02.見つけるのが大得意


 街中を歩いていて真正面からあんなおっかない風貌の知らない人が歩いて来たら、何の迷いもなく走って逃げるだろうな。

 そう思ってしまうほど、怒りを露わにしながらずんずんとこちらに向かって歩いて来る学長と遭遇し、私は黙ってくるりとその場でUターンした。が、一歩踏み出そうとした途端ものすごい力で肩をむんずと掴まれ、「ひい…!」と情けない悲鳴を上げる。ゆっくり振り向くと、禍々しいオーラを全身から発している学長がサングラスを光らせた。あれだ、学長がこんなに怒っているときは、大抵あの人が関わっている。


…悟はどこだ」


 ほら、やっぱり。


「知りません」


 首を横に振って短くそう答えると、学長はため息を零し私の肩を解放した。しかし私自身を解放する気はないようで、私の行く手に立ちはだかったまま腕を組み「十時に俺のところに来るよう伝えていたはずなんだが」と苛々した様子で呟く。そんなこと、私に言われましても。私は仕方なく、ポケットからスマホを取り出して教職員の共有スケジュールを開き、すいすいと指を動かしながら五条さんのスケジュールを確認する。ちなみに時刻は十時二十分になろうとしているところだった。


「…午後までは空いているはずなので、高専内にはいると思いますけど」
「俺も午後からは予定がある、今すぐ悟を見つけて連れて来い」
「ええ〜!」


 拒絶の意味も込めて首を後ろに仰け反らせてみたら、サングラスの奥の瞳がさらに威圧するように私を見下ろした。いや、普通に怖い。もし私が子どもだったら、今頃大泣きして腰抜かしてる。口を尖らせて「分かりました…」と小さく返事をすれば、ようやく学長は表情を緩ませた。


は昔から悟を見つけるのがうまいからな、助かる」
「昔から上手だったわけじゃないですよ、教師になってから必然的にそうなっただけです」
「…そうか」


 僅かに眉尻を下げた学長は、「頼んだぞ」と言うと私の肩を叩いてその場を立ち去って行った。

 学長、そして伊地知。この二人から五条さんを探してほしいと頼まれることは数え切れないほどある。教師になりたての頃は、五条さんに何度も電話をかけながら必死になってあちこちを探し回っていたけれど、ここ最近は何となく五条さんの居場所が分かるようになっていた。五条さんのその日のスケジュールや前日の様子、さらには気候などの条件も考えながら探すと案外あっさりと見つけられるのだ。以前、家入さんにこの話をしたら「探知犬みたいだな」と苦笑いしていた。

 おそらく今日は、一年生の教室から一番近い応接室のソファーで寝ているだろう。あそこの応接室は教室にいる学生の声が届く、また逆に応接室で話している内容を学生に聞かれる可能性が高いことから、使われていないことの方が多い。五条さんにとって仮眠室になっている場所だ。

 スマホをポケットに入れ、少し歩いたところで私は立ち止まった。そしてしばらく考えて、踵を返す。──念のため、用意しておいた方がいいかもしれない。


「やっぱり…」


 そっと応接室のドアを開けて中を覗くと、テーブルのそばに置いてあるロータイプのソファーに寝転がる五条さんの姿があった。身長の高い五条さんは、頭も脚もソファーに収まりきれずはみ出している。静かにドアを閉め、なるべく音を立てないように歩み寄り彼を見下ろしたが、寝ているのか起きているのか、アイマスクをしているのでよく分からない。窓から差し込む太陽の光を浴びて光る毛先に一瞬だけ見惚れたあと、少しだけ迷って彼の肩に手を伸ばしたそのときだった。


「毒りんごを食べてしまった悟姫は王子のキスで目覚め、その後二人は幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし」
「…知ってます?グリム童話初版の白雪姫って、小人に背中を殴られて目を覚ましたらしいですよ」
「何それ、夢なさすぎ」


 伸ばしていた手を引き「起きてたんですね」と言うと、五条さんはアイマスクを指で引っかけて下にずらしながら起き上がった。「まあ、ちょっと寝てたんだけど」とあくびを噛み殺しながら答えた五条さんの目は、確かに寝起きのようでいつもより少しだけ細い気がする。ソファーに腰かけて目元を押さえる五条さんからは、若干の疲労感が滲み出ているように感じた。


「学長が探してましたよ、十時に約束してたとかで」
「あー本当だ、着信入ってる」
「何でも午後から予定があるみたいで…早めに対応お願いします」
「んー」


 五条さんは私の言葉に曖昧に返事をすると、持っていたスマホをソファーに投げてそのまま黙り込んでしまった。疲労だけでなく微かに苛立ちを滲ませている五条さんを目の前に、この人がこうなるときは大抵上層部絡みなんだよなあ、と静かに考える。恐らくだが、虎杖くんのことで呼び出されたのだろう。

 血筋、能力、センス、全てを総合して最強と謳われている五条さんは、最強であるが故に上の人間たちと衝突することが多かった。確かに五条さんは周りを巻き込んで好き勝手に行動する節があり、それは短所であるかもしれないが、結果的に彼に救われた者は数知れない。しかし上の人間にとってはそんなことはどうでもよくて、単純に目の上のたんこぶが自分たちの意にそぐわない行動をしていることがとにかく気に食わなくて仕方ないのだと思う。

 俯いたまま動かない五条さんに、私は持っていたココアの缶を差し出した。先程ここに来る前に、わざわざ自販機まで行って買ってきたものだ。それは、なぜか私と二人きりで何の危険もないときはいつも術式を解いている五条さんの頬にぴとりとくっついた。冷たさからか、僅かに五条さんの肩が跳ねる。


「どうぞ」
「…ココア?」
「疲れたときには甘いもの、でしょう」


 そう言ってさらにチョコレートをポケットから取り出すと、少しだけ驚いた顔をしていた五条さんはすぐにいつもの笑顔を見せた。


「さすが僕の奥さん、気が利く〜」
「はいはい」
「おっ、認めた?今認めたね?」
「認めてません、突っ込むのが面倒だっただけです」


 つまらなそうにちぇっと呟く五条さんの隣に少し離れて座る。学長には「連れて来い」と言われたから、五条さんがちゃんと学長の元まで行くのを見届けなくては。…でもどうせ遅刻に変わりはないのだから、少しくらい一息ついてもいいだろう。五条さんはぷしゅ、と缶を開けると同時に、盛大なため息を吐いた。


「あ〜上は馬鹿ばっかりだよ本当、歳とるとみんなああなんのかね?」
「皆さん、老い先短いからリスクを犯したくないんでしょう。無難に生きたいんですよ、きっと」
「呪術師が聞いて呆れるよ」


 ぐびぐびとココアを飲む五条さんの上下する喉を見つめたまま、なんとなく「すみません」と謝れば、彼は不思議そうに私を見つめて小首を傾げた。


「どうしてが謝るの?」
「…五条さんが上とバチバチにやり合ってるとき、何もできないなあと思って」


 私のような所謂下っ端は、上の人間たちに呼び出されることもなければ関わることも滅多にない。五条さんが上層部に呼び出されるたびに、もっと私にできることがあれば五条さんの気苦労も少しは解消されるのでは、とたまに思う。この人は、こんなつまらないことで時間を潰すにはもったいない人なのに。

 かちかちと、壁掛け時計の秒針の音が耳に響く。しばらくして、隣に座っていた五条さんが「それってさ」と呟き、私がわざわざ一人分空けていたスペースを詰めてきた。少し身構えて見上げると、五条さんの輝く宝石のような瞳が何かを期待しているかのようにこちらをじっと見下ろしている。


「妻として、旦那である僕の役に立ちたい!ってこと?」
「妻、旦那云々は置いといて、役に立ちたいとは思ってますよ」
「ふーん」


 しまった。馬鹿正直に答えるべきではなかったか。咄嗟にそう思ってしまうほど、隣に座る五条さんはいいこと聞いたと言わんばかりに愉悦に浸っている。これ以上何か言われる前に適当に誤魔化そうと思ったそのとき、ちょうどいいタイミングで時計が音を立てて時刻を知らせてくれた。もう十一時だ。


「五条さん、そろそろ学長のところに──」
はいてくれるだけで役に立ってるよ」
「…え?」


 思ってもみなかった優しい言葉に、驚きの声を上げる。五条さんはアイマスクを指でくるくると回しながら、驚いている私を他所に話を続けた。


「僕が出張で出払ってるときとかさ、ちゃんと生徒たちに寄り添ってくれてるじゃん」
「それは…教師として当たり前のことをしているだけですけど」
「僕の無茶振りにもよく対応してくれてるし、本当がいてくれて助かってる」
「それは……伊地知に言ってあげてください」


 こんなに真っ直ぐ見つめられて五条さんに褒められるのは初めてのことで、何だか恥ずかしくてそわそわしてしまう。ふい、と顔を逸らし頬が緩むのを堪えていたら、五条さんは私の心境を読み取ったのか、にんまり笑いながらアイマスクをはめて立ち上がった。


「さてと、あんまり待たせちゃ可哀想だし、そろそろ行くかあ」
「そうしてください、大分ご立腹だったんで」
「ココアとチョコ、ありがとね」


 私も立ち上がると、頭の上に五条さんの手が置かれる。私の手よりもずっと大きいその手と長い指は、まるで子どもをあやすようにポンポンと優しく私の頭を撫でた。


「どういたしまして」
「お礼、何がいい?僕の記入済み婚姻届とか?」
「いりません」
「何なら証人欄も埋めとくよ?」
「いりません」


 よくもまあ次から次へとそんな冗談を吐けるものだな。「、冷たい!」と嘆く五条さんの声はその言葉とは裏腹に機嫌が良さそうで、しばらく私の頭を撫でることをやめなかった。普段の私ならセクハラだとか何とか言ってやめさせていたと思う。しかし、年上とは思えないほど無邪気に顔を綻ばせている五条さんを見ていたら、何だかどうでも良くなった。

 ── 今日は大目に見てあげるか。

 それくらい、五条さんのくれた言葉が嬉しかったってことだろう。多分、自分で思っている以上に。


(2022.05.08)