銀さんの唇は、いちご牛乳の味がした。


大人になってしまったせいで


万事屋のソファに座る私のすぐ目の前にあるのは、柄にもなく緊張した様子の銀さんの顔。そして彼の後ろでは、二人で一緒に見ようと約束していたホラー映画がおどろおどろしい音を流しながら佳境を迎えていた。

──いちご牛乳?


「あれ?銀さん飲んでるの、お酒じゃなかったの?」
「…は?」
「いや、ホラー映画なんてシラフで見れるか〜って言うからお酒買ってきたのに、飲んでるの私だけ?」
「や、まあそうだけど、ってか、え?他に何かあるだろ」
「何かって?あ、今キスしたこと?」


私の言葉に、銀さんの瞳が揺らぐ。しかしそれは一瞬で、すぐにいつも通りの目に戻った銀さんはため息をつきながら、私の隣に深く座り直した。機嫌を損ねたのか、少し唇を尖らせてテレビの画面を見つめる銀さんの横顔を、缶チューハイ片手に眺める。すっかり黙りこんでしまった銀さんからテレビに視線を戻した時、再度隣から大きなため息が聞こえてきた。


「何?」
「…べっつに〜、想像してた反応とちげーなと思っただけです〜」
「どういう反応を想像してたの?」
「そりゃあ…キャー!愛しの銀さんにキスされちゃった!もっとして!的な」
「何それ」


私の真似をしているつもりだろうか。銀さんの汚い裏声に、私は思わず吹き出した。ホラー映画を見続けていたせいで緊張していた身体がほぐれていくのを感じる。ほんの少し目を離していただけで、映画の登場人物が数人死んでいたのでさらに笑えた。

銀さんは、まさか笑われるとは思っていなかったのだろう。お酒を飲んでいないはずなのに、僅かに耳たぶが赤く染まっている。ムスッとしている横顔をすぐ隣で見つめていたら、胸がきゅっと締め付けられる感じがした。

2か月ほど前、飲み仲間でもある銀さんに「さァ、俺と付き合う?」と言われたので、「いいよ」と答えて恋人同士になった。だからと言って何か変化があった訳でもなく、今まで通り一緒に飲みに行ったり、たまに今日みたいに万事屋でだらだらと過ごしてばかりいた。でもよくよく考えてみると、神楽ちゃんのいない夜の万事屋に誘われたのは、今日が初めてだ。

──可愛い。口に出したら殺されそうな台詞を頭の中で呟いて、私は空になった缶をテーブルの上に置くと、相変わらず拗ねている恋人の横腹を指でつついた。


「ね、機嫌直してよ」
「別に、怒ってねェし」
「怒ってるじゃん」
「怒ってねェ」


そんなくだらない押し問答を繰り返しながら銀さんの横腹を人差し指でなぞると、僅かにだが彼の身体がぴくりと反応した。頭が少しぼうっとするのはお酒のせいか、それとも一瞬だけ重ねられた唇のせいか、よく分からない。上から下へ滑らせた手を、銀さんの太ももの上に置く。


「銀さん、もっとして」


思っていたよりも何だか切ない声が出て、ようやく銀さんは視線をこちらに向けた。熱を帯びて少し潤んだ、野生の獣のような瞳に吸い込まれそうになる。きっと私も同じような目をしているのだろう。

銀さんの手が探るように私の頬に触れたかと思ったら、それはすぐに私の後頭部に回されて、あっという間に唇が重なった。最初は軽く、徐々に深くなる口付けに目を閉じる。だんだん銀さんの身体が私に凭れてきて、彼の背中に腕を回しながら二人でソファに倒れ込んだ。


「ぎん、さ」
「っ、…」


もう、いちご牛乳の味もしなければお酒の味もしない。生暖かい銀さんの舌が、私の舌を何度も何度も執拗に絡めとる。口の端から漏れる吐息に、どんどん銀さんの余裕がなくなっていくのが分かって、その様子に自分の身体が疼くのを感じた。

お互いの歯がかちりと当たったところで、一旦唇が離れる。身体が内側から燃えているようで、とても暑い。銀さんは苦しそうな顔をしていて、私と目が合うと困ったように笑った。そしてそのままするすると下に下がっていき、私の首筋を唇でなぞり始めた。銀さんの髪の毛が顔にふわふわ当たって、くすぐったい。

どうせ映画を見るだけだからと、ラフなTシャツ+短パンといった格好だったため、普段の着物よりも直に銀さんの体温を感じる気がする。銀さんのごつごつとした手が私の太ももをするりと撫で始めた時、私は彼の頭をぽんぽんと叩いた。


「…ストップ」
「無理」


短い答えのすぐ後に、ぴりっとした痛みが鎖骨に走る。テレビから女性の悲鳴が聞こえてきて一瞬びくりと身体が跳ねたが、こういう時に一番ビビるはずの銀さんは、我関せずといった感じで何度も鎖骨あたりに噛み付いてくる。太ももを撫でていた手がTシャツの中に侵入してきたところで、もう一度「ストップ」と言うと、銀さんは手を止めて盛大なため息をついた。


、お前…この状況でストップかけるのはあれだぞ?犯罪並みにやっちゃいけねーことだから」
「いや、銀さんに聞きたいことがあって…」
「え?何それ今じゃなきゃダメなわけ?」
「逆に今じゃないとダメっていうか…あの、銀さんって私のこと好きなの?」


私のお腹を撫でながら、さり気なく胸に顔を擦りつけていた銀さんが勢いよく顔を上げた。困ったような驚いたような、そして少しだけ怒ったような顔をしている銀さんとの間に沈黙が流れる。


「…はァ!?」
「えっ、そんな驚かなくても…」
「いやいや驚くだろ、何?俺ら付き合ってますよね?」
「そうだけど、よく考えたら私、銀さんに好きって言われたことないし」


そう言うと、銀さんは頭をがしがしと掻いて起き上がった。私も捲れたTシャツを整えながら起き上がり、二人でソファに向かい合って正座する。銀さんが少し前屈みになっていることには気付かない振りをした。


「いや…まあ確かに言ったことないけどさァ、あれだよ、言わなくても分かるだろ?ってやつだよ」
「恋愛って、『言わなくても分かるだろ?』『言ってくれないと分かんないよ!』の繰り返しですれ違いが発生すると思うんだよね、私の経験上」
「…経験上ってなんかむかつくからやめて、っつーか俺も言われたことねーし、から好きって」
「好き」


即座にそう答え、もう一度「大好きだよ、銀さん」と呟く。正直そこまで酔っていなかったので、自分で言っておいて恥ずかしくなった私はそのまま俯いた。銀さんは「あー」とか「んー」とか、よく分からない呻き声を上げている。きっと、いろいろと葛藤しているのだろう。しばらくして、銀さんは私の腕を引いてそのまま優しく抱きしめた。彼のトクトクと動く心臓の音に耳を澄ませていたら、


「──俺も、好き」


と小さい声が頭上から落ちてきて、私は目を細めて笑った。どこか落ち着きなくそわそわしている銀さんの背中に手を回し、ぎゅっと力強く抱きつく。

大人になると、「思っていることや考えていることを相手に伝える」ということが、なぜかとても難しくなる。それは自分のプライドのせいか、臆病さのせいか、はたまた相手に嫌われることが怖いからか。


「お互い、思ってることはちゃんと言い合えるようになりたいな」
「…じゃあ、とりあえず俺が今思ってること言うけど」
「どうぞ」
「もう無理我慢できないとめちゃくちゃセックスしたい」
「………」
「実は、が来る前からもう布団敷いてっから」
「ふ、ばか」


銀さんは私の肩を押して身体を離すと、けらけらと笑う私の唇に噛み付いた。

二人で一緒に見ようと約束していたホラー映画はいつの間にか終わっていて、結局結末は分からず終いだけど、それでもいいか。そう考えて、私は目を閉じた。


(20220125)