ただお手洗いだけのために立ち寄ったデパートは多くの人で賑わっていて、そういえば今日はクリスマスイブだったな、とマフラーを巻き直しながらぼんやりと考える。


「なんでよりにもよってイブに任務…」


そう小さく吐いた愚痴は、誰にも届くことなく消えていった。

人波を縫って足早に出口に向かって歩いていたら、華やかなスイーツ売り場が目に入り立ち止まる。吸い寄せられるように近付くと、ショーケースの中には美しいチョコレートの数々。そして一際目立つ場所に『好きな人にプレゼントすると付き合えちゃう!?』というハート型のPOPとともに、可愛くラッピングされたプラリネチョコレートの箱が積まれていた。美味しそうだとは思うが、チョコレートをあげただけで付き合えるか…?というか、クリスマスイブにチョコレートを渡せる関係性なら、別にチョコレートなくても結ばれるのでは…?こんなん買う人いるの…?

次々と浮かんでくる疑問に、私もひねくれたものだな、と悲しくなってくる。同じく任務のクラスメイト達にクリスマスプレゼントでも買っていこうと、プレゼント用のトリュフチョコレートを二つ、そしてウイスキーボンボンを一つ購入した。


「おっせーよ」
「ごめんごめん」


デパートの出入口のそばに、今日の相棒である五条が不機嫌な顔をして立っていた。マフラーに口を埋めて、手はコートのポケットに突っ込んでいる。そんな寒そうな姿も様になっていて、すれ違う女の子達がちらちらと五条に視線を投げかけていた。

しかし当の本人はそれを気にする様子もなく、取り出した携帯の画面を見て軽く舌打ちをする。


「渋滞してて、迎え遅くなるってよ」
「あー…まあイブだしね、仕方ない」
「さっみ〜」
「どこか入って待っとく?」
「どこも人が多くてうぜえ」


もっと人通りの少ない場所でピックアップをお願いするべきだったか、と少し後悔する。任務も終わってあとは寮に帰るだけなのだが、連日の任務続きによる疲労で、イブを楽しむ気力すら湧いてこない。「ちょっと飲みもん買ってくる」と言って離れていく五条の大きな背中を、私は黙って見送った。

最近、五条が冷たい。こちらが何か話しかけてもどこか素っ気ないし、今日みたいに二人で任務に行く時も、以前のようにくだらない話で盛り上がることがなくなってしまった。五条に何かした覚えもないし、逆に何かされた覚えもない。夏油や硝子とは普通に接してるように見えるが…。

一番疑問なのは、五条が私に何も言ってこないことだった。私の知っている五条は、自分の気に入らないことや気になることがあったら相手が誰であろうとズバッと言ってしまうタイプだ。だから余計に、この状況が気持ち悪くてモヤモヤする。


「…わっかんないな〜」


キラキラと輝くイルミネーションと、口から出た白い息が重なる。自分と同じ年頃の子達が楽しそうに歩いているのを見て、何も思わない訳ではない。自分が着ている地味な黒いコートを見下ろすと、さらに気分が落ち込んでしまった。


「おい」
「わっ」


いつの間に目の前にいたのか、顔を上げると五条が立っていた。すっ、とペットボトルのお茶を差し出され、おずおずと受け取る。それはじんわりと温かくて、冷えた指先がゆっくりほぐれていく気がした。五条は私の隣に並び、お茶を飲みながら「さみ〜」と再び呟く。肩が触れてしまいそうな距離に、少し緊張している自分がいた。


「あ、お茶いくら?」
「…いーよ別に」
「…ありがと」


二人とも黙り込んだまま、時間だけが過ぎていく。沈黙が気まずくて何度か携帯を確認するが、新着メールを問い合わせても追加で連絡は来ていない。携帯の画面に表示される時刻は、十九時になろうとしていた。

少し前なら、過去のクリスマスの思い出とか軽い感じで聞けたのにな。カップルらしい男女が通り過ぎて行くのを何度も見送りながら、少しだけ切ない気持ちになる。

目の前に広がるイルミネーションの景色がゆらりと滲んだ時、隣に立つ五条が「」と私を呼んだ。


「…へっ?」


五条に名前を呼ばれたのは久しぶりで、反応が遅れ間抜けな声が出てしまった。五条を見上げると、黒いサングラスの隙間からイルミネーションに負けないくらい輝く瞳が見える。私の変な声については触れず、五条は視線を動かさずに私に小さな紙袋を差し出してきた。


「ん」
「な、何?」
「やる、今日あれだろ、クリスマス」
「…イブだね」
「だから、やる」


とりあえず紙袋を受け取ると、五条はあっという間にポケットに手を突っ込んでまた黙り込んでしまった。クリスマスイブだからくれるってことは、クリスマスプレゼントってことだろうか。


「あ、ありがと…開けていい?」
「おー」


少しわくわくしながら紙袋を開けて中を覗く。取り出してみると、どうやらチョコレートのようだ。

──あれ?これどこかで見たことあるな?

そう思ったのは一瞬で、チョコレートを持った手を含む全身が固まった。なぜならそのチョコレートが、先程私が思い切り脳内で小馬鹿にした『好きな人にプレゼントすると付き合えちゃう!?』チョコレートだったからだ。いや、ひょっとしたら別のチョコレートかも…。そう思い、角度を変えて眺めてみたりするが、どこからどう見てもあのチョコレートで間違いないようだ。

黙ったまま頭の中を整理していたら、五条がちらりとこちらを一瞥する。


「五条、これ…私に?」
「は?そうだけど、何」
「いや、」


そうだ、五条のことだから、特に気にすることなく買ったのかもしれない。あのおまじないのような言葉には気付かなかったのかもしれない。

少し迷って、私は片手に持っていた紙袋から先程みんなに買ったチョコレートを一つ取り出す。そしてそれを隣に差し出すと、五条は少し驚いた顔を見せた。


「これ、私からなんだけど」
「へえ、サンキュ」
「多分、五条がくれたチョコと同じお店のチョコ…」
「…は?」
「あそこのチョコ、どれも美味しそうだったよね…」
「はああぁあ!?」


急に五条が大声を出したもんだから、辺りにいた人達の視線が一気に集中する。そりゃ、イケメンが大声上げたら見ちゃうよね。みるみるうちに五条の頬が赤く染まっていき、それに釣られて私も顔中に熱が集まるのを感じた。

あれじゃん、この五条の反応、確実に分かって買ってるじゃん…。

五条は私から一歩距離をとると、私と私の持っているチョコレートを交互に指さしながら焦ったように喋り出した。


「ばっ、そ、それが一番美味そうだったから」
「う、うん」
「違っ」
「えっと」
「…あーーー、だっせえ、俺…」


その場にへなへなとしゃがみこんでしまった五条は、いつもの自信満々な様子など微塵も感じられず、ただの同い年の男の子にしか見えない。小さく見えるその背中を眺めていたら、今まで自分が感じていた不安が消えていき、同時に全ての疑問を解消できた気がした。つまり、そういうことなのか。…え、本当に?

五条のそばに私もしゃがみこむ。こんなデパートの真ん前で、しかもクリスマスイブの夜にしゃがみこんでいる人間なんて私たちくらいしかいない。それでも周りなんて全く気にならず、今の私には頬や耳が赤く染まっている五条しか見えていなかった。


「…ごめん」
「…は?それって」
「いや、そういう意味のごめんじゃなくて!」


一瞬殺気立った五条に、慌てて否定する。五条がくれたチョコレートに視線を落とし「五条からしたら、このチョコの意味、気付かれたくなかったかなと思ってさ」と呟くと、彼は少し考えてため息をついた。膝に肘をついて、前髪をかきあげる。


「まあ…つーかこれ、アイツらには言うなよ」


瞬時に、五条を指差してゲラゲラと大笑いするクラスメイト二人の姿が頭に浮かんで、私は肩を竦めた。


「言わないよ…ってか私、五条に嫌われてると思ってた」
「はあ?」
「だって最近冷たいし、二人でいても前ほど話弾まないし」
「それは…もう察しろよ」
「うん、察した」


五条から貰ったチョコレートの箱を持つ手に力を込めて「なんか、嬉しい」と言うと、五条は私をちらりと見て、手で口元を覆いながら「…そうかよ」と少し安心したように呟いた。

そこで二人の携帯が同時に震えて、メールが入ったことを知らせる。開くと、迎えの車が近くまで来ているようだ。「行こっか」と言って立ち上がる私の手を、五条が掴んだ。普段見ることのない上目遣いに、心臓が跳ねる。


「…うって」
「え?」
「付き合うってことでいいんだよな、俺ら」


少し間があいて私が頷く前に、「つーか!」とまたもや大声を出して五条が立ち上がった。


「もう付き合うけど!」
「え、ちょ」


掴んだままの私の手を、自分のポケットに入れて五条は歩き出した。脚の長さが違いすぎるため、どうしても小走りになってしまう。文句を言おうとして見上げた五条の横顔があまりにも嬉しそうで、思わず笑ってしまった。


「すごい嬉しそうじゃん」
「うるせー」


繋いだままの手を、どう説明しようか。見慣れた黒塗りの車が停まっているのを見つけて、ふわふわした気持ちでそう思った。


(2022.03.13)