「ひょっとして、五条って私のこと好きなのかな」

 なんとなく入った肉バルで、なんとなく注文した鴨ローストを目の前に、なんとなく以前から気になっていたことを口にする。視線を上げれば、ワイングラスを片手に持った硝子が「お」と呟いた。

「お?」
「……っそ」
「えっ」
「おっそ」

 今更気付いたのか、と呆れたように言いワインを飲み干した硝子は、手を挙げて店員を呼び同じものを注文した。
 そんな硝子の反応を見て、徐々に疑念が確信に変わっていく。しかも『遅い』『今更』ということは、私が気付くずっと前から五条は私のことを好きだった……ということになる。

「え、いつから?」
「学生時代から」

 私は鼻で笑い、まさかと首を横に振った。思い返してみても、学生時代の五条からは常に小馬鹿にされていた記憶しかない。そう言うと硝子は遠い目をして一言、「ガキだからな」と吐き捨てた。
 そうか、学生時代の五条は好きな子にちょっかいを出す小学生男子だったのか──。
 そうか、そうだったんだ、と何度も呟く私の顔を、硝子は覗き込んだ。

「両想いじゃん」
「なんで!?」
「声でか」

 近くのテーブルのカップルがこちらを一瞥する。気まずくなった私はごまかすように咳払いをすると、眉を顰めている硝子にもう一度、今度は小声で「なんで?」と尋ねた。誰にも相談したことのない私の想いを、なぜ硝子が知っているのだろう。硝子って実はエスパーなのかな。

「見てたら分かる、エスパーでもなんでもない」

 エスパーじゃん……。そう言えば、「馬鹿」と一蹴された。
 元々、私は五条の顔がめちゃくちゃ好きだ。でも学生時代の五条は今より性格に難ありだったので、『顔だけはいいのにもったいないなあ』と惜しむ毎日だった。
 しかし大人になり少し角が取れた五条は、昔なら「怪我なんかしてんじゃねーよ、これだから弱い奴は」と言っていたところを、「怪我、大丈夫? あんまり無理しないようにね」と言うようになった。こんなの、コロッといっちゃうでしょ。何度も言うけど顔は文句無しなんだから。
 硝子がふう、と息を吐き、我に返る。

「それにしても、数少ない同期二人が付き合うって……なんか気色悪いよな」
「いや、言い方……そこは嬉しいな、でしょ」

 硝子の冷めた言葉で冷静になった私は、ふと今後のことを考えた。硝子は「付き合う」と言ったけれど、そのためには私か五条、どちらかが想いを明かさねばならない。でももし本当に五条が学生時代から私のことを好きだったのなら、今更彼から告白してくることなんてないようにも思える。もう十年近く経つわけだし、現状の関係で満足している可能性が高い。
 どうせなら、先に恋愛感情を抱いた五条から告白してほしい。私のそんな儚い乙女心に硝子は一瞬だけ面倒くさそうな顔をしたが、何かを思いついたのか「言わせればいいじゃん」と口角を上げた。

「私にいい考えがある」
「考え?」
「ま、硝子様に任せなさい」

 いつもより機嫌良さげに笑う硝子の頬が僅かに赤く染まっている。飲み過ぎたのか、「気色悪い」と言いつつ実は少し喜んでいるのか。どちらかは分からないけれど、私は自信満々に任せろと言う彼女に全てを託すことにした。

* * *

 一週間の出張を終えて高専に戻ったとき、まず見つけたのは廊下を一人で歩くの後ろ姿だった。頬が緩むと同時に、いつも通り悪戯心が芽生えてくる。気配を消して後ろからそっと彼女に近付き、両肩を少し強めにぽん、と叩いた。

! お疲れ~!」
「びっ……!」

 びっ、てなんだろ。びっくりしたって意味かな。可愛い。
 両肩をびくりと跳ねさせたは勢いよく顔を上げた。真後ろに立っているのが僕だと気付き、大きな目がさらに大きくなる。
 「ただいま」と言えば、は驚いた表情のまま素直に「おかえり」と返してくれた。ただいまって言っておかえりって言ってくれる相手がいるって、いいね。なんならこれ、もう夫婦じゃない?

「出張、どうだった?」
「特に問題なーし。別に僕じゃなくても良かったんじゃないの、ってくらい楽勝だった」

 彼女の隣に並び、歩調を合わせてゆっくりと歩く。こういうとき、若かりし頃の僕は「歩くのおっせえ」「短足」とか最低なことを言っていたけれど、学生の頃より多忙である今、と二人でゆっくり過ごす時間ほど価値のあるものなんてないように思える。だから。

、今度休みいつ?」

 そろそろ、この『同期』という関係から抜け出して『恋人』になってもいい頃だろう。
 そう思い立ち、数か月前から考えていた最高のデートプランを実行に移すため休みを聞いたのだが、そんなのは事前に伊地知から入手済みだ。そしてそれに合わせて、僕も休みをもらっている。

「今週の土曜日だけど」
「その日、僕もたまたま休みなんだけどさ。久しぶりに二人でご飯でも行かない?」

 洋食よりも和食が好きで、肉よりも魚派。賑やかな店よりも、静かできちんとした個室のある店が好き。そんな彼女が気に入りそうな店をいくつか見繕ってある。食事が済んだら二人で夜景を見たいけど、は高いところが苦手だから抱えて飛ぶのは論外。とりあえず船を貸し切って──と考えたところで、が困ったように「ごめん」と眉を下げた。ん? ごめん?

「その日は用事があって」
「あ、そう……珍しいね?」
「実は、お見合いがあるんだよね」

 例えるならば、心臓にいきなり氷水をかけられたような、そんな気分だった。
 急に立ち止まった僕をが心配そうに振り返る。ちょっと待て。今、『お見合い』って言った?

「……今、お見合いって聞こえたんだけど」
「うん、言った」
「なんで?」

 先程までとは違う低い声に、は視線を左右に泳がせた。
 驚いているだけで、別に怒ってはいない。そう自分に言い聞かせて何とか口元だけでも笑ってみせようとするけど、腹の奥からふつふつと何かが湧き上がってくる。

「ほら、うちも一応古い呪術師の家系だし、年齢のことを考えるとね」
「家系はともかく、まだ若いじゃん」
「若くないよ! ……とにかく、決定事項だから」

 話を一方的に終わらせたに「でもさ」と言ってはみたものの、次の言葉が出てこない。するとなんとも最悪なタイミングでのスマホが鳴り出し、彼女は「行かなきゃ」と慌てた様子で呟いた。

「五条、ずっと任務続いてたでしょ? たまの休みなんだからゆっくりしなよ」

 いつもなら嬉しいはずの僕を気遣う言葉に、とどめを刺されたような気がした。

* * *

「ああ、この間一緒に飲みに行ったとき聞いたよ」
「なんで?」

 ぶっきらぼうに短く尋ねる僕に対し、椅子に座り珈琲を啜る硝子は極めて冷静に見えた。「なんで?」というのは、なんでが急に見合いをしなきゃいけないのか、なんで硝子は知っていたのに僕に教えてくれなかったのか、いろんな思いを込めた「なんで?」だ。

のお兄さん、まだ独身だよね? なんでが先に見合いすんの?」
「私に聞くな」
「詳しいこと、聞いてないの?」

 矢継ぎ早に質問する僕に、完徹だったらしい硝子の表情に苛立ちが滲んでいく。しかしそんなことをいちいち気にしている余裕は僕にはない。
 ふと、別れ際のの顔が浮かんだ。が見合いをするという事実よりも、彼女が見合いをそんなに嫌がっている様子ではなかったことにショックを受けている自分がいる。
 マグカップを机の上に置き、「日時と場所なら聞いた」と呟いた硝子の口から出た店の名前は、僕がと一緒に行く店として候補にあげていた料亭のものだった。

「余裕こいて、ちんたらしてたお前が悪い。馬鹿」

──そうかもね、確かに僕は大馬鹿者かもしれない。でも、大馬鹿者なら大馬鹿者らしく、なりふり構わずやってやろうじゃん。

* * *

おはよ、いい天気だね」

 土曜日。天候にも恵まれ、心地よい風が吹いている。絶好のデート日和だ。
 サングラスを外し挨拶する僕を見て、ドアを開けたは驚いたようにぽかんと口を開けた。それもそうだろう、つい先日誘いを断った相手が、当日何の連絡もなく自宅に訪れたのだから。
 早朝にも関わらずはきちんと化粧を施し、セミフォーマルなワンピースを着て普段おろしている髪もきれいに纏めていた。いや、めちゃくちゃ可愛いな。そんでもってめちゃくちゃ腹立つな。僕以外の男に見せるためにこんな可愛い格好をしただなんて、さ。
 戸惑いを隠せないでいるは「五条?」と目を丸くして僕の名前を呼んだ。

「どうしてここにいるの?」
「いい天気だから、と出かけたいなと思って」
「出かけたい、って……」
、朝ごはんもう食べた? ここからちょっと遠いけど朝から開いてるカフェがあってさ」
「五条」
「困るんだよね」

 ドアを押さえていたの手首を掴み、閉まるドアを身体で押さえる。もう一度、「困るんだよ」と言えば、僕の行動に息を呑んだが「どうして困るの」と小さな声で呟いた。

「そんなの、が好きだからに決まってんでしょ」

 予定では夜景を見ながら告白するはずだったのに、の家に無理矢理押しかけて玄関口で想いを告げる僕。我ながらダサい。多分、硝子や七海がこの状況を見たら嘲笑するに違いない。
 頭の中に汚いものでも見ているかのような目をした二人の顔が浮かんだが、何も言わないを見ていたらだんだんと焦りが募ってくる。沈黙に耐えられなくなった僕は、思い切っての手を引き、彼女に顔を寄せた。いつもより艶めいた唇に湧き上がってる欲望を抑えるため、瞳を閉じて息を吐く。

「……だから、見合いなんて行かないでほしいんだけど」
「分かった」

 今度は僕が目を丸くする番だった。は僕に掴まれていない方の手で持っていたスマホをすいすい操作したかと思ったら、僕を見て「行かないよ」とにっこり微笑んだ。先程まで驚き戸惑っていたの姿はもうない。

「え?」
「ん?」
「いや……軽くない?」

 確かに「行かないでほしい」と伝えたのは自分だ。でも本来見合いというものは、個人と個人の間で行われるものではなく互いの家と家の間で行われる、いわば一族の一大イベントのようなものだろう。それをの一存で、話自体をなかったことにできるなんて到底思えない。
 でも彼女はすんなり「行かない」と返事をした。僕にとっては嬉しい結果なんだけど、のけろりとした様子に拍子抜けしてしまう。そしてそんな僕に向かっては、

「だって、私のお見合いじゃないし」

と言うと、「びっくりした?」と首を傾げてみせたのだった。

* * *

 こんなにびっくりした五条の顔を見るのは、これが最初で最後かもしれないな。
 少しの優越感と罪悪感を抱きながら「びっくりした?」と尋ねれば、固まっていた五条の瞳の奥が僅かに揺らいだ。

「ごめん、話についていけてないんだけど」
「私は『お見合いがある』とは言ったけど、『お見合いをする』とは言ってないよ」
「でも家系がどうとか、若くないからとか言ってたじゃん」
「うん、うちの兄ももういい歳だからね」

 そう言うと、五条は「はあ?」と声を上げた。普段あまり聞くことのない五条の間抜けな声に笑いが込み上げてきそうになったが、さすがに可哀想なので一つずつ説明していく。
 今日は私ではなく、私の兄のお見合いの日だ。本来、妹が兄のお見合いに同席するなんてことはありえない。しかし今回の場合は仲人が兄の見合い相手のお姉様であることから、お見合いの同席者が先方はご両親及びお姉様ということになった。それを知った私の両親から「顔合わせも兼ねるから来れたら来い」と言われたのだ。行った方がいいのは確かだが、行かなくても大きな問題にはならない。

「……ごめん、怒った?」

 むくむくと、心の中で罪悪感が大きくなっていく。嘘をついたわけではない。でも、五条にとっては嘘をつかれたのと同じかもしれない。そう考えると胸が痛んだ。
 五条は大きなため息を吐き出すと、口元を押さえて「怒ってないけど、めちゃくちゃ恥ずかしい」と呟いた。

「よく分かんないんだけど、なんでこんなことしたの?」
「五条に、好きって言ってほしかったから」
「……なんで?」
「私も、」

 好きだから。そう告白すると同時に五条の腕の中に閉じ込められる。ドキドキ、ヒヤヒヤしていた自分の心が次第に満たされていく気がした。

「もう本当にさあ~、勘弁してよ」
「五条のあんな顔、はじめて見た」
「……世界中でだけだよ、僕をこんな気持ちにさせるのは」
「後にも先にも?」

 そう尋ねると、五条は両手で私の頬をむぎゅ、と挟み、「後にも先にもだよ」と笑った。

「ってか、元々今日言おうと思ってたし……」
「へ? なに?」
「なんでもない」

 額に軽く口付けられ、五条と視線が重なる。そうか、こういうことを当たり前にする関係になったのか、私たち。
 恥ずかしくて嬉しくて、少しこそばゆい。いろんな感情が綯い交ぜになって何も言えなくなった私に、五条は「仕返し」と笑うと、開いたままだったドアを静かに閉めたのだった。




後にも先にも



(2022.10.15)リクエストありがとうございました!