アオイさんの説明によると、『柱稽古』とは柱の皆さんが各自の方法で一般隊士に行う特別訓練のことらしい。一般隊士の技術・身体能力向上だけでなく、柱の皆さんも柱同士で稽古を行い、自身の能力向上や連携強化を図るようだ。
しのぶ様は稽古に参加していないとのことだったが、お忙しいようだったので挨拶は控えておいた。持参した薬草や薬をアオイさんに渡し、手伝いを申し出たが断られてしまったため、一人で蝶屋敷内を歩く。
──もしかしたら、会えるかもしれない。
ぼんやりと淡い期待を抱きながら廊下を曲がった時、何かにぶつかった私はおかしな悲鳴をあげた。
「うぐっ…」
「ん?あァ、お前か」
「す、すみませ…」
声が聞こえてきて、その『何か』が人であったことに気付く。私は勢いよくぶつけてしまった鼻を押さえながら、目の前にいる人物を見上げた。一瞬誰だか分からなかったが、すぐに頭の中にあの時の言葉が流れ込んでくる。
「安産型だな」
今でも忘れない、衝撃的で失礼な言葉。私は反射的にお尻を押さえ、後退りした。まさか、よりにもよってこの人にぶつかるなんて。
私がぶつかった相手──音柱の宇髄様は、隊服ではなく着物姿で、片目を覆い隠し髪を下ろしていた。初めてお会いした時とは風貌が随分変わっていて、何となく気まずく感じた私は視線を彷徨わせる。私のそんな不自然な様子に宇髄様は訝しげに目を細めたが、すぐに思い出したようで「あァ」と鼻で笑った。
「触りゃしねーよ、生憎片手だけになっちまったからな」
あっけらかんとした様子でヒラヒラと手を振る宇髄様だったが、彼の左手首から先はなく、私は思わず息を呑んだ。どう答えるのが正解なのか分からず、「すみません」と頭を下げる。宇髄様は大きい掌で私の頭を優しくぽんぽんと叩きながら、さらに何かを思い出したらしく、「あ!」と急に大きな声をあげたので私はぎょっとした。
「つーかお前!あの時、俺が尻触ったって不死川にチクりやがったな!」
「ひ、人聞きの悪いことを言わないでください!つい口が滑っただけです」
「同じだろーが」
「あの、髪が…!」
宇髄様はわしゃわしゃと私の頭を乱暴に撫でながら、「あの後しばらく、会う度に不死川からキレられて大変だったんだからな」と、恨みがましく呟いた。何とか彼の手から逃れようとするが、うまくいかずどんどん髪が乱れていく。
宇髄様とは初対面が最悪だったため苦手意識があり、どう接していいか分からない、というのが本音だった。とりあえず彼の気が済むまで待つことにしたが、すっぱりと「自業自得ですよ」と言えたらどれだけ良いだろう。
──それにしても、やっぱり不死川様、怒ってくださったんだ。
随分前のことになるが、私が宇髄様にお尻を触られた時、相当腹を立てていた不死川様のことを思い出す。私は思わず頬が緩んでしまいそうになるのを、歯を食いしばって必死に堪えた。
もう長い間、不死川様とは顔を合わせていない。頻繁に蝶屋敷を訪問していたが、なかなか不死川様とお会いする機会に恵まれず、かと言って煉獄様の時のように突如訃報を耳にすることもなかった。そのため、私は蝶屋敷を訪れる度に残念な気持ちになりながらも、心のどこかでは安心して胸をなで下ろしていた。
ようやく宇髄様が手を離し、私は髪を手で整えながら顔を上げる。
「んで?ちゃんと俺が言った通り、仲良くやってんの?不死川と」
「…私と不死川様はそういった関係ではありませんので、」
「はァ!?お前らまだそんななの!?」
そう驚く宇髄様は、今度は自分の頭をがしがしと掻きながら、呆れたような目で私を見下ろした。そんなに驚かれても、こちらとしては私と不死川様の噂がまだ生きていたこと自体が驚きだ。
「第一、不死川様の迷惑になりますので、そういうのはやめていただきたいです」
「うわ、面倒くせーなお前…」
「…お前ではなく、です」
先程からあまりにもお前お前と連呼されるので、耐えかねて自分の名前を告げる。すると、宇髄様はしばらくぽかんとした表情を浮かべていたが、すぐに笑い出した。
「な、いや、名字で呼ぶわ、バレたら面倒くせえし」
宇髄様は一頻り笑った後、壁に背を預け腕を組み、私に視線を向ける。
「アイツはガキっぽくて危なっかしいところがあるからな、傍で制してくれる奴が必要だと思うんだが…」
「はい」
「とりあえず、不死川の屋敷に行ってこい」
「…はい?」
宇髄様の突然の言葉に、思わず聞き返す。──なぜ私が、不死川様の御屋敷に?宇髄様は困惑している私をびしっと指さすと、覗き込むように身体を屈め、顔を近づけてきた。
「そんな会いたくて仕方ねえみたいな顔して胡蝶んとこ徘徊するくらいなら、直接会いに行きゃいいだろーが」
「なっ…!き、今日は薬草を届けに来ただけでっ、別に…」
そこまで言い返したが、確かに宇髄様の言う通り用事が済んだにも関わらず、会えるかもしれないと期待して帰らずにいたことは事実なので、私は押し黙った。また、そのことを宇髄様に見抜かれていることがとにかく恥ずかしい。どんどん、自分の顔が熱くなっていくのを感じる。
宇髄様はそんな私を見てにやりと笑うと、こう言った。
「不死川の好きな食いもん、教えてやろうか」
ああ、やっぱり私、この人苦手だ。
(金魚草/キンギョソウ)