「今日のの任務、七海がつくから」


へらへらと笑いながらそう告げる五条先生とは対照的に、先生に肩を組まれている七海さんはとても険しい顔をしていて、「なんだか怖い人だなあ」というのが第一印象だった。


「はじめまして、七海です」
「はじめまして、です」
さん、今日私は貴方のサポートに回ります。自分で考えて動き、自力で祓うようにしてください」
「わ、わかりました」


私を見下ろす七海さんからはどこか『圧』のようなものを感じて、何だか背筋が伸びる思いがする。私の返事を聞いた七海さんは、先生の手をはらい「では行きましょう」と言って、そのまま出口へと歩き出した。隣に立つ先生を見上げると、私の表情から不安な気持ちを読み取ったのだろうか。ぽん、と優しく背中を叩かれた。


「大丈夫だよ、七海は良い奴だから」


──本当ですか?
そう問いかけようとした時、ついてこない私を不思議に思ったのか七海さんがこちらを振り向いたので、私は慌てて駆け寄ったのだった。

現場は東京郊外にひっそりと佇む廃病院。昼間、太陽の下で見ても異様な雰囲気を放っているのに、帳を下ろすとさらに不気味さが増すような気がする。


「任務方針は把握していますか?」
「はい、呪霊は二体、大元となる呪霊を祓えばもう一体も消滅すると思われるので、」
「分かっているなら結構です」
「あ、はい…」


相変わらず私を気にせずに中へ進んでいく七海さんの後に続く。今のやりとりで、「怖い人」に加えて「冷たい人」という印象まで追加されてしまった。

外観に比べると、そこまで病院内は荒れていなかった。待合室の椅子や受付内の棚などはそこそこ綺麗で、潰れてからまだそんなに日が経っていないことを表している。

外来の診察室へと続く廊下を歩きながら、ふと壁の広範囲に無数の細かい穴が開いていることに気付いた。例えるならば、千枚通しを突き刺したような、そんな穴。


「…七海さん、これ──」


その穴を指でなぞりながら七海さんのいる方向を振り返ると、急に強い力で肩を押されて私は後ろに転倒した。勢いよく尻もちをつき、「いだっ!」と情けない悲鳴を上げる。咄嗟に顔を上げると、私を押した七海さんは呪符を巻いた刃物を構えていて、つい先程まで私が触れていた壁には何かが突き刺さっていた。


さん、立てますか?」
「は、はい」


急いで立ち上がり、刀を構える。七海さんが私を突き飛ばしていなかったら、あの壁に刺さった──まるで鶴の首から先だけのような形をした──呪霊が私の体を貫通していただろう。ギチギチ、と不気味な音を立てながら壁から抜ける呪霊に七海さんが刃を振り翳したが、それは恐ろしい速さで私に向かってきた。何とか刀で受けるとキン、と甲高い音が鳴る。相当硬そうだ。

不気味な音は次第に大きくなっていき、私と七海さんはほぼ同時に廊下の先へと視線を向けた。そこには、壁に刺さった呪霊と同じ姿かたちをしたものが大量に宙に浮き蠢いている。


「…あれって、一体って言えるんですか?」


私の問いかけに七海さんはため息を零す。数だけで言うと、恐らく千はいるだろう。先程目の当たりにした呪霊の移動速度を思い出し、私は瞬きも忘れて再度刀を構えた。あの速さで、あの量が一気にこちらに飛んできたら、さすがに厳しい。

この任務、狗巻先輩案件だったのでは…。頭の片隅でそう考えた時、七海さんがネクタイを緩めながら「さん」と私を呼んだ。


「恐らく、アレは『大元』ではありません」
「はい」
「貴方は大元を探して叩いてください、アレは私が引き受けます」
「しょ、承知」


しました、と言い切る前に、まるで矢のようにこちらへ飛んでくる呪霊たち。七海さんがそれらに対抗している間に、私は近くにあった階段を一気に駆け上がった。

元は入院病棟だったという三階に辿り着く。ナースステーションをぐるりと取り囲むように配置された病室を走りながら見て回り、最後の一室で大元であろう呪霊を発見した。アレを倒せば終わりだ。

先程の呪霊たちと同じようにギチギチと耳障りな音を立てる呪霊は、私に気付くとやはり物凄い速さで突っ込んできた。見た目は似ているが、手や脚があり大きさで言うと三倍以上はある。鋭い嘴のようなものが避けた私の腕を掠り、ぴりっとした痛みが走った。


「ギチギチギチギチ…その音やめろ」


構えると同時に次の攻撃が来る。床に伏せて躱した私は相手の両脚を切り、そのまま下から上へ逆袈裟斬りに刀を振り上げた。


「うるさいんだよ」


刀が呪霊の身体を引き裂き、まるで燃えたかのように灰となって消えていく。ようやく辺りが静かになり、すぐに倒せてよかったと安堵のため息をついて私は階段を駆け下りていった。


「七海さん!」


待合室に移動していた七海さんは、私の姿を見るとぴくりと眉を寄せた。そんな七海さんの変化に思わず困惑する。一応協力して呪霊を倒したとは言え、やはりそんなすぐに打ち解けられるわけではないようだ。


「思っていたより早かったですね」
「あ、はい…もう一体の呪霊、三階にいましたよ」
「…二階は確認しなかったんですか?」
「はい」
「なぜ?」


腕を組み、私を見下ろす七海さん。二階もきちんと見て回らないと駄目だっただろうか。でも──。
なんだかお説教されている気分になった私は、両手をぎゅっと握りしめて小声で自分が感じたことを説明した。


「あの…最初に出てきた呪霊、見た目が鶴っぽくてたくさんいたし、なんか千羽鶴みたいだなと思って」
「ええ」
「それで、任務前に確認したらここの病院、二階が透析室やリハビリ室で三階が入院病棟だったみたいで」
「……」
「千羽鶴と言えば入院中のお見舞い、イコール入院病棟にいる確率が高いんじゃないかな?的な…」


そこまで言ってなんだか恥ずかしくなった私は「いわゆる勘です、すみません」と頭を下げた。分かっていても、いざという時に直感で動いてしまう癖がある。今日は幸い良い方に転んだが、いつか自分だけじゃなく仲間にも危険を及ぼしてしまうかもしれない。

何も言われないので恐る恐る顔を上げる。七海さんは胸元からハンカチを取り出すと、黙ったまま少し屈んで負傷した私の腕に巻き始めた。突然のことだったので、ぎょっとして身体が強ばる。


「あの、ハンカチ汚れちゃいます」
「結構です、消耗品なので」
「…ありがとうございます」
「私が突き飛ばした肩は大丈夫ですか」
「大丈夫です」


ハンカチが小さいのか私の腕が太いのか、腕を一周だけしたハンカチを七海さんは器用に結んだ。こっそりと七海さんを盗み見たが、相変わらず無表情で何を考えているか分からなかった。

──七海さんって怖くて冷たいけど、意外と優しい人なのかな。

そう考えていたら七海さんが私の腕から視線を外し、ばっちりと目が合ってしまったので心臓が飛び跳ねた。


「…勘は馬鹿にできませんから」
「え?」
「いざという時に直感を信じて動くのは間違っていないということです」
「あ、ありがとうございます…?」
「お見事でした」


その言葉に一瞬耳を疑う。しかし、柔らかく微笑む七海さんを見てすぐに何も考えられなくなってしまった。しばらくして『この人笑うんだ』と驚くと同時に、その笑顔があまりにも美しくてどんどん顔が火照っていく。


「…七海さんも、褒めたりするんですね」


補助監督との電話連絡を終えた七海さんに向けてそう呟くと、先程の笑顔は夢だったのだろうかと思うほどの無表情に戻っていた。それに加えて、私の言葉に対し心外だとでも言いたげな視線を向けられる。


「褒めますよ、普通に」
「てっきりそういうのはしない方かと…」
「私は教師ではありませんが、若い呪術師が一人前になれるようある程度の協力はしていくつもりです」


帳が上がり、薄暗かった病院内が明るくなる。七海さんは眼鏡を指で上げると、「では行きましょう」と言って歩き出した。その背中を見つめながら、学校を出る時と同じ光景なのに、自分が抱いている気持ちが大きく変わっていることに気付く。

私は七海さんの隣に並び、彼を見上げた。


「あの、一つ聞いても良いですか?」
「どうぞ」
「七海さんって、彼女いますか?」
「…呪術に関する質問以外は受け付けません、いませんが」


受け付けないと言いながらも律儀に答えてくれた七海さんに、思わず爆笑してしまう。七海さんはけらけらと笑い続ける私を睨んだけれど、もう怖くも何ともなかった。



「七海、これ」
「何ですか」
「この間の報告書」


普段と違い、どこか苛立っている様子の五条さんが差し出してきた報告書を受け取る。記入者の欄には、先日任務に同行した彼女の名前が書かれていた。


「…これが何か?」
「最後まで読みなさいよ!七海のおバカ!」


なぜか女性的な口調で叫ぶ五条さんと一刻も早く離れたいと思ったが、とりあえず言われた通り報告書に目を通す。場所や時刻、倒した呪霊の詳細やその時の状況など、事細かく丁寧に書かれているようだ。

しかし、最後の備考欄に書かれた一言を目にした途端めまいがした。


『今回の任務に同行していただいた七海一級術師が、すごく大人の男性って感じでドキドキしてしまいました』


「七海お前!二年以下の懲役または百万円以下の罰金だ!」
「別に淫行なんてしてませんし、貴方の生徒なんですからきちんと報告書の書き方を指導してください」
「僕もと一緒に何回か任務行ったけど、こんなの書かれたことないからね!?七海より大人なのに!」


──この報告書を記入した彼女と些細なことで拗ねる担任教師、どちらの方が子どもだろうか。

そんなことを考えながら、もう一度報告書に目を落とした。綺麗な字だが僅かに右上がりになっている文章を眺めながら、真面目で礼儀正しいのに急に突拍子もないことを言う人だったと思い返す。

…一瞬だけ。彼女はいないと答えた時に、花が咲いたように笑ったさんを可愛らしいと思ったことは、先程からぽかぽかと人の背中を叩いてくる五条さんには絶対に悟られないようにしたいところだ。


(2022.04.02)