「映画借りてきちゃった」
7.ガラスでできた幸福
機嫌良くそう言う五条の手には、近所のレンタルショップの袋が握られている。結局、私がお土産に頼んだロールケーキはほとんど五条が平らげてしまい、お皿を片付けていた私はそれを見て小首を傾げた。
「わざわざお店で借りてきたの?」
「うん、サブスクだと見れないみたいだったから」
五条が袋から取り出したDVDは、随分前に「いつか一緒に見よう」と約束していた邦画だった。旬の俳優がW主演している、青春もの。私はそうでもないが、五条は青春ものを好む傾向があった。
「覚えてたんだね」
「前約束したときは映画が公開されたばっかだったのに、昨日借りたときにはもう旧作になってたからね、ウケる」
「笑えないんだけど」
それだけ互いに忙しく、今日のように二人そろってオフになるのが久しぶりということだ。笑えないと言いつつ苦笑する私に、五条もにやりと笑った。
お茶を入れ、リビングの大きなテレビの前のこれまた大きなソファに二人並んで座る。昔聞いた話によると、ベッド同様このソファも特注らしい。一度値段を聞いてゼロの数に驚愕したが、硬すぎず柔らかすぎず程よく大人二人の身体をしっかり受け止めてくれる、いわゆる『極上の心地良さ』を経験してしまうと、その高額さにも納得してしまう。五条は凭れるようにして座り、私は体育座りのように膝を抱えて座った。
DVDが再生されてしばらく経った頃、睡魔がやってきた。よくよく考えてみると、昨日高専から自宅に帰りついたときには余裕で日付が変わっていたし、帰ったら帰ったでなかなか寝付けなかったのだから当たり前だ。
──今日こそちゃんと、五条に話したいと思っていたのに。
どんどん重くなる瞼と格闘していたら、不意に五条が「手相ってさ」と呟いたのでハッと目を見開いた。首を動かし五条に視線を向けると、五条は自分の手のひらを真剣な表情で見つめている。
「…手相?」
「インドが発祥って知ってた?」
「知らない…あれ?ごめん、今手相の話出てた?映画」
「出てないけど、この俳優、昔テレビ番組で手相見てもらってたよなと思って」
五条はテレビ画面に映る若手俳優を指さす。「全然映画見てないじゃん」と言えば、「それはも同じでしょ」と返ってきて何も言えなくなった。どうやら私が眠気と戦っていたことに気付いていたようだ。
私はソファに座り直し、両手を前に伸ばした。五条が話しかけてくれたおかげで、少しだけ目が覚めた気がする。正直、映画は観たいと思っていた時期を随分と過ぎていたこともあり、五条も私もさほど興味を持てないでいた。
私も五条を真似して、自分の手のひらを見つめる。全く知識はないが、手の皺が多い人ほど優しい人だと聞いたことがある。しかし自分の手の皺が多いのかどうか、他の人の手のひらをゆっくり見ることがない私には判断できない。
「僕、手相って生命線ぐらいしか分からないんだよね」
「同じく…しかも私、生命線めっちゃ短いからね」
「そうなの?見せてよ」
五条が私の方に身体を寄せたので、ソファが小さな音を立てて少し沈んだ。私の左手に、五条の右手が触れる。
「うわ、短っ!途中で切れてるじゃん」
「縁起悪いよね…五条は?」
「僕、超~~~長い」
得意気にそう言って、私の左手に並べるように差し出してきた五条の左手は確かに生命線が長い。「いいなあ」と呟いてみたものの、果たして生命線が長ければ本当に長生きできるのか、今の世の中長生きできることが幸せなのか、正直分からなかった。
普段、あまりじっくりと見る機会のない五条の手。手の皺の多さは私と大差ないような気がするが、こうやって並べてみると私の手よりも大きくて、やはり大人の男なのだなと改めて実感する。そのとき、眺めていた五条の左手が動き、右手で掴んでいた私の手に触れて両手で軽く握りしめた。
「特別に、僕が手相見てあげようか?」
「…さっき、生命線しか分からないって言わなかったっけ?」
「大丈夫、僕六眼だから」
「関係なくない?」
「どれどれ…」
私のツッコミを無視した五条は、両手で私の手を擦ったあと、親指で手のひらの皺をなぞり始めた。微かに指先が触れるくらいの弱い力で、なんだかくすぐったい。笑ってしまいそうになるのを堪えながら少し身を捩らせると、五条は「なんと!」と大袈裟にリアクションしてみせた。
「何か分かったの?」
「あなた、今日抹茶風味のお菓子を食べましたね?」
「…やっぱり手相なんて分かんないんじゃん!」
盛大に笑いながらソファの背もたれに沈み込めば、五条は私の手を握ったまま、こう続けた。
「そして、最近何やら悩みもあるようですね」
「悩み~?」
「五条悟にも、なかなか言えない悩み」
その言葉に笑うのをやめて五条を見ると、彼は私の手のひらから視線を外し、私の表情を窺うかのように上目遣いで「当たりでしょ?」と笑いかけてきた。揺れた白い前髪の間から覗く瞳。それには私の全てを見透かされているような気がした。
五条はもしかして、全部気付いているのだろうか。私が最近何を考えているのか、全部。
五条の視線から逃れるようにテレビ画面を見遣れば、もうすでにエンドロールが流れている最中だった。観客の感動を誘うようにしっとりと流れる音楽が、ほんの少し気まずい。五条の手がすっと離れていき、熱を持った手の温度が一気に下がっていくような気がした。
意を決して五条の方へ向き直り、ごくりと息をのんだ。どうしてこんなにも緊張しているのだろう。
「あの、五条、私さ」
「、大丈夫だよ」
「え?」
大丈夫、という言葉の意味を考えている間に、五条はテーブルの上に置いていたリモコンを手にし、テレビ画面に向けた。画面の下から上に流れていたエンドロールがぷつんと途切れ、一気に部屋の中が静まり返る。
「全部知ってるから」
そう言って、五条は真剣な顔つきで人差し指を立てる。そしてその指を私の顔を近づけてきたかと思ったら、こめかみをトンと叩かれた。
「が怪我したのは歳のせいなんかじゃなくて、ただ単にがおっちょこちょいなだけだってね」
「……伊地知~!」
ここにはいない後輩の名を叫び、私はソファのクッションに突っ伏した。今度は五条が盛大に笑う番だった。彼の笑い声に、どんどん顔が熱くなっていくのを感じる。
いつまでも笑い続ける五条に、私は持っていたクッションを彼の顔を目掛けて至近距離から投げ付けた。そしてそれは、無下限を解いていた五条の顔面に容易くヒットする。
「サイテー!暴力反対!」
「どうせ伊地知から無理矢理聞き出したんでしょ…」
「無理矢理だなんて人聞きが悪いなあ、ちょ~っと脅しただけだよ」
「五条サイテー!」
五条は何も見透かしてなんかいなくて、全てはただの杞憂だった。そのことに少しだけ安心したが、なぜ自分が緊張していたのか分からなかったのと同じように、なぜ今自分が安心しているのか、よく分からなかった。
結局、私たちの関係にどんな名前がふさわしいのか、今でも答えることはできない。同期、友達。そんなたった一言で表せるほど、単純な関係ではないような気がする。
「?」
「うん?」
「どうしたの、ぼーっとして」
「…何でもない」
「考えすぎるなよ、いろいろと」
その言葉に顔を上げれば、五条はリモコンを片手に「映画ハズレだったね~」と唇を尖らせていた。見透かしていないくせに、たまに全部分かっているようなことを言う五条。彼の言葉に心が揺らぐのを感じながら、私は一人焦るだけだった。
(2022.4.10)