最期ではなかっただろうし、後悔もたくさんあるだろう。それでも、父が振り返ってみて「幸せだった」と言い切れる人生だったのであれば、もう私が言うことは何もない。
「それなら良かった」
私がそう呟いた時、きん、と耳鳴りがして私は両耳を押さえた。俯いて自分の足元に目を向けると、ざわざわと景色が揺れている。
──もうすぐ夢から覚める。そう確信して顔を上げた時、「」と父が再び私を呼んだ。
「彼は大丈夫」
「え?」
「もうすぐ、全てが終わるから」
「お父さん、」
終わるって?そう聞き返そうとしたが、目の前が白く霞んでいき、あまりの眩しさに目を細める。父の姿がだんだん見えなくなり、私は目を閉じた。最後に耳に届いたのは、たった一言。
「悔いなく生きなさい」
目を開けると、いつもと変わらない天井が私を見下ろしていた。こんなにはっきりと現実的な夢を見たのは初めてで、私は何度も寝返りを繰り返した。ぼんやりした頭が覚醒していくとともに、心が波立ち落ち着かなくなっていく。首筋に触れると、そこは嫌な汗でじっとりと湿っていた。私はむくりと起き上がり、
「もうすぐ、全てが終わる?」
父の言葉を呟いた。ふと窓の外に目を向けると、うっすらと空が白んでいる。
──彼は大丈夫。
慌てて立ち上がった私は布団に足を取られながらも、箪笥から適当な着物を引っ張り出し、寝巻きを脱ぎ捨てた。髪も顔も寝起きのめちゃくちゃなままで、何かに急かされるように外へ駆け出して行く。
夜明けとはいえ、辺りはまだ薄暗い。何度も転びそうになりながら、必死に走った。なんだか嫌な予感がして、胃のあたりが変に気持ち悪い。それでも立ち止まることなく、私は走り続けた。
蝶屋敷に辿り着いた時には、すっかり息が上がってしまっていて、着物の裾も泥だらけだった。長距離を全速力で走ることなど滅多にないため、身体のあちこちが悲鳴をあげている。ふらふらと蝶屋敷の門をくぐり、入口の戸を開けた。あまりの疲労で声が出ない。膝に手をついてぜえぜえ呼吸している私に気付いたアオイさんが、慌てて出迎えてくれた。
「アオイ、さん…すみま、せん、朝早く」
「さん…!」
いつも冷静にテキパキと動く彼女が、ぼろぼろと涙を零しながら、三和土に下りてきて座り込んだ。私の足元で泣く彼女の肩は微かに震えていて、その肩に触れる自分の手も同じく震えていることに気付く。
私はアオイさんの傍に座り込み、彼女の手を強く握りしめた。
「悔いなく生きなさい」
夢の中の父の言葉が頭に浮かぶ。そしてその次に浮かんだのは、いつも私のことを気にかけてくれた、不死川様の笑った顔だった。
──不死川様、私、あなたとまだたくさん話したいことがあるんです。
私は祈った。どうか彼が、皆が無事であるように。窓から差し込む朝日が、私の頬を伝う涙を静かに照らしていた。
(提灯百合/サンダーソニア)