軽いようで重い
「おはよ~。あれだって? 、猪野と付き合ってんだって? いいねえ若いって。学生たちより青春謳歌してんじゃない?」
早朝六時。五時頃に申し訳なさそうな声で話す新田さんからのモーニングコールで起こされて急いで高専に来てみたら、いつも通りテンションの高い五条さんと無言で新聞を広げる七海さんがいた。普段、術師が打ち合わせで使う窓のないこの部屋にはローテーブルと二人掛けソファが二つ置いてあるのみで、この二人が揃って座っていると威圧感がすごい。私は向かい合って座る彼らを交互に見たあと、七海さんの隣に座った。
「……よくご存知ですね」
「あの子、白鳥さんか白雪さんか忘れたけど、補助監督の子が嘆いてたよ。私の女神が~って。あと猪野が明らかに浮かれてる。ねえねえも猪野に好き! とか言うわけ? 全っ然想像できないんだけど」
「あの、私は任務の話で呼ばれたんですよね?」
なぜこの人は朝早いにも関わらずこんなに元気なのだろう。五条さんがぺらぺら話すのを遮ってそう尋ねれば、隣に座る七海さんが深いため息を落として新聞を畳んだ。
「……貴方、説明のためにこの場にいるんじゃないんですか」
「違うよ~僕は単純に若人二人がどういう恋愛してんのか興味があるだけ。さ、ちゃんと好きって言葉にしないとだめだよ。言わなくても分かるだろうってのは大抵の男には通用しないんだから」
「さんには、今日私が対応するはずだった任務を引き継いでもらいます」
「はい」
七海さんは五条さんを無視し、新聞の下に持っていた書類を私へ手渡した。それはいつも任務の前に必ず補助監督から渡される概要書で、場所を確認したあとすぐに『行方不明者六名』という一行が目に飛び込んでくる。胃がきゅっと縮む思いがした。
「秋頃から今回の現場であるG県F市の山に山菜採りに入った五、六十代の男女が姿を消しています。獣害は確認されず、県警本部から調査依頼がこちらに」
「なるほど」
「私はこの人の無茶振りで学生の引率が入りましたので、代わりによろしくお願いします」
そういえば、七海さんと五条さんは学生時代からの先輩・後輩の間柄なんだっけ。何の遠慮もなく苛立ちを滲ませて「この人の無茶振り」と言ってのけた七海さんに苦笑して五条さんをちらりと見れば、彼は特に何も気にしていないようでスマホを操作しながら「なんか甘いもの食べたくなーい?」と言っていた。
もう一度、概要書に目を落とす。今回のように『死者』ではなく『行方不明者』と記されている場合、祓除に加えて彼らの生存確認も必要になってくる。その上、低山とはいえ現場は山一帯。しかも一級術師である七海さんが請け負うはずだった任務だ。準一級の私一人でどうにかなるものなのか、という不安が拭えない。
「ま、二人なら余裕でしょ」
ソファに背を預け、両脚を伸ばしてさらりとそう言った五条さんに眉を顰める。
「二人?」
「サクッと終わらせてさ、余った時間でデートでもしてきなよ」
僕って気が利く、と口角を上げる五条さんをただただ見つめる。隣では七海さんが呆れたようにため息を吐いていた。
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ざあ、と祓った呪霊が煙のように消えていくのを見届けたあと、私は首をコキコキと鳴らして辺りを見渡した。昼前から調査に入り、気づけばもう夕方になろうとしている。呪霊の数は多いがどれも低級ばかりで、とてもじゃないが今回の行方不明者の件に関係しているとは思えない。
さて、どうしたものか。
腕を組み、今後の動きについて考え始めたところで目の前にある木が大きく揺れる。顔を上げてすぐ、二手に別れて索敵していた猪野くんがすとん、と軽い身のこなしで地面に着地した。
「西側回ってきましたけど、特に問題ないっすね。呪霊も低級ばっかで」
「こっちも。それらしい呪力の残穢も確認できない」
「七海サン・俺に続き、サン・俺という最強タッグが生まれちゃいましたからね……呪霊も恐れをなして様子をうかがっている……とか!?」
「一度帳を出て、新田さんに状況報告しよ」
踵を返し進み始めた私の隣に猪野くんが並ぶ。彼はとん、と私に肩をぶつけると「突っ込んでくださいよ~」と拗ねたように言った。特に成果もなく時間ばかりが過ぎていく中、体力と集中力だけは確実に消耗されていっている。油断は禁物だ。
それにしても。鼻歌を歌いながら歩く猪野くんを横目でちらりと見る。猪野くんとの共同任務は今回が初めてだが、素直な感想を言えば『二級にしておくには勿体ない』。フィジカルも術式も申し分ないし、正直自分の方が等級が上であることに疑問を抱くくらいだ。
ぱ、とこちらを見た猪野くんとばっちり目が合う。ぎく、と肩を揺らす私に対し、猪野くんは自身を指さしてにこっと笑った。
「俺の顔に何かついてます?」
「顔には何もついてないけど、帽子に葉っぱがたくさんついてる」
そう伝えて手を伸ばす。猪野くんは少し頭を下げてくれて、すべての葉っぱを地面に落とすと彼はへらりと気の抜けた笑みを浮かべ「サン、大好きですよ」と言った。
ちゃんと好きって言葉にしないとだめだよ。今朝、五条さんに言われた言葉がふと頭に過る。猪野くんと付き合い始めて一か月が経とうとしているが、愛情表現豊かな彼に対して私は未だに「好き」といった類の言葉を口にしたことがない。なので実を言えば、五条さんの言葉は私にとって耳の痛い言葉であった。
たった二文字、口にするのは簡単なようで簡単でない言葉。軽いようで呪いにもなり得る、重い言葉。フリーズした私に、猪野くんが訝しげに「サン?」と名前を呼ぶ。我に返った私は目を細め、彼の両頬を軽く叩いた。
「任務中にそういうこと言わない。まだ終わってないんだから」
ぎゅう、とそのまま頬を押し潰せば、猪野くんは「気は張ってますってば」とひょっとこのような口を動かして言った。
「今朝、七海さんによろしくお願いしますって言われたし……長期戦になるかもしれないけど頑張ろ」
「っすね! 七海サンをガッカリさせるわけにはいかないっすからね!!」
「七海さんの名前が出ると途端にうるさくなるじゃん……あれ?」
とぷん、と帳を出たところで違和感に気づき立ち止まる。遅れて出てきた猪野くんも目の前に広がる景色に「ん!?」と声を上げた。
「あれ? 逆側下りてきちゃいましたかね」
「いや、そんなはずはないと思うけど」
私たちは、確かに入山したときと同じ道を下りてきたはずだ。だから帳の外へ出れば車と一緒に待機している新田さんの姿があるはずだった。しかし今、彼女の姿はどこにもなく、そのうえ私と猪野くんが見ている田園風景は現着したときに見たものとまったく違うものである。
「……猪野くん、スマホ持ってる?」
「いや、車に置いてきました」
「だよねえ」
「戻ってみます?」
後ろを親指でさす猪野くんに私は首を振った。
「情報収集がてら、あそこで電話借りよう」
私の視線の先へ猪野くんが目を向ける。そこには山と田畑に囲まれるには不釣り合いの古びた洋館があり、私たちは顔を合わせた。
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「ニュースになってましたからねぇ……こんな田舎で行方不明者が何人も出るだなんて、まるで神隠しにでも遭ったみたいだって皆さんおっしゃってますよ」
訪ねた洋館は宿泊施設を兼ねており、それもあってか外からの見た目とは違って内装は随分と綺麗なものだった。ロビーに入って真っ先に目に入ったのは、広い階段と大きな振り子時計。数年前までは結婚式場としても利用されていたらしく、入口からは見えないが庭園には幸せの象徴とされるオリーブの木がたくさん植えられているという。
洋館の主人である四十代くらいの女性から話を聞く私に、電話を終えて走ってきた猪野くんが耳打ちする。
「新田チャン、連絡とれました。やっぱり反対側だったみたいっす。とりあえず今からこっちに回って……」
「お二人は新婚さん?」
「んなっ!?」
急に猪野くんが耳元で大きく叫んだせいで、きいん、と耳鳴りが始まる。顔を顰めて耳を押さえる私と動転する猪野くんを見比べて、女主人は赤い唇にゆっくりと弧を描いた。
「いいわねぇ、お似合いで羨ましいわ」
「いえ、あの私たちは」
「そうだわ、せっかく東京からいらしたんだから泊まっていくのはどうかしら」
「えっ」
ぱんっと手を叩いて謎の提案をし始めた女主人に、私と猪野くんの戸惑いの声が重なる。泊まっていけって、何を急に。貼り付けていた笑みが引き攣るのを感じながらどう断ろうか思案していたら、彼女は私の腕を掴みにこりと笑った。
「そうしましょうよ。今日はこれから酷い雨になるらしいし、せっかくのご縁を無駄にしたくないわ」
緩く掴まれた腕から、ゆっくりと彼女の瞳の奥へ視線を移す。
懐疑とは方法である。真理に辿り着きたければ、疑えるものはすべて疑わねばならない。
じゃあ、お言葉に甘えて。そう返事した私の隣で、猪野くんが今日一番の大声を上げた。
「部屋、すごい豪華だね。壁紙もレトロな感じでお洒落だし」
通されたのは二人で泊まるには広すぎる、天井が高い最上階の部屋だった。アンティークの調度品が並び、もう一つの部屋にはシックなベッドが二つ置いてある。天井からぶら下がる煌びやかなシャンデリアを一瞥したあと、私は窓際へ歩み寄り外を見下ろした。そこからは女主人が話していた庭園が見えたが、朽ち果てたその場所は降り始めた雨を受け止めながら寂しく時間が止まっているように見える。
「ところで、どうして落ち込んでるの?」
私の隣に並んだ猪野くんに尋ねる。この部屋に来てから彼は明らかに気落ちしていて、私は首を傾げた。
「一瞬でも浮かれた自分が情けないっていうか……普通に考えて、サンが任務中に意味もなく俺とお泊まりなんてするわけないのに……」
「うん、まあ怪しかったからね、あの女主人。多分何か隠してる」
「今までの行方不明者たち、全員山を下りたら俺らみたいになぜかこの場所に辿り着いて……って感じですかね」
「恐らくはね。まあ、お泊まりはまた今度改めてってことで」
瞬きをする猪野くんと目が合った瞬間、遠くの方で古い鐘の音が聞こえた。ロビーにあった時計の音だ、と認識した瞬間、足裏から一気にどろりとした呪力が駆け上がってきて私と猪野くんはほぼ同時に真上へ飛んだ。
視線を落とせば、そこにあったはずの床が消えていた。その代わりに大きな穴が現れた、と思ったのも束の間、すぐにその穴が穴ではなく呪霊の大きな口であることに気づく。
「やば」
「いっ!?」
重力に従って落ちていく直前、同じように呪霊に気づいた猪野くんの胸に飛び込んだ。そして彼の身体にしがみついたまま、手首にはめていた腕輪から出したワイヤーを頭上のシャンデリアに搦める。二人分の体重を支えるワイヤー、そして天井とシャンデリアの支柱がミシミシと音を立てる中、宙にぶら下がった私たちが落ちてこないことを悟ったのか、呪霊は静かに口を閉じた。襲ってくる気配はない。
「猪野くん、大丈夫?」
「大丈夫っす……すんません助かりました」
「……一番、出せる?」
ギリギリと腕輪が手首に食い込むのを避けるために伸びたワイヤーを掴んだままそう尋ねる。保険で身につけておいて良かった。ただし、このままだと二人揃って呪霊の口の中に落ちることになってしまう。まだ詳細が分からない以上、無防備に落ちることだけはなるべく避けたい。
片手で帽子を顎まで下ろした猪野くんが術式を繰り出す。しかし皮が硬いのか、彼の放った獬豸は呪霊に傷一つつけることなく霧散した。
「かってえ~、何だよあのオオサンショウウオ」
「確かにぽいな……口開けたときがチャンスかも。一回食べられてみる?」
「博打すぎません? 向こうからは来ないっすね」
ばつん、ばつん、と、何重にも搦めていたワイヤーが一本ずつ切れる音がする。さすがに限界だ。
「一旦窓破って外に飛ぶ」
「了解っす」
振り子の要領で身体の重心を移動させ始めたとき、部屋のドアが開く音がしたのを私も猪野くんも聞き逃さなかった。顔を覗かせた女主人が巨大な呪霊とシャンデリアからぶら下がる私たちを見て「ひっ」と小さな悲鳴を上げる。
猪野くん、と名前を呼べば、彼は私の意図を理解したのか窓ではなく開いたドアの方へ飛んだ。そして猪野くんが勢いで女主人の腹を蹴り飛ばしたあと、私も同じ場所へ飛ぶ。腕輪から伸びていたワイヤーをすべて切り離し、ぷらぷらと手首を揺らしながら立ち上がると、猪野くんはボルドー色の廊下に仰向けで倒れている女主人の胸元に膝をつき押さえ込んでいた。
「腕、問題ないっすか?」
「全然大丈夫」
「呪詛師ですかね」
「いや、そんな感じはしない。でも今までの行方不明者たち全員あの呪霊に喰われていた、と言うより喰わせていたって方が正しいかな。ですよね?」
女主人へそう聞くと、彼女は肩で息をしながら恐怖からなのか怒りからなのか身体を震わせ、血走った目で私たちを見上げた。
「う……産土神様のために、人身御供を……」
「ああ、そういう……」
私はそう呟いて前髪を掻きあげた。一般人が呪霊を視認したとき、それを幽霊の類だと思う人もいれば彼女のようにその土地の神様だと思う人もいる。後者に関しては田舎あるあるだ。すぐに猪野くんが「くだらね……」と吐き捨てた。
「あの、あれは神様なんかではなくて――」
そこまで言って、それまで感じていた呪力の揺らぎがふっと消える。部屋の方へ顔を向けてすぐに言葉が続かなくなった。視線の先には、最初にこの部屋に入室したときと何も変わらない光景が広がっていたのだ。床も、呪霊の口の中に吸い込まれていった調度品たちも、何事もなかったかのようにそこに存在している。
最初、呪霊は時計の鐘の音と同時に現れた。ということは、時間が鍵になっているのかもしれない。
「……猪野くん」
再び鐘の音が館内に鳴り響く。
四所打ちだ。そう気づいた瞬間、先程感じた呪力が廊下の奥から這うように流れ込んでくる。その先を辿っていけば、床が消えたときと同じように奥の壁が消えていて呪霊の姿があった。
あの部屋にのみ出現する、というわけではないのか。先程と同じように動かないままでいる呪霊から目を離さずにその場に屈み、そうっと床に触れたところで猪野くんに押さえこまれていた女主人が「無駄よ」と掠れた声で呟く。
「人間を取り込まない限り終わらないわよ」
「うるっせえな、祓えば解決すんだよ」
「それに……い、一度目で失敗しているから、きっとお怒りになっているに違いないわ」
彼女がそう言い終えてすぐ、轟音が耳を劈き窓のガラスが激しく音を立てて割れた。雄叫びを上げる呪霊を正面に捉えたまま、視界の隅で悲鳴を上げる女主人と呪霊に向かって構える猪野くんの姿が映り、即座に身を低くする。私の頭上を飛んで行った獬豸は、呪霊が口を閉じたことによりまたもや弾かれて猪野くんから舌打ちが飛んだ。
女主人が走って逃げ出すと同時に、それまで動く気配のなかった呪霊が私たち目掛けて突進し始める。巨体を揺らしながら天井や壁を破壊していき、鉄筋が剥き出しになる中で床に術式で『円』を描き切った私は、猪野くんと一緒に女主人と同じ方向へ走り出した。
「円、いけました!?」
「描いたけど軽い足止め程度にしかならないと思う。一回止まるから、アレが私を食べようと口開けたときに二人で仕留めるプランAでいこう」
「いやいやそれなら俺が囮になりますって! プランB!」
「でも私、猪野くんみたいに遠隔攻撃できないし」
外側からの攻撃が効かないのなら内側から。とはいえ、内側からの攻撃が効くと決まったわけではないので、先のことを考えれば術式で攻撃を飛ばすことができる猪野くんよりも私の方が囮になった方がいい。走りながら振り返れば、私の描いた円に呪霊が足を踏み入れる。途端に、僅かにだが呪霊のスピードが緩んだ。
術式で描いた円の中に相手の身体の一部が入ると、その相手の外界を感知するための五感の機能のうちいずれか一つを一定時間喪失させることができる。それが私の術式だった。一定時間というのは相手が自分より格上か格下かで変化するが、そもそも呪霊には最初から五感を持たないものも多いので、それこそこの術式に頼り切るのは『博打』みたいなものである。
廊下を走り抜け、ロビーへと下りる大階段へ出る。動きが鈍くなったとはいえ変わらず追いかけてくる呪霊を横目に階段を飛んですぐ、逃げる最中に転んだのか座り込む女主人を見つけた。
「げっ、サン!?」
先にロビーへ飛び下りた猪野くんが振り返って私を大声で呼ぶ。私は女主人を庇うような姿勢で迫り来る呪霊と彼女の間に滑り込み、そして叫んだ。
「猪野くん! プランA!」
建物が崩れ落ちる音とともに床が大きくぐらりと揺れる。生ぬるい風が全身を覆い、私のすぐそばで呪霊が大きな口を開けた。
呪力を纏った私の拳と猪野くんの獬豸、それらがほぼ同時に狙い通り呪霊を攻撃する。手応え、あり。倒れて割れていた振り子時計の鐘が鳴る。
何もなかったかのように洋館が元の形に戻ることも、新たな呪霊が出現することもない。黒い塵が天に上っていく中、足元で白目をむいて気を失っている女主人を見下ろしたあと私は長く深いため息を吐いた。
「終わった……」
「サン、無茶しすぎでしょ……」
私に駆け寄った猪野くんは帽子を上げ、疲れきった顔でそう言った。半壊しているせいで、瓦礫の山と私たちにいつの間にか本降りになっていた雨が降り注ぐ。鉛色の空を仰いで、私はあることに気づき大声を上げた。猪野くんが肩をびくりと跳ねさせて「何すか!?」と叫ぶ。
すっかり忘れていた。自分たちが山を下りていたことを。
「ここ、帳の外だ」
ざあざあと降る雨の音を聞きながらそう呟く。恐らく新田さんの乗った車だろう。まっすぐ伸びた二つのライトが揺れながらこちらへ近づいてくるのが見えた。
▼
「伊地知さんにも確認しましたけど、連日雨が続いてたんで今回は土砂災害による被害ってことで片付けられそうっス」
「ごめんなさい……」
「いえいえ! 別に山一つ消し飛ばしたわけじゃないっスから、どうにでもなるっス!」
びしっとたくましく親指を突き立てた新田さんは笑いながらそう言って、警察と話をしてくると車の外へ出て行った。
暖房の効いた車内にいると一気に肩の力が抜けていく気がする。置いていったスマホには一件だけメッセージが届いており、確認すればそれは五条さんからで任務地であるこの場所から近いデートコースまとめサイトのURLだった。メッセージが届いた時刻は十一時二十分。ただいまの時刻、十九時十五分。
サクッとなんて、終わらなかったし。そうぼやきたくなるのを堪えてスマホを座席に放り投げる。タオルで濡れた髪を拭いていたら、猪野くんがぼそりと「五条サンって」と呟いたので顔を上げた。
「昔、帳忘れて上から怒られたことあるらしいっすよ。七海サンから聞きました」
「じゃ、今回の件も大目に見てもらえるか」
「どうなるんすかね、あの女」
そう言われ、窓の外へ視線を向ける。雨に濡れたガラスの向こう側に並んだ警察・消防車両の間を抜けて、高専側の車に乗せられる女の姿が見えた。
呪霊を産土神と思い込み信仰していたが故とはいえ、被害者は六名。それに対し高専がどういう判断を下すかは、私の関わるところではない。でも何かしらの形で罪は償うべきだと思う。
「サン、あいつのこと守ろうとしてましたね」
「……まあ、迷ったけど。迷ったときは、自分が後悔しない方を選ぶようにしてるから」
「かっけえ~、それ」
「そういう猪野くんはさ、可愛いよね」
そう言えば、猪野くんが不快そうに顔を歪める。可愛いは禁句だったかもしれない。猪野くんの前髪から雫がぽたりと滴り落ち、私は彼の頭をタオルでわしわしと拭いた。
「帽子被ってないの、なんか新鮮だしさ」
「俺は~サンに~格好いいって思われたいんですけど~頼りにされたいんですけど~」
口を尖らせ、語尾を伸ばしつつそう零す猪野くんの姿に思わずふは、と吹き出す。
「格好いいとも思ってるし、頼りにもしてるよ」
「なーんか言わせてる感……」
「そうじゃなかったら付き合ってないし、プランAなんて実行しない」
きっぱりとそう答えれば、少しは信じてくれたのか、猪野くんは嬉しそうに笑った。そしてまた、任務中と同じように私のことを好きだ、と言う。
そこでまた浮かんだのが五条さんの気の抜けた笑い顔である。内心、これから猪野くんに好きだと言われるたびに五条さんの顔を思い浮かべるのだろうか、と不安になっていたら、猪野くんが私の両手を掴んでぐっと顔を近づけた。急だったので、窓ガラスに軽く後頭部をぶつける。
「ねえ、それ何すか? 今日、俺が好きだって言ったら変な顔して固まるの、すっげえ気になるんですけど」
「いや、別に」
「嘘。絶対何かある。正直に言わないとこのままぶっちゅ〜ってしちゃいますよ」
「あ、七海さんに無事終わりましたって報告しないと。お願いしていい?」
「はぐらかされた……しますけど」
「あとさ、猪野くん。好きだよ」
猪野くんの肩が分かりやすくぴくりと震える。私の両手を掴んだまま目を見張る猪野くんの頬が、薄暗い車内でもはっきりと分かるくらい赤く染まっていく。
好きだと言えば、てっきり大喜びして大騒ぎするものだと思っていた。顔を真っ赤にして「う、へえ?」と気の抜けた声を漏らす猪野くんがあまりにも意外すぎて、何だかこちらの方が恥ずかしくなってしまう。
このままぶっちゅ〜とされてしまうのだろうか。目を逸らすことができないまま息を呑んだ瞬間、運転席のドアが開いて私は猪野くんを引き剥がした。
「お待たせしました! 状況説明も終わったんで、一旦引き上げましょう。お二人、お腹空いてますよね? どこか寄りますか?」
ちょっと走りますけど、いくつかお店ピックアップしてて〜、と話しながら、新田さんは荷物を助手席に置いてシートベルトを締める。
「中華とか定食とか……あとラーメンもあります」
「そうだね、ラーメンいいかも」
「猪野さんは何が食べたいっスか?」
「……れの」
「え?」
ぼそりと呟いた猪野くんに、新田さんが振り返る。
「俺の……俺の彼女であるサンが超絶可愛すぎる件について!!!」
「新田さん、ラーメンでお願いします」
「了解っス。猪野さん、ラノベのタイトルみたいな惚気けは他所でお願いしま~す」
(2024.10.26)