「やっぱり帰ろうかな…」
私は淡い桃色の風呂敷に包んだおはぎの箱を胸に抱き、本日何度目か分からないため息を零してポツリと呟いた。
あの後、無事に宇髄様から解放された私が大人しく帰宅すると同時に、彼の鎹鴉が手紙を届けに来た。手紙には不死川様の御屋敷までの地図、そして『不死川に会ったら俺の名前は出すな』という一文だけが記されていた。
どうするべきか迷ったが、行かなければ宇髄様に何を言われるか分からない。翌日の夕刻、不死川様の御屋敷まで来たはいいものの、満身創痍の鬼殺隊の方々がぞろぞろと御屋敷から出て来るのを見て、私は慌てて身を隠した。そして、隊士の方々の姿が見えなくなった今でも動けずにいる、というわけだ。
不死川様にお会いして何を話せば良いのか、おはぎを持ってきた理由をどう説明すれば良いのかが分からなかった。
「助けていただいたお礼ってことにする?でも今更だよなあ…」
「…?」
「…あ…」
「何してんだァ、こんな所で」
今までに何度こんなことがあっただろう。恐る恐る振り返ると、木刀を持った不死川様が驚いたように隠れている私を見つめていた。久しぶりに目にしたその姿に、心臓が飛び跳ねる。自然と箱を持つ手に力が入り、勢いよく頭を下げた。
「ご、ご無沙汰しています」
「あァ」
一瞬で会話が終わってしまい、必死に頭を働かせてみるが、やはり何を話せば良いか分からない。むしろ、今までどうやって不死川様とお話していたか、それすら思い出せない。
「仕事かァ?」
「いえっ!」
不死川様からの問いかけに少々食い気味に答えてしまい、焦りながらとにかく口を動かす。
「今はしのぶ様のところに薬草を全てお届けしてるので、最近は街の方まで回っていなくて…あ、でも今日は街に行ってきて、買い物なんですけど、それでたまたまここを通って」
「何焦って喋ってんだよ」
「す、すみません…」
「別に怒ってねェ」
「嘘つきました…」
「…はァ?」
もう、とにかく恥ずかしさで頭がどうにかなってしまいそうだ。私は不死川様の視線に耐えきれず、俯いた。
「不死川様に、会いに来ました。お忙しいのにすみません…」
くらくらしてしまうほど顔が熱い。手の甲を頬に当てて熱が引くのを待っていたら、影が落ちて足元が暗くなる。顔を上げると、いつの間にか不死川様が私のすぐ目の前に立っていて、驚いている私の額を軽く小突いた。
「それならそうと言いやがれェ、誤魔化しやがって」
「う…すみません」
「来い」
「えっ?」
木刀を肩に担ぎ、踵を返して歩く不死川様を慌てて呼び止めた。しかし、不死川様は立ち止まることも振り返ることもせず、「茶くらい淹れてやらァ」と言ってそのまま御屋敷の方へ歩いていく。私は相変わらず波打つ胸を押さえながら、彼の後を追った。
不死川様の御屋敷は外観を初めて見た時も驚いたが、中に入ってみると想像以上の広さでさらに驚いた。案内された畳の部屋には、何も物が置かれていない。落ち着かず辺りを見回していると、湯呑みを持った不死川様が戻ってきて、私は姿勢を正した。
「ほらよォ」
「ありがとうございます…あのこれ、少しですが」
不死川様がお茶を置いてすぐに、私は風呂敷を外して街で買ったおはぎを不死川様の前に差し出した。不死川様は一瞬だけ眉を顰め、なぜおはぎなのかと、理由を尋ねた。
「あ、これは、宇…」
瞬時に宇髄様から届いた手紙のことを思い出し、口を噤む。
「う、うまい!って街で評判のおはぎなんです、これ。私、おはぎが大好物で、ぜひ不死川様にも食べていただきたくて」
嘘は何もついていない。実際に街で評判のおはぎを買ってきたし、私はおはぎが大好きだ。不死川様は些か怪しんでいるようだったが、「ありがたくいただくぜェ」と言ってくれたので、私はほっと胸をなで下ろした。
お茶を啜る音が部屋に響く。両手で持った湯呑みの中では、相変わらず緊張している私の顔がゆらゆらと揺れていた。顔を上げると、胡座をかいている不死川様と視線がぶつかる。
「お、お元気そうで、良かったです!」
「まあなァ、誰かさんに泣いて死なないでくれって言われたしなァ」
「…覚えてたんですか、忘れてください」
「はっ、忘れるわけねェだろ」
不死川様はそう言うと、砂利が広く敷かれた広庭へ視線を移した。その横顔を見て、私も同じく外へ視線を向ける。同じ景色を見ているはずなのに、私と不死川様はどこか違う方向を向いているような気がした。
顔を正面に戻し、不死川様の横顔に語りかける。
「…不死川様」
「何だァ」
「いつか私と一緒に…おはぎを食べに行ってくれませんか?」
「…あァ?」
私の突拍子もない申し出に、不死川様はこちらを見て呆れたような声を上げた。自分でも何をおかしなことを言っているんだろうと思うが、話が止まらない。
「このおはぎのお店、店内でもお抹茶と一緒におはぎを食べることができるんですよ。他にも和菓子がたくさんあって…」
「どこで食っても同じだろうがァ」
「きっとお店で食べた方がおいしいに決まっています!だめですか?」
「…そんな日がくればなァ」
「来ます、絶対。楽しみにしていますね」
「ったく、勝手にしろォ」
不死川様はため息をつくと「相変わらず強情だなァ」と言い、微かに笑みを零した。その様子に胸が切なく締め付けられ、私は膝の上に置いていた拳を強く握った。
私が不死川様について知っていることは、おはぎが好きなこと、そしてぶっきらぼうだけど実はとても優しいことくらいだ。不死川様がなぜ鬼殺隊に入ったのか、なぜ身体中傷だらけなのか、ご家族は健在なのか、そういったことは何一つ知らない。それらを知りたい、と思う反面、知らなくて良いとも思っている自分がいた。
この人が生きてさえいてくれたら、それで──。
ふと、甘露寺様と一緒に甘味を食べた日のことを思い出す。
「好きな方がいるというのは…恋というのは、良いものですか?」
「その人がいてくれるだけで幸せな気持ちになれるんだもの、とっても良いものよ」
今まで曖昧だった自分の気持ちを、ようやく理解できた気がする。胸のあたりがじんわりと温かくなっていき、撫でるような優しい風で揺れる不死川様の髪に触れたいと思った。
「何一人で笑ってんだァ?」
「えっ、笑ってました?」
「気付いてねえのかよ」
「…なんか、とても」
──幸せだなと思って。
「おはぎが楽しみだなと思いまして」
「…そうかァ」
(梔子/クチナシ)