「硝子も来てたの?」
「呼び出された、タダ酒飲ませてやるって」


賑やかな声があちこちで上がる座敷の隅っこで、私と硝子のため息が重なった。


10.滲みきった物語


歌姫先輩から夜の予定を聞かれ、暇だと正直に答えてしまった私。あの後カフェを出て二人で買い物をし、夜はなぜか先輩主催の飲み会に参加することになった。飲み会には私たちのような呪術師だけでなく、何度か一緒に仕事をしたことがある補助監督や初めて会う窓の人たちなど、あわせて二十名程度が参加しているようだ。離れた席で、すでに酔っぱらっているのか周りに絡んでいる歌姫先輩の姿を眺めながら「広く世界を見てみないと」とはこういう意味だったのか、と思わず苦笑する。

隣に座る硝子はメニューを眺めながら、気怠そうに髪をかき上げた。


も飲む?」
「私、硝子と違ってお酒弱いしな…」
「甘いのもあるよ」
「甘いお酒って酔いやすいんでしょ?」
「甘いお酒が酔いやすいんじゃなくて、甘くてついたくさん飲むから酔いやすいんだよ」


結局お酒については私より詳しい硝子に一任し、彼女が注文する様子を眺めていたら目の前に座っていた男性と目が合った。慌てたように軽く会釈をされたので、私も頭を下げる。どこかで会ったことがあるような気もするが、初対面と言われればそんな気もする。すると彼は自身を指さし、こう言った。


「あの…さん、僕のこと覚えてませんか」
「えっ」
「一度だけ、任務に補助監督として同行したことがあるんですが…伊地知さんの後輩です」


そう言われて、私は「ああ」と声を上げた。少し前に、「私の二つ後輩です」と伊地知に紹介されていた彼の姿を思い出す。私の反応に、彼は嬉しそうにニコニコと目尻を下げて笑った。

しかし思い出したのはそれだけで、彼の名前も、彼と一緒に行った任務がどんなものだったのかも、大事なことは何ひとつ思い出せないまま会話を交わす。硝子は私よりも彼と接点があったようで、親しそうに話をしていた。


「…それで、ここからが伊地知さんのすごいところなんですけど」


名前を思い出せない彼はよほど伊地知のことを尊敬しているらしく、先程から伊地知の武勇伝ばかり話す姿が七海を崇拝する猪野くんと重なる。硝子が注文してくれた甘い桃ジュースのようなお酒もおいしくて、最初にここに来たときよりも随分と気分が良くなっていた。


、まだ飲める?」
「うん」


硝子が次に選んでくれたお酒は柚子の味がした。先程のお酒とは打って変わって少しすっきりとした苦味を感じる甘さを舌で味わいながら、『今、目の前で楽しそうに喋っている彼と付き合ったらどんな感じなんだろう』と考えてみる。が、全く想像がつかなかった。よく知らないのだから当然だ。

普段とは違う賑やかな空間とアルコールのせいで、次第に頭がふわふわし浮いているような心地になる。

補助監督の彼の薄茶色の瞳を見ていたら、なぜか五条のことを思い出した。とん、と肩を叩かれて隣を見ると、硝子が心配そうな目付きで私を見つめている。


「酔った?」
「…五条」
「は?五条?」


──五条と、ちゃんと話がしたい。そう思ったとき、座敷の入口付近で黄色い声が上がるのが聞こえ、それと同時に硝子が「あ、本当だ」と呟いた。

何が本当だ、なんだろう。硝子の言葉の意味をぼんやり考えていたら、歌姫先輩の大声が響き渡る。


「ちょっと五条!何でいるのよ!」
「歌姫ひどくない?逆に何で呼んでくれないの?」
「アンタが来ると!場が!しらけるんだよ!」
「盛り上がるの間違いでしょ」


声のする方を見遣れば、ちょうど五条が長身を屈めて座敷に入ってくるところだった。私服でサングラス姿の五条に窓の人たちが「すごい、生五条」と色めき立つが、反対に呪術師や補助監督たちは緊張した面持ちで、目を合わせないようにしながらも彼の動向に注目している。


「ごめん歌姫、僕すぐ帰んなきゃいけなくてさ」
「今すぐ帰れ!」
「回収したらね」
「はあ!?」


五条はぐるりと座敷内を見渡す。そして「ちょっと通るよ~ごめんね~」と言うと、長い脚で器用に所々に置いてある荷物を避けながら進み、あっという間に私と硝子の元までやってきた。そしてその場にしゃがみこみ、サングラスを下げて私の赤くなっているであろう顔を見つめる。

五条の宝石のような瞳に捉えられた瞬間、先程までの「五条とちゃんと話がしたい」という気持ちが一気にしゅるしゅると萎んでいくのを感じた。なぜなら、五条の顔が以前のように笑っているようで笑っていなかったからだ。

五条はふいっと私から目を逸らすと、隣に座る硝子に話しかけた。


「結構飲んだ?」
「二杯だけ」
「そう」


短い会話を終えた五条は、私の背中を優しく擦る。いきなりだったので、思わず身体がびくりと跳ねた。


、立てる?」
「…立てない」
「じゃあ抱っこしようか」
「立てる」


すっと真っ直ぐ立ち上がってはみたもののふらついた私の肩を、同じく立ち上がった五条が支える。そして五条は恥ずかしげもなく私の肩を抱いたまま、座敷の出入口まで歩き出した。もたつく足をなんとか動かす。


「ちょっと!に何してんのよ!」
「はいは~い、先生さようなら~」


五条は歌姫先輩のことを軽くあしらうと、座敷を出て襖をぴしゃん、と閉めた。先輩が何やら叫んでいる声が聞こえたが、五条は気にせず私の肩から手を離し、今度は手を繋いで廊下を進み始めた。

繋がった二つの手。見ていると、心臓の動きがどんどん速くなっていく。多分これはお酒のせいではない。ベッドのそばで手を握られたときも、手相を見てもらったときも何とも思わなかったはずなのに、なぜか今は五条が私の手に触れているだけで気がおかしくなりそうだ。少しでも気を紛らわすために、私は口を開いた。


「…どこ行くの?」
「帰るよ」
「どこに」
「僕の家」
「なんで?」
「なんでって、なんで?」


質問を質問で返されたところで我慢ができなくなった私は、五条の手を振り払った。


「離して!」


思っていたより大きな声が出てしまいハッとして顔を上げると、サングラスの奥で驚いたように目を丸くしている五条と視線が重なった。個室がいくつかある店内は、私の大声などなかったかのように賑やかなままだ。

再び座敷に戻るべきか、五条をすり抜けて店を出るべきか。迷って身体をふらふらさせる私を見て、五条は壁に背を預けてため息をついた。


「あのさ、彼氏ほしくないって言ってた人が何合コン参加してんの?」
「違う、ただの飲み会だし」
「は、どうだか」
「っていうか別に、参加してもいいでしょ。五条、私に彼氏作れって言ったじゃん」
「…はあ~?」


だめだ。五条は何も悪くないのに、全部気持ちの整理ができていない私のただの八つ当たりなのに、次から次に責め立てる言葉ばかりが溢れそうになる。


「言ってない、作れなんて」
「僕より強い男って、言った…」
「…あの言葉をそういう風に捉えるかよ、普通」


五条は壁から背を離すと、何とかして立っている私を見下ろした。


「じゃあ連れてきなよ、僕より強い男」


──違う。


「確かめてあげるから、まあ殺しちゃうかもしれないけど」


──こんなことを話したいわけじゃない。私は力なく、首をふるふると横に振り俯いた。今まで長い間五条と一緒にいて、こんなに居心地が悪いのも、原因がはっきりとしない言い合いをするのも初めてだ。

五条からぴりぴりとした鋭い刃物のような殺気を感じる。私がもし新人の呪術師や補助監督ならば、きっと耐えられないだろう。顔を上げれば、苛立ちを滲ませどこか辟易している様子の五条と目が合う。


「最近、五条変だよ」
「変なのはの方でしょ」


狭い廊下で言い合いを続ける私たちに、すれ違う人たちがちらちらと視線を投げかけては迷惑そうに通り過ぎて行く。店員らしい人が声をかけるべきか迷っている様子に気付いた五条が、私に手を伸ばした。そしてその手は一瞬だけ躊躇って、まるで壊れ物を扱うかのような弱い力で私の手首を握った。


「…とりあえず、出よう」
「…うん」


大人しく従った私に、五条はようやくほっとしたような表情を見せた。

外に出ると、もう日中の茹だるような暑さは感じられず、涼しい風のおかげで少しだけ冷静になれた気がした。店先に置いてあった木製のベンチに二人で並んで座る。五条はスマホで迎えのタクシーを手配しているようだった。

少し眠気を感じて目を擦ると、それに気付いた五条が「寝てていいよ」と笑う。私たちの間に、先程までの険悪な空気は残っていない。

でも、もう無理だと思った。五条を解放して『普通の同僚』として接することも、解放せずに『今まで通りの関係』を続けることも。いつの間にか五条の手が私の手首を離していることに気付いたとき、自分が五条に抱いている感情が変わってしまっていることを静かに実感した。

五条の言葉に甘えて目を閉じる。記憶の奥底で、傑が「相変わらず素直じゃない」と困ったように笑いながら呟いた。その姿に、思わず泣いてしまいそうになった。


(2022.04.19)