朝がやってこようとしていた。

足元ではらはらと散っていく鬼の残骸を見下ろしながら、私は白い息を吐いた。付近を見渡し気配を探るが、もう鬼の気配は感じられない。無事にこの辺りの鬼はすべて討伐できたようだ。私はようやく肩の力を抜いて、日輪刀を鞘に収めた。

そして、鴉の姿を探すために空を仰いだ、その時。


!無事に済んだようだな!」


後ろから急に大きな声が聞こえてびくりと肩が跳ね上がった。小さな悲鳴をあげて振り返る。


「れ、煉獄様…!びっくりしました」
「すまない!」


いつの間に私の背後に立っていたのだろう。こちらを見ながら腕を組んで笑う炎柱の煉獄様は、謝ってはいるものの全然悪いとは思っていないようだ。私は服についた汚れや葉っぱを払い落としながら、煉獄様の元へと駆け寄った。心臓がばくばくと鳴っている。


「あの…応援、ありがとうございました」
「俺は特に何もしていない!たまたま近くにいたから来ただけだ」


煉獄様がそう言ってにっこりと笑ったので、私はそれ以上何も言わず、黙って頭を下げた。本当はたくさん、ひょっとしたら私の倍近くの鬼を狩ってくださったはずなのに、私に気を使ってそう言ってくれているのだろう。

空から降りてきた鴉に報告を頼み、煉獄様の方へ振り返る。「では、私達も行きましょう」と告げ、山を下りるために歩き出そうとした時、後ろから煉獄様が私の手を力強く握ったので驚いた。重なる二つの手と煉獄様の顔、交互に目をやる。煉獄様は暫し何かを考えているようだったが、私が口を開く前に、


、ちょっと見てほしいものがある!」


と言うと、私が進もうとしていた道とは逆方向に歩き出してしまった。


「えっ?あ、あの、煉獄様?」


私の手を引っ張ってずんずんと歩く煉獄様に、きっと私の声は届いていないだろう。山を下るはずだったのに、どうやら上っているようだ。何が何やら分からず、とりあえず黙って煉獄様の背中を見つめながら着いて行く。冷たい空気やたまに吹き付けてくる風が肌を刺すようで、少しだけ痛く感じた。

二人でしばらく山の中を進み、開けた場所で煉獄様が立ち止まる。そんな煉獄様の隣に立ち、前方に現れた景色に思わず息を呑んだ。


「先程この場所を見つけてな、綺麗に見えるだろうと思ったんだ」


想像していたよりも、私達二人は高い所まで来ていたらしい。前方に見える山の峰からは、太陽が顔を覗かせ始めていた。仕事柄いつも太陽を見ると安心するが、ふとあることに気付く。


「初日の出ですね…煉獄様、あけましておめでとうございます」


そう、今日は一月一日。元日だ。私の言葉に、煉獄様は嬉しそうに目を細め、「おめでとう」と優しく笑った。どんな時でも笑顔を絶やさない煉獄様を、私は誰よりも尊敬している。

正直、まさかこんな形で新年を迎えることになるとは思っていなかったが、これも鬼殺隊の宿命だと納得するとともに、恐らくこの景色を一生忘れることはないだろうと実感した。

いつもと同じ朝、そしてほぼ毎日見ている太陽なのに、元日というだけでより一層美しく見えるのは何故だろう。

しばらくの間、お互い何も話さずゆっくりと姿を表す太陽を眺めていたが、何となく隣に立つ煉獄様を盗み見た。ひと仕事終えたあとでも、私とは違い隊服に汚れ一つついていない様子から格の違いを感じる。初日の出を見つめている煉獄様は、髪や目が太陽の光を受けてきらきらと輝いており、とても凛々しく美しい。普段、男性相手に美しいと思うことなどほとんどないため、許されるならばずっと見ていたいと思った。


「そんなに見られていては、穴が空いてしまうな!」
「すっ、すみません!」


まさか私が見ていることに気付いていたとは思わず、慌てて目を逸らし太陽に視線を戻した。しかし今度は逆に、煉獄様からの視線が私の横顔に突き刺さってくる。ずっと意識しないようにしていた繋いだままの手についても、だんだんと恥ずかしさが込み上げてきて、私はとうとう俯いた。煉獄様はそんな私の手を離す気はないようで、相変わらずしっかりと握っている。

──どうして、繋いだままなんでしょうか?と、聞く勇気もない。別に離してほしいわけではないが、この雰囲気に落ち着かず、背中がむずむずするのを感じた。俯いている私の顔を覗き込むように、煉獄様が前屈みになる。


「顔が赤いが、風邪だろうか?今日は寒いからな」
「いえ…あの、手が恥ずかしいだけ、です」
「この手のことか?」
「っ!」


力が緩められ手が離れるかと思ったら、今度は煉獄様の指がするすると私の指に絡み出し、身体が硬直した。固くざらざらとした煉獄の指が私の指を上へ下へとゆっくり撫でるので、思わず悲鳴をあげてしまいそうだ。そんな私の反応を見て、煉獄様が笑い出す。


「すまない、ついからかってしまった!」
「れ、煉獄様…!」
、君は相変わらず反応が可愛いな」
「可愛くはありません!そんなこと、言われたこともありません」
「そうでなければ困るな!──の可愛さを知っているのは俺だけでいい」


一体全体、今日の煉獄様はどうされたのだろう。返答に困り果てオロオロしている私の頭上に、報告から戻ってきた鴉がやってきて今後の動きを告げる。次の任務先が今いる場所から距離があるらしく、今のうちに移動を開始しておいた方がいい、とのことだった。途中、藤の家で休めるだろうか。

そこでようやく煉獄様の手が離れた。すっかり熱くなってしまった手の平に冷たい空気が触れ、少しずつ体温を奪っていく。私は残っている温もりを閉じ込めるかのように、両手を合わせた。

──何を話せば良いだろう。私が意を決して顔を上げた時、煉獄様の端正なお顔が近づいてきて耳元に唇が寄せられる。微かに耳たぶに触れた感触に戸惑うと同時に、鴉が慌てて自身の羽で目を覆うのが見えた。


「今年は遠慮しないつもりだから、覚悟しておくように」


す、と離れた煉獄様と至近距離で視線がぶつかった。いつもと同じ力強い目と見つめ合いながら、煉獄様の言葉を頭の中で繰り返す。しかし私が理解する前に、煉獄様は私の頭をぽんぽんと叩くと「行くか!」と言って、先程来た道を戻り始めた。未だに追いついていない頭を回転させて必死に意味を考えながら、慌てて私も歩き出す。


「煉獄様、今のお言葉はどういう意味ですか?え、遠慮とは──」
「解釈は君に任せよう!」


先へ先へと進む煉獄様を、私は小走りで追う。今日は出会った時から、煉獄様に驚かされてばかりだ。早鐘を打つ心臓が落ち着く気配はない。そんな私の背中を、すっかり昇った太陽が照らし続けていた。