ずっと、繋がっていると思っていた。
1.運命は曇りがち
机の中から出したノートと一緒に姿を現した予想外の生物に、私は悲鳴をあげて椅子から転げ落ちた。そんな私を見て、隣に座り携帯を弄っていた硝子が呆れたように「何やってんの?」と笑う。
「く、くっ蜘蛛…!」
「はあ?…何コレ、おもちゃじゃん」
「えっ」
硝子が拾ったモノを恐る恐る受け取ると、確かにそれはよくできた本物そっくりの蜘蛛のおもちゃだった。私がそのおもちゃを指で摘みながら床に座り込んでいたら、頭上から「ぶはっ」と吹き出す声が聞こえる。見上げると、恐らく犯人であろう五条が我慢できないといった感じで大笑いしていた。
「だっせえ、普通椅子から落ちるかよ」
「ご、五条!」
ケラケラと私を指さし笑い続ける五条に向かって、持っていた蜘蛛のおもちゃを投げつける。もちろんそれは五条に当たることはなく、ぼとりと寂しく床に落ちただけだった。苛立ちを抑えきれずに五条を睨みつけていたら、目の前にすっと手を差し伸べられる。
「、大丈夫かい?」
「傑…」
「悟は小学生男子みたいなところがあるから、気にしない方がいい」
傑の手を借りて立ち上がる。後ろでは五条が「誰が小学生だコラ」とキレていたが、それを気にせず傑に礼を言うと彼はにこりと笑った。
私、硝子、傑、五条。数少ないクラスメイトである私たちは、基本いつも行動を共にしている。任務となれば話は別だが、時間があれば四人で集まることが多かった。私にとってそれは至極当然で、これからもこういう関係が続いていくんだろうなあと思っていた。
「そういえば、今度の再試大丈夫?」
「うっ」
席についてすぐ硝子にそう問われ、私は押し黙った。先日の呪術のテストで、私はクラス最下位をとってしまったのだ。点数が悪かったのは認めるが、最下位なのはあとの三人の成績が化け物並みに良いせいである。その話を聞いた五条が、ここぞとばかりに私を貶し始めた。
「あんなん満点とれないとか、お前呪術師向いてねーんじゃねえの?」
「う、うるさいな…御三家のあんたと一緒にしないでよ」
「良かったら私のノート貸してあげようか」
「傑様…!」
育ってきた環境が違うとはいえ、同じ歳、同じ男でどうしてこうも人格に差が出るのだろう。傑が渡してくれたノートを深々とお辞儀しながら受け取ると、五条が軽く舌打ちをした。
「オイ傑、あんま甘やかすなよ」
「甘やかしてないさ、これは思いやりだよ」
「も傑に甘えてんじゃねーよ」
「甘えてないさ、これは処世術だよ」
傑の口調を真似してそう言うと、五条はさらに苛立ったように顔を顰めた。そんな五条に対し、硝子が「嫉妬、ダサっ」と吐き捨てるように呟く。言い合いを始めた二人を、傑はやれやれと苦笑しながら眺めている。そんないつもの日常が、私は大好きだった。
そして私たちは、三年の夏を迎える。
「オイ、花火すんぞ」
「ちょっと!」
いきなりノックもせずに部屋に入ってきた五条に向かって、持っていたクッションを投げつける。しかしそれはいとも簡単にキャッチされ、五条は「バーカ」と笑いながら私に投げ返してきた。そんな五条の手には、たくさんの花火が入ったビニール袋が下げられている。五条はそれを私に渡すと、何の遠慮も無しに私のベッドにぼすんっと倒れ込んだ。「あー疲れた」と零す五条は制服姿で、おそらく今まで任務だったのだろう。その様子に、勝手に部屋に入ってくるなという文句を黙って飲み込んだ。
「…傑と硝子は?」
「呼びたいなら呼べば」
「呼んでないんかい」
テーブルの上の携帯を手に取り、傑と硝子あてにメールを作成する。二人とも、もう任務を終えて高専に戻ってきているはずだ。『五条が花火しようだって』と一言だけ打って送信する。送信中…と表示される画面を見つめていたら、後ろのベッドにいる五条が「なあ」と声をかけてきた。
「何?」
「お前、傑のこと好きなの」
「は?」
思いがけない質問に、携帯から目を離して振り返る。先程まで寝転んでいたはずの五条が起き上がってサングラスを外していたので、少し驚いて体を引いた。そして、頭の中で五条の質問を反芻する。『好き』というのは、ラブの意味だろうか。
「…好きだよ、ただし男性としてじゃなくて、仲間として?」
「仲間?」
「入学したての頃さ、傑に言われたの」
一般家庭出身で普通の人が見えないものが見えた私は、周りからしてみたらただの『頭がおかしい子』だった。小さい頃、心配した両親に病院に連れて行かれたことだってある。もちろん友達なんてできなかったし、それは見えることを隠すようになってからも同じだった。
縁あって高専に入学することができたが、初めての任務で傑とペアを組んだ私はとにかくボロボロ、ケガだらけとなった。そしてその結果、入学当初から実力のあった傑の足を引っ張り、何度も助けられた。不甲斐なさや申し訳なさで打ちひしがれていた私は、震える声で傑に謝罪した。すると傑は、私の顔の傷にハンカチを当てたまま一瞬だけきょとんとして、すぐに笑ってこう言ったのだ。
「仲間なんだから、助けるのは当然だよ」
「…五条、聞いてる?」
「んあ、寝てた」
「人がせっかく良い話してたのに!」
座ったまま頭を揺らし船を漕いでいた五条に苛立ちを募らせていたら、携帯が短く震えた。
「つーか、いつまで俺のことだけ名字で」
「傑も硝子も、すぐ来るって」
「聞けよバカ」
あのとき傑が言ってくれた『仲間』という言葉は、私にとってとても魅力的で、価値のあるものだった。それはきっと、これからも変わらない。
「…傑、大丈夫?」
久しぶりに会った傑は、少しやつれているように見えた。ポケットに両手を入れてぼんやりと立つ傑の隣に、花火を持ったまま並ぶ。気のせいか、色とりどりの光が吹き出している景色の中で傑だけが色あせて見えた。少し離れた場所では、五条と硝子がふざけてねずみ花火を投げ合っている。私の花火が消えたとき、傑は笑った。
「大丈夫、ちょっと疲れが出たかな」
「…そう」
去年の災害の影響か呪霊が多く生まれ、今年の夏は特に忙しかった。私と違い五条や傑は一人で任務にあたるから、余計心身に負担がかかるのだろう。
「オイそこの二人、さぼってんじゃねーぞ!」
遠くから五条が私たちに向かって叫ぶ。五条が買ってきた花火は大量で、今日一日ですべて消費できるか分からない。残していても、次に四人集まることができる頃には湿気ているだろう。「さぼってませーん!」と叫びながら、次の花火を選ぶ。傑は花火五本ほどを束にして持ち、火をつけていた。
「量が多すぎるんだよなあ…」
「悟はきっと、を喜ばせたいんだよ」
「んー、まあ花火は好きだし、こうしてみんなで集まれるの嬉しいけどさ」
しゅうううと音を立てて、次々と花火が消えていく。勢いのあるものが消えていく様は、どこか切なく空しいところがある。硝子がこちらに向かって大きく両手を振り、「打ち上げいくよ~」と声をかけた。五条がライターで火をつけ、素早く離れる。一瞬だけ間が空いて空に昇っていった火の玉は、空中で綺麗に弾けて静かに散っていった。
隣にいる傑に、私は笑いかけた。
「また来年も、みんなで花火しようね」
「…そ」
「!次、お前が火つけろ!」
「はあ?やだよ、怖い!」
「ワガママ言うなって!」
嫌がる私を五条が無理矢理引っ張っていく。それを見て、硝子が笑う。
このとき傑がどんな表情をしていたのか、何を思っていたのか、何を言おうとしたのか、私は考えることもしなかった。
「…え?」
間抜けな声を出した私に対し、夜蛾先生は静かに目を伏せた。何も、言葉が出てこない。
いつもの日常も来年の約束も、そして大切な仲間も。当たり前にあったはずのものを失うのはたった一瞬であることを思い知ったのは、その翌月のことだった。
(2022.03.20)