「行くときから気になってたんだけどさ」

 無事に本日の祓除を終えて車で高専へ戻る道中のこと。後部座席に座りそう切り出した五条さんは、助手席に置いてある白い紙袋を指差して「それ何?」と首を傾げた。
 運転に集中しながら横目で見やると、車の振動に合わせてがさがさと揺れる紙袋からは駄菓子の袋が覗いている。ポップな色合いのキャラクターと目が合って、思わず口元が緩んだ。

「これは、一年生の皆さんからいただいた誕生日プレゼントです」
「誕生日プレゼント? 誰の?」
「私のです」

 補助監督になって数年。常に人手不足と言われている呪術界では、術師だけでなく補助監督一人あたりの業務量も相当なものだ。そのため新人でもベテランでもなければ、特別有能でもなくかと言って無能というわけでもない、そんな可も不可もない私でも仕事に忙殺される毎日が続いていた。その結果、年々自分の誕生日を意識することも少なくなっていったが、だからこそ予想していなかった「おめでとう」という言葉に今でも感動している。今朝、車の清掃をしていたときに走ってやってきた一年生三人の姿を思い出すと、ほんの少しだけ目頭が熱くなった。
 私の返事に一瞬だけ黙った五条さんだったが、すぐに「え?」と驚いたような声を上げる。

「待って待って、今日誕生日なの?」
「そうなんです、へへ」

 四捨五入したら三十になりますよ。聞かれてもいないことを答えてしまうあたり、自分でも思っている以上に浮かれているようだ。
 山の中にある高専へ近付くにつれて交通量も少なくなる。信号に邪魔されることなくスムーズに運転できることが、さらに気分を上げてくれるような気がした。
 興味なさそうに「へえ」と軽く相槌を打った五条さんだったが、やはり気になるのか僅かに前のめりになって袋の中を覗き込んでいる。そういえば、今日はお昼まだだったな。そのことに気付いて、「どうぞ、食べていいですよ」と笑った。

「お菓子、たくさんいただいたので」
「みんなから愛されてるんだねえ」
「嬉しいですよね、いくつになってもプレゼントを貰うのは」
「じゃあ僕も愛する可愛い後輩にプレゼント贈ろうかな?」

 いつもの五条さんの軽口に、私はけらけらと笑いながらウィンカーを出す。『愛する可愛い後輩』というのは、もはや五条さんだけが呼ぶ私のあだ名になりつつあった。

「何か欲しいものある?」
「特には……まあプレゼントは何でも嬉しいんですけど、今回はお気持ちだけいただいておきますね」

 五条さんと会話をしながら、車内の時計に表示されている時刻をちらりと確認する。五条さんがあっさりと呪霊を祓ってしまったため、当初予定していた時刻よりもかなり早く高専に戻れそうだ。
 戻ったら溜まっている提出書類を片っ端から片付けたい。頭の中で各書類の締切日を思い返していたら、スマホを触っていた五条さんに名前を呼ばれバックミラー越しに視線を向けた。

「どうされました?」
「ちょっと行きたいところあるんだけど」
「今からですか? どこでしょう?」

 もう随分と高専の近くまで戻ってきてしまったんだけどな。車を停車させようかこのまま進もうか迷いながらアクセルを踏む足を僅かに浮かせたとき、ぐい、と私に顔を寄せた五条さんはにやりと笑って楽しそうに一言呟いた。

「銀座」

* * *

「五条様、お待ちしておりました」

 あれから大人しく銀座まで車を走らせ、五条さんに言われるがままについて行った先にあったのは有名ブランドのジュエリーショップだった。いまいち自分の置かれた状況を理解できないまま、私よりもずっと高そうな黒スーツに身を包んだ店員さんに促され入店。明るくて眩しい店内と今まで感じたことのない上品な雰囲気に、自然と身体が萎縮してしまう。誰がどう見ても、どう考えても場違いなんですけど……。
 五条さんはこの店のお得意様なのか、店員さんのことをよく知っているような話しぶりだ。いたたまれない気持ちで五条さんの後ろに身を隠すように立っていたら、なぜかジュエリーが展示されている一階ではなく二階へと案内された。そして今、私は五条さんと二人でふかふかのソファーに座っている。

「ご、五条さん……」
「ん?」

 リラックスした様子で隣に座る五条さんを小声で呼べば、五条さんは大量に砂糖を入れたコーヒーを飲みながら私の方へ顔を向けた。「目立ちたくないから」という理由で銀座についてからサングラス姿へと変わった五条さんは、私とは違いこの店の雰囲気に馴染んでいるし、本人の意に反して銀座を歩いているときもしっかり目立っていた。
 緊張しすぎて変な汗が出てきた。膝の上で強く拳を握りしめたまま、私はひそひそと話を続ける。

「あの……ここには一体どのような御用で……」
「言ったじゃん、僕もプレゼント贈ろうかな? って」
「ここで売られてるものはプレゼントの域を超えてますよ……!」
「言ったじゃん、何でも嬉しいって」

 確かに言いましたけれども! 慌てる私をよそに五条さんは至極冷静で、それどころか今日一番の笑顔を浮かべている。そしてそんな五条さんと同じようにきれいな笑みを携えた店員さんがやってきて、私たちの目の前のテーブルにそっとアクセサリートレイを置いた。

「ほら、好きなの選びなよ」

 さすがに言葉が出なかった。指輪しかないんですけど。
 そういえば最初、指にリングゲージはめられたっけ。戸惑って何も言えない私に、店員さんは「どうぞお手にとってご覧ください」と優しく声をかけた。そう言う店員さんは白い手袋をしているが、私は素手で触ってもいいのだろうか。今日は高専を出てから一度も手を洗っていないのに……。
 さすがにこのまま何もしないわけにもいかず、私は震える手で一番左に置いてあった比較的シンプルなデザインの指輪を手にとった。あまりの輝きに一瞬だけ息が止まる。アクセサリーや宝石に関してはド素人なので値段は想像もつかないが、私の一か月分の給料ではとてもじゃないが購入できないだろう。
 持ってみたはいいものの、どの指にはめれば良いか分からず「お、重いですね……」と馬鹿みたいな感想を述べることしかできない私の様子を見かねてか、五条さんはトレイの中から別の指輪をひょい、と選ぶと、

「これ似合いそうじゃない?」

と言い、何の躊躇いもなく私の左手をとって薬指にはめた。そして次々に指輪をはめては外し、はめては外しを繰り返す五条さんを黙ったまま見つめる。しばらくして店員さんが他のデザインもいくつか持ってくると言い席を外したので、そこでようやく私は深いため息をついた。

「……五条さん、こちらにはよく来られるんですか?」
「いや? 幼い頃、両親に連れられて来たことはあるけど自分で買い物に来たのは初めてかな」
「……や、やっぱりこういう……高級な指輪って、せめて恋人や奥様に贈るものだと思うのですが……」

 間違っても、ただの補助監督・後輩に贈るものではない。私の言葉に、五条さんはサングラスの奥から瞳を覗かせるとゆっくり私に顔を寄せた。煌びやかな宝石をずっと見ていたはずなのに、五条さんの瞳が一段と眩しく見えて私は目を細めながら身体を後ろに引いた。

「じゃあ、僕が恋人か旦那さんになれば贈ってもいいってこと?」
「極論すぎます……!」
「まあ良いじゃん、僕が贈りたいんだし」
「ですが」

 店員さんの姿が見えて、私は再び口を噤んだ。そんな私の唇に、五条さんの人差し指が触れる。
 
「一年に一回の誕生日、僕にとってもチャンスだからさ。格好つけさせてよ」

 最終的に、渋る私に対して五条さんが折れることはなく最初に手にとった一番シンプルなデザインの指輪を買ってもらうことになった。
 五条さんの言っていた『チャンス』の意味も、指輪がいくらするものなのかも分からないまま、ぼんやりとその場に立ち尽くす。顔色ひとつ変えずにさらりとカードで会計していた五条さんに、私はただただ頭を下げることしかできなかった。

「五条さん……あ、ありがとうございました」
「いいよ、誕生日おめでと」
「このご恩は必ず返します、何十年かかるか分かりませんが」
「はは、別に見返りが欲しくてプレゼントしたわけじゃないよ? でも」

 地下駐車場に停めていた車の中で、なぜか後ろではなく助手席に座った五条さんは早速指輪を箱から取り出すと、私の手をとって薬指にはめた。明るい店内で輝いていた指輪は、薄暗い車内でも圧倒的な煌めきと存在感を放っている。
 五条さんは私の手を優しく握ったまま親指で手の甲をなぞると、何かを企んでいるかのように美しく微笑んだ。

「明日からちゃんと、毎日つけてね?」
「は、はい……」

 きっと五条さんは女性に指輪を贈る意味も知らないし、指輪はどんなものでも全て左手の薬指にはめるものだと思っているのだ。なかなか私の手を離そうとしない五条さんを目の前に、私はそう思うことにした。

 五条さんが私の誕生日にプロポーズをし、私が了承した──。そんな噂が高専内で流れたのはその翌日のことだった。会う人会う人にその話をされ、一体誰からそんな話を聞いたのかと問い質したところ、全員が口を揃えて五条さんの名前をあげたのはまた別の話である。


(2022.11.25)